ヴァルプルギスの魔法使いたち 2

 伯父さんはもう長いこと、鉄を扱う工場で、戦争に使われる武器の部品を作る仕事をしておりました。真っ赤に燃える鉄をまだ熱いうちに打ち、削り出さねばなりませんから、火傷や怪我をすることなどしょっちゅうでしたし、仕事のあいだじゅう汗だくで、ことに顔の左半分の爛れた肌を伝って汗がひたひたと落ちる様子は、伯父さんの醜い容姿をなおのこと醜悪なものに見せるのでした。おかげで同僚たちにはからかわれ、工場長にはうとまれて、顔を合わせればどやされてばかりでしたから、家に帰りつくころには伯父さんは泥のように疲れきって、伯父さんの部屋である屋根裏部屋の、ハンモックに倒れ込まなければなりませんでした。それでも伯父さんが工場を首にされなかったのは、伯父さんの仕事ぶりが大層真面目で、確かなものだったからです。同僚たちも、工場長も、口ではくどくどと嫌味や文句を言いながらも、本当はみんな心の底では、ジークフリート伯父さんの仕事の腕を認めておりました。
 鉄の削りかすをこっそりとポケットに入れて持ち帰ることと、工場から帰ると真っ先に玄関に駆けてつけてこの世で最も幸福な笑顔で出迎えてくれるかわいいサラだけが、伯父さんのささやかな悦びでありました。伯父さんは持ち帰った削りかすを、サラがくれたいくつかのキャンディーの空き瓶に入れて、伯父さんに与えられた屋根裏部屋の、彼が子供のころから使っている古びた机の引き出しの中に、大切に保管しておりました。サラのお母さんは、町の人たちと同じにジークフリート伯父さんのことを大層うとんじておりましたので、伯父さんは半ば追いやられるようにして屋根裏部屋に住まわなければなりませんでしたが、それでもサラと、鉄の削りかすを集めたキャンディーの空き瓶さえあれば、伯父さんは幸せでした。人々が自分の容姿を気味悪がることも、あらかじめ神様がお決めになった運命で、その代償に与えられたのがかわいいサラであるとすれば、それはもう仕方のないことだとも考えておりました。
 ところが最愛のサラと引き離されてしまうと、伯父さんはもうすっかり生きることに希望を失ってしまったように思いました。あんなにすてきなものに思えた鉄の削りかすも、サラがいなくなってしまうと、途端に酷くつまらないもののように感じられるのでした。伯父さんは工場から、鉄の削りかすをこっそりと持ち帰るのをやめました。伯父さんの毎日は、工場と家とを義務的に行き来するだけのものとなりました。工場で働いて、家にお金を入れることは、サラたち一家といっしょに暮らすためには不可欠なことでありましたが、今や呼吸や食事をする意味さえ見出せないまま、伯父さんは黙々と鉄を打っては削り出し、戦争に使われる武器の部品を作り続けました。サラのお母さんが霧の村に行ってしまった今、伯父さんが狭い屋根裏部屋に籠もり続けなければならない理由はもうどこにもありませんでしたが、それでも伯父さんは馴れ親しんだ屋根裏部屋を使い続けました。屋根裏部屋のハンモックは伯父さんのせむしの背中によく馴染みましたし、もしも自分が階下の部屋を我が物顔で行き来するようになってしまったら、本当にもう二度と、サラに会うことが叶わなくなってしまうような気がしたのです。サラの足音のなくなった家は、もはや伯父さんにとって、ただ眠るために帰ってくるだけの場所でしかありませんでした。誰も使わなくなった階下の床や家具にはすっかり埃が積もって、カーテンには蜘蛛が巣を張り、何も知らない人が見れば、ただの荒れ果てた空き家にしか見えないほどでした。
 ジークフリート伯父さんが、どうやら本当にひとりぼっちになってしまったらしいということは、工場で働く人たちの耳にも風の噂として入ってきておりましたから、日ごろから伯父さんを目の敵にしていた工場長も不憫に思って、
「最近は、よく働いているみたいじゃあないか」
 と伯父さんを励ましたほどでした。しかし、どんないたわりやねぎらいの言葉も、サラがいなければ、伯父さんにとって何の慰みにもならないものでした。
 伯父さんは一気に年老いたように見えました。仕事ぶりは以前と寸分変わらず確かなものでしたが、工場で働く人たちは誰も彼も、伯父さんがいつ根を詰めすぎて倒れるのではないかと、気が気ではありませんでした。伯父さんは見るからにやつれ果て、頬はこけて、目は落ちくぼみ、顔色は土気色になりました。しばらくすると工場長は、伯父さんに一ヶ月の休暇を言い渡しました。伯父さんは、
「私にはそんなもの必要ありません。ここで働かせて貰えれば、それでいいのです」
 と主張しましたが、工場長はがんとして譲りませんでした。伯父さんが魔女のバルシュミーデ家の人間であることは既に周知の事実でありましたから、下手に伯父さんをこき使って、何かの拍子にうっかり死なれでもしたら、自分が呪われるのではないかと怖くなったのです。仕方なく、伯父さんは工場長の申し出を受け入れ、一ヶ月間、何をしても、何もしなくてもいい時間を、手にしたのであります。
 生きることに希望を見出せなくなっていた伯父さんにとって、一ヶ月という時間は未来永劫に続くかのように長いものに思われました。ひとりぼっちの、薄暗い屋根裏部屋に籠もりきりでいるよりは、工場で無心に体を動かしている方が、まだましなように思えました。
 はじめのまる二日、伯父さんはわずかな食べ物を口にしたほかは、日がな一日、ハンモックに背中を預けて過ごしました。鉄の削りかすをキャンディーの空き瓶に集めること以外、伯父さんにはそれらしき趣味もありませんでしたし、一歩外に出ればそこには伯父さんへの嫌悪と侮蔑の視線が、煤けた大気と同じくらいに充満しておりましたから、気軽に外に出ることさえままなりませんでした。
 変化が現れたのは、三日目の朝のことでした。
 その日、朝起きた瞬間に、伯父さんは自分の体が妙に軽いのを感じました。伯父さんはハンモックから飛び降りると、顔を洗って髭を剃り、歯を磨いて、体じゅうを洗い清めました。サラたち一家がいなくなってからというもの、シャワーは週に一度浴びればいい方でしたし、歯磨きなどもっとでした。それでも毎日鉄を焼く火に晒されて、汗だけはたっぷりとかきましたから、伯父さんの体は日に日に異臭を放つようになっておりましたが、そのことを咎める者は、もはや工場には誰もおりませんでした。鏡に映った顔を見て、伯父さんは自分がこれまでいかに疲れ果て、そして不衛生であったかを知りました。体をすっかりきれいにしてしまうと、お腹がすいてきました。伯父さんは台所に立ち、スープ鍋を火にかけ、トーストを焼きました。あたたかいものを食べるのは久しぶりでした。しなびた野菜しか入っていないスープも、今はこの上なくおいしいものに思えました。
 伯父さんが、汽車に乗って、霧の村まで行ってみることを思いついたのは、この時のことです。霧の村へは伯父さんの住む町から何日も汽車を乗り継いで行かなければなりませんが、一ヶ月もあれば、行って帰ってくる時間は十分にあるように思えました。霧の村の規律が大変に厳しいことは伯父さんも伝え聞いておりましたが、いくらなんでも血の繋がった親戚なのですから、サラの顔くらいは拝めるに違いありません。
 そうと決まれば、伯父さんは急いで身支度をしました。人々が自分の醜い容姿に驚かないようにニット帽を目深にかぶり、せむしの背中が目立たぬように衣服を幾重にも着込み、最後の仕上げとばかりにマフラーをぐるぐる巻きにして、顔をうずめました。幸い、寒い季節でした。それから物置の鍵を開け、サラの父親が出張に行くときに使っていたトランクを引っ張り出してきて、ありったけの衣類と喘息の薬、ふと思いついて紙と筆記具まで詰め込んでふたを閉めると、金具をきちんと留めました。
 白フクロウのアルデバランも、伯父さんは連れて行くことにしました。あれから一度も、伯父さんは、アルデバランにサラへの手紙を託したことはありませんでした。サラに手紙をしたためることさえ無意義に思えるほど、伯父さんは自分が、生きることに投げ遣りになっていたことに気がつきました。アルデバランはサラだけでなく、ジークフリート伯父さんにもよく懐いておりましたし、おとなしくて賢いフクロウでしたが、汽車の乗るのだから裸のままではいけないと、伯父さんはアルデバランを注意深く鳥籠の中に入れました。アルデバランはやっぱりおとなしく、鳥籠の中で首を傾げて、急に忙しなく動きはじめた主人を、不思議そうに眺めておりました。
 仕事に行くときに首から下げていく小さなポシェットに、いつもより余分にお金を入れると、伯父さんの支度はもうすっかり整いました。伯父さんは片方の手にトランクを、もう片方の手にアルデバランの鳥籠を持つと、霧の村へと出発したのであります。
 駅につくころ、お昼にはまだ早い時間でしたが、すっかり意気揚々となっていた伯父さんに、しなびた野菜のスープとトーストだけの朝食はもの足りないものでした。伯父さんは汽車に乗る前に、ローストチキンとマスタード、スプラウトを挟んだサンドウィッチと、じゃがいものポタージュスープの缶詰を買い求めました。汽車の中でそれらを頬張りながら、車窓を流れていく景色を眺めて、伯父さんは心躍らせました。サラがいなくなってからというもの、何を口にしても、粘土の塊を食べているかのように味気なかったのです。それが、サラに会えるかもしれないと考えただけでこの有り様なのですから、やはり自分にはサラがどうしても必要なのだと、伯父さんは改めて、感じ入ったのであります。
 腹ごしらえがすっかり済んでしまうと、伯父さんはトランクから筆記具を出して、一筆手紙をしたためました。勿論サラに宛てて、自分とアルデバランが元気にやっていて、今、休暇を貰って霧の村に向かっている最中であるという内容のものでした。いきなり訪ねて行っては、いくら親戚と言えども失礼に値するだろうと考えましたし、サラにこのすてきなことを一刻も早く伝えたくて、いても立ってもいられなかったのです。伯父さんは書き終えた手紙をアルデバランに託し、汽車の車窓から空へと放ったのであります。
 ところがこの手紙が、サラに読まれることはありませんでした。アルデバランが霧の村に辿り着いたのが、サラがとうに眠りについた夜更けのことで、サラよりも先に母親のユーリアが、手紙をひも解いてしまったからです。その晩、まだ起きて魔法の薬を煎じていたユーリアは、外で物音がしたように思って、ダイニングの窓を開けました。
「まあ」
 部屋の中に飛び込んで来たアルデバランを、ユーリアは決して歓迎はしませんでした。アルデバランの来訪が、すなわちジークフリート伯父さんから手紙が来たことを示しているのは、明らかだったからです。いくら待っても伯父さんから手紙が届かないことを、サラはしきりに気に病み、ユーリアは内心、あの醜い男がやっとサラのことを諦めたのかもしれないと、せいせいしていた矢先の出来事でした。
「あの男が、とうとうサラに手紙を寄越したのね。どれ、見せてご覧なさい」
 そう言って、ユーリアはアルデバランの方へ手を伸ばしましたが、賢いアルデバランは、ユーリアが決して自分の来訪を歓迎していないことを悟ると、その手から逃れようと大きな翼を広げて、必死に部屋の中を飛び回りました。アルデバランは開け放たれたままになっていた窓から再び外に出ようとしましたが、怒ったユーリアに魔法で無理やり地面に引きずり下ろされて、とうとう手紙を奪い取られてしまいました。
 手紙を読み進め、ジークフリート伯父さんが今まさに霧の村に向かっていることを知ると、ユーリアの表情はみるみるうちに険しいものとなっていきました。
「ああ、なんてことでしょう。あの男はまだサラを諦めていなかった。こんなところまで、サラを追って来たのだわ。本当に、なんて汚らわしいのかしら」
 人間の町にいたころ、サラがジークフリート伯父さんと親しくすることを許していたのも、それは本当は心のうちでは嫌で嫌でたまりませんでしたが、サラが伯父さんを慕っていることはユーリアもわかっておりましたから、サラが望むならばと多少のことには目をつむってきたのです。しかし、手紙だけならまだしも、遠く人里離れた霧の村に来てまで、あの醜い男に介入されればならぬなど、ユーリアからすればとんでもない話でした。ようやく手に入れた家族だけのつつましい生活を、脅かされるような思いがしました。
 ユーリアは一つ呪文を唱えると、手のうちであっというまに伯父さんの手紙を燃やしてしまいました。残った燃えかすは汚いものでも摘まみ上げるかのようにゴミ箱に捨ててしまうと、村に一つきりの関所に、急いで連絡を入れることにしました。お母さんは魔法の羊皮紙と羽ペン、インク壷を取り出してきて机に広げると、じきにやってくるジークフリート・バルシュミーデという大層醜い人間の男は、小さなサラに執着する変質的な異常者で、サラの身の安全のためにも決して霧の村に立ち入らせてはいけない、多少手荒な手段を行使しても構わないから、とにかく追い返してほしい、という内容の文面を書き記しました。ユーリアが魔法の羽ペンを進めるそばから、文字は真っ赤に燃え上がり、忽ち羊皮紙から消えてしまうのでした。関所からの返事はすぐに、魔法の羊皮紙に浮かび上がりました。了解した、男の特徴を通達されよ、との連絡には、この上なく醜いし、呪いがじわじわと染み込んできているはずだから、すぐにわかるわ、とユーリアは返しました。また、サラに悪影響が及んではいけないから、ジークフリート・バルシュミーデが村を訪れたことは、くれぐれも内密にするようにとも書き加えました。
 一連の出来事を、白フクロウのアルデバランはしょんぼりと肩を落として、黒い大きな瞳で見つめておりました。アルデバランがまだそこにいることに気がつくと、ユーリアはアルデバランの体をぞんざいに引っ掴み、
「さあ、早くあの男のところに戻って、もっと深く呪いを刻み付けておやり!」
 と乱暴に外へ放り投げたのでした。それからユーリアは、ジークフリート伯父さんから手紙があったことをサラに知られぬように、部屋じゅうに散らばったアルデバランの白い羽を、きれいさっぱり掃除してしまわなければなりませんでした。
 何も知らないジークフリート伯父さんは、アルデバランの帰りを大層喜びました。
「サラに手紙を届けてくれたのか。偉いぞ、アルデバラン。サラからの返事はないのかい?そうか、私があんまり急に行くと言い出したもんだから、サラも支度をするのに忙しいんだな。部屋の掃除にでも、追われているのかもしれない。そうだ、お前にご褒美をやろう」
 伯父さんはトランクから、串刺しにして燻した蜥蜴の薫製の瓶を取り出しますと、アルデバランの前にひとつ、それを横たえてやりました。ところがアルデバランは、蜥蜴のしっぽを嘴で少し突ついただけで、落ち着かなげに背もたれの上を横歩きに右往左往し、伯父さんの衣服を引っ張ってみたり、蜥蜴の薫製をあしゆびで摘まんで伯父さんの前に持ってきてみたり、とにかくもの言いたげに、何かを訴えかけているようなのでした。
「どうしたんだい、アルデバラン。蜥蜴の薫製はお前の大好物のはずだろう?それとも、何だい。もっと高級なものでなくっちゃ、霧の村への往復運賃にはふさわしくないというのかい?」
 落ち着かないアルデバランの様子を見て、伯父さんは少し不安になりました。霧の村で一体、何かあったのいうのでしょうか。しかし伯父さんは、もういくらもせずにサラに会えるのだからと気を取り直し、ほかのお客さんに迷惑がかかってはいけないと、アルデバランを鳥籠に戻し、ほとんど手をつけられていない蜥蜴の薫製もいっしょに、入れてやったのでした。

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