ヴァルプルギスの魔法使いたち 1

 今日は年に一度の、魔法使いのお祭りです。ドイツからも、フィンランドからも、エストニアからも、世界中から魔法を使える者たちが集まって、ブロッケンの山で一晩中歌い、踊り、飲み明かすのです。
 ところがその年は、いつもと少しわけが違っていました。力の強い、若い魔法使いが、ブロッケンの山に集う魔法使いたちの、破滅の予知夢を見たと言うのです。
 力の強い、若い魔法使いは、名をシュテファン・リヒトホーフェンといいました。彼は魔法の使える者たちのあいだではすっかり有名な魔法使いで、どんなはしくれの下っ端魔法使いであっても、シュテファン・リヒトホーフェンの名を聞けば恐れ入って縮み上がり、あるいは妬み嫉みに身を焦がし、あるいは羨望や憧憬に目を輝かせる、という具合でありました。何しろ他の魔法使いたちがうんと努力をして、たくさん勉強しなければならないこと──たとえばほんの数ミリグラムの半分、違えただけで、フラスコの中で爆発を起こしてしまう危険な魔法薬の精製や、流麗に歌いあげなければならない複雑怪奇な魔法の呪文──を、彼ははじめから、いともたやすくこなすことができたのです。そればかりか、異文化圏からの大胆な精製法を取り入れた新薬の発明や、これまでにないまったく新しい切り口からの魔法の呪文の構築にも、彼は意欲的に取り組みましたので、新進気鋭の新人として大層もてはやされ、今や魔法を使える者たちのあいだで彼の名を知らぬ者はいないほどでした。
 この予知夢を信じた者が半分、信じなかった者が半分、おりました。
 信じなかったのは、伝統を重んじる年老いた魔法使いたちや、彼の才能を妬むとんがり屋の若者など、彼をよく思わない者の中でもひときわ肩肘を張った、意固地な者たちばかりでした。そうでない者は、善い魔法使いも、悪い魔法使いも、中には日ごろ、彼を妬んで悪く言う者もたくさん混じっておりましたが、とにかく我が身かわいさに、みんなが揃ってブロッケンの山の土の下でお祭りを開くことに決めました。
 こうして、今年のブロッケンの山のお祭りは、地上と地底の二つの場所で行われることとなったのであります。
 メリルとグリズリーも、地底のお祭りに参加する魔法使いの少年でした。二人はまだ見習いの魔法使いでしたから、ブロッケンの山のお祭りに参加するのもこの年がはじめてのことでした。メリルとグリズリーはそれぞれ別の魔法使いの弟子でしたが、奇遇にも同じ十三日の金曜日に、やっとおのおのが先生からのお許しを得て、ブロッケンの山のお祭りに出かけることを許されたのです。ただし、二人の先生は口を揃えて、
「今年のお祭りは地上で悪いことが起こるから、ヴァルプルギスの夜が明けるまでの一晩のあいだは、決して地底から出てはいけないよ」
 と言いました。シュテファン・リヒトホーフェンの予知夢については、幼い二人の魔法使いの耳にも当然入っておりましたので、二人はもう二つ返事で頷いて、今にも踊り出しそうな足どりで、互いにブロッケンの山のお祭りに参加するお許しが出たことを報告するために、二人がいつも秘密の集会をする、幻のプレーリエの丘にやって参りました。というのも、幻のプレーリエの丘への道は、二人の住む港町に、海からの西風が吹いた時にしか現れず、その道を渡ることができるのは魔法の力を持った者たちだけなのです。ですから、幻のプレーリエの丘は、しばしば魔法使いの子供たちの秘密の集会場所となりました。時折、何の力も持たない人間が幻のプレーリエの丘に迷い込んでしまうこともありましたが、それは必ずと言っていいほど幼い子供と決まっておりましたので、そうした子供を見つけると、魔法使いの少年や少女たちは港町まで手を引いて、子供たちを送り届けてあげるのでした。そのようにして、メリルとグリズリーの住む港町では、人間も魔法使いも分け隔てなく、肩を寄せ合い、助け合って暮らしておりました。
 幸い、十三日の金曜日には西風が吹いておりましたので、二人は迷わず幻のプレーリエの丘に辿り着くことができたのであります。
「聞いてくれよ、メリル」
 丘の向こう側から駆けてきたメリルの顔をひと目見るなり、まずはグリズリーが言いました。
「おれ、今年のブロッケンの山のお祭りに、行けることになったんだ」
「なんてことだ、グリズリー」
 メリルも驚いて言いました。
「ぼくも今まさに、きみにそのことを話そうと思っていたところだよ」
 二人はいっしょにお祭りに行けることを大層喜び合い、そしてヴァルプルギスの夜が明ける一晩のあいだは決して地上に出ないようにしようと、互いに誓い合ったのでした。それからメリルとグリズリーは日が暮れるまで、幻のプレーリエの丘で野苺を摘んで遊びました。幻のプレーリエの丘で取れる野苺は、ジャムにするために鍋で煮つめると、さまざまに色を変えるのです。魔女のお母さんたちが作ってくれる幻のプレーリエの丘の野苺ジャムは、魔法使いの子供たちの大好物でした。魔女のお母さんたちは、子供たちが摘んできた野苺で、ジャムを作って瓶詰めにして、人間の奥さんたちにお裾分けしました。

 一方そのころ、二人の住む港町から遠く国境を越えたとある人間の町では、一人の男がブロッケンの山で開かれる魔法使いたちのお祭りをめちゃめちゃにしてやろうと、密かにもくろんでおりました。町はかつて戦争で空襲に遭い、今は工場から立ち昇るもくもくとした煙に大気を汚され、いつも灰色に煤けた空の色をしておりました。
 男は世界中の魔法を使える者たちを、一人残らず憎んでおりました。男の実の弟が、魔女に心を奪われて、魔法使いたちの暮らす村へと行ってしまったからです。弟と魔女のあいだに生まれたサラという娘を、男は大層愛しておりましたので、弟と姪っ子を二人いっぺんに魔女に奪われたような気がして、その憎しみは歳月を経て、魔法の力そのものに向かうまでに捻じ曲がり、膨れ上がっておりました。こうして男はヴァルプルギスの夜に備えて、密売人から買い取ったウランとベリリウムで爆弾を作り、今か今かとその日を待ったのであります。
 同時に男は、姪っ子のサラに充てて密かに手紙をしたためました。間違っても、サラがブロッケンの山のお祭りに参加して、爆撃に巻き込まれるようなことがあってはならないからです。男はサラに手紙を書くときいつもそうするように、透明の明礬水で計画の全てを書き記し、最後に少し考えてから、赤いインクで〝シキュウヨマレタシ〟と書き加えてヨシとしますと、そのほかは見た目ばかりはまっさらな手紙を、サラの使いの白いフクロウに託したのであります。
 サラは十七歳の、慈悲深く、美しい娘でした。十一歳になるまで人間の町で育ちましたが、以後は人里から遠く離れた〝霧の村〟という魔法の力に満ちた土地で暮らしておりました。霧の村は、魔法を使える者たちの集落の中でもひときわ規律の厳しい村で、そこに住まうことができるのは、魔女や魔法使いとその配偶者、そしてその子供たちだけと決められておりました。そうでない者はたとえ血の繋がった親族であっても済むことは許されず、霧の村とその外界とを隔てる、村に一つきりの関所を越えるのにも、数々の面倒な手続きを踏まなければならないのでした。その名の通り、いつも瘴気に満ちた深い霧に包まれていて、村の本当の姿を見た者は住人以外、魔女や魔法使いであってもとんとおりませんでした。あまりにも村自身の、外界の者を阻もうとする力が強いので、人間ばかりか魔法を使える者であっても、力の弱い者は瘴気に当てられて、近づいただけで熱病にうなされてしまう程でした。ですから人間や、まだ力の弱い混血の子供たちが霧の村に住まうことが決まった時には、特に念入りに瘴気払いの魔法をかけなければなりませんでいた。
 お母さんの故郷である霧の村に引っ越すことが決まったとき、サラはジークフリート伯父さんがかわいそうでなりませんでした。お父さんとジークフリート伯父さんの両親は、二人がまだ少年だったころに戦争で焼け死んでしまいましたから、たった二人だけの兄弟でしたし、ジークフリート伯父さんは空襲で顔の左半分の肌や肉が溶けて、その醜い容姿をみんなが気味悪がって避けるのです。ジークフリート伯父さんはいつも町の人々の視線から逃れるように首を縮こめ、体を小さくして歩きましたので、その背中はすっかり丸まって、せむしのような瘤までできて、今となってはどんなに背筋を元の位置にまで伸ばそうとしても、びくとも動いてはくれないのでした。
 そのころジークフリート伯父さんとサラたち一家は、一つ屋根の下に一緒に住んでおりました。サラは優しいジークフリート伯父さんが大好きで、その容姿が醜いことなど、ただの一度も気にしたことはありませんでした。ジークフリート伯父さんの容姿を嘲笑したり、バルシュミーデ家が魔女の一家であることを侮辱したりするこの町の人たちを、サラは物心ついたころから、あまり好きにはなれませんでした。
 ジークフリート伯父さんは、サラたち一家が霧の村に行ってしまうことを知ると、おいおいと声をあげて泣きました。それが済むと、今度は癇癪を起こしたように怒り出し、最後にはどうか自分も家族の一員として霧の村へ連れて行ってほしいと懇願しましたが、霧の村の厳格な規律が、それを許すはずもありませんでした。それに、清らかなサラには知る由もないことでしたが、サラの両親は、伯父さんの愛情が、一人の男が姪に抱くものとしては、いささか度の過ぎたものになってきていると考えておりました。サラの身柄が霧の村に移されることとなったのには、そうした後ろ暗い理由もあったのであります。
 ジークフリート伯父さんとのお別れの日、サラは使役していた白フクロウのアルデバランを、伯父さんの腕に抱き取らせました。伯父さんが一人でも寂しくないように、そしてサラが霧の村にいるあいだも、手紙のやり取りをすることができるようにです。霧の村は山の奥深くにありましたし、郵便の配達員でさえ、村の関所を通り抜けることはできませんでした。白フクロウのアルデバランは、元はサラのお母さんの使役していたフクロウでしたが、今ではサラにすっかり懐いて、よく言うことを聞くのでした。お母さんは、サラが白フクロウのアルデバランをジークフリート伯父さんのところに残していくことをあまりよくは思いませんでしたが、お父さんはたった一人の兄弟をさすがに哀れんで、
「まあ、手紙をやることくらい認めてやってもいいじゃないか」
 と言ったので、しぶしぶ引き下がったのでした。ジークフリート伯父さんはその贈り物を大層喜び、ふかふかとあたたかなアルデバランに頬ずりをし、サラの右頬にキスをし──お母さんが顔をしかめるのも、気にせずに──それからプラットフォームに立って、いつまでも、三人の乗る汽車を見送ったのでした。別れ際、サラのお母さんが口の中でそっと呪文を呟き、白フクロウのアルデバランに深い呪いを刻みつけていったことには、サラも、お父さんも、アルデバランを抱いていたジークフリート伯父さんでさえ、誰も気がついておりませんでした。
 汽車が見えなくなってしまっても、ジークフリート伯父さんはずっと、白フクロウのアルデバランを抱いたまま、サラたち一家の行ってしまった方角を見つめていました。伯父さんは、町で一等醜い男として名を馳せておりましたから、かのジークフリート・バルシュミーデが、一羽のフクロウを腕に抱えて、惚けたようにプラットフォームに佇み、汽車の行く方角をいつまでもいつまでも眺め続けるのを、彼を知る人々はとうとう気でも違ったのかと思って、なるべく目を合わさないようにして、避けて通りました。しかし、そんなこともどうでもよく思える程に、ジークフリート伯父さんはいまだかつてない、深い喪失に包まれていました。伯父さんの両親が目の前で焼け死んでしまった時よりも、それは深く、痛ましい喪失でした。とうとう伯父さんは、この煤けた町に、ひとりぼっちになってしまったのです。
 やがて夕刻になり、夜が訪れても、伯父さんは駅のプラットフォームに佇んだままでした。駅舎のシャッターが降ろされる時間になると、若い駅員がいかにも気味悪そうに伯父さんを追い出しにやってきたので、伯父さんはようやくなめし革の鞄を持ち直し、しおしおとうな垂れて、ひとりぼっちの家路に着いたのでありました。

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