ヴァルプルギスの魔法使いたち 5

 村の関所では赤髭の衛兵が、回転椅子にもたれ、行儀悪く窓辺に足を投げ出して、退屈そうに口髭をいじりまわしておりました。すっかり気を抜いていたものですから、目の前を横ぎって行く小さな女の子の姿に、慌てて外に飛び出さなくてはなりませんでした。
「おっと!どこに行く気だ?サラ」
 衛兵に襟首を捕まえられ、馴れ馴れしく名前を呼ばれて、サラは足をばたつかせました。
「放して!私は伯父さんのところに行くのよ!」
「ああ、あの酷く醜い、ジークなんとかって男か。覚えてるぜ、なんたって、あんな醜い男はこの世に二人といない。今思い出しても、おぞましい姿だったぜ」
 小さなサラの抵抗など意にも介さず、衛兵は空いた手で口髭をいじりまわしながら、つまらなそうに言いました。サラは泣き腫らした目で、衛兵を思いきり睨みつけました。体と態度ばかり大きくて、弱いものいじめが大好きな、てんでろくでなしのこの男が、ジークフリート伯父さんを痛めつけた張本人であるに違いなかったからです。赤髭の衛兵はわざとらしく、肩をすくめてみせました。
「おお、怖い怖い。まだガキのくせに、人を呪うような目をしやがる。何せあのユーリアの娘だ。下手に恨みを買わないように、扱いにゃ気をつけなくっちゃなあ」
 勿論、そんなことは口先だけで、小さなサラがどんなに睨みつけたところで、赤髭の衛兵は痛くも痒くもないのでした。
「私は人を呪ったりしないわ!いいからここを通してよ!」
「それはできないねえ、お嬢さん。ここを通りたけりゃ、ちゃんとご両親の許可を得て、役場で関所越えの手続きをしてこなくっちゃあいけない。言っとくが、おれが決めたわけじゃあないぜ。村の規則でそうと決まってるんだから、いくらお嬢さんがお急ぎでも、例外は認められないねえ」
「あなたに私を止める権利なんかありはしないわ!」
「調子に乗るなよ、クソガキ」
 衛兵は、それまでの柔和な口ぶりがうそのように急に低い声音を出したかと思うと、サラの首根っこを軽々と掴み上げ、村と外との境界線の内側へ乱暴に放り投げました。
「あっ!」
 踏み固められた地面に叩きつけられて、サラは痛みに呻き声を上げました。それでも赤髭の衛兵が近づいてくるのを見ると、なんとか上体を起こして、じりじりと後ずさって逃げようと試みました。しかし、衛兵はあっという間にサラの襟元を掴み上げると、腰を屈め、頬に息がかかるほどの距離で、地の底から響くようなどすの利いた声で言いました。
「ユーリアは一体、お前にどんな教育をしてるんだろうなあ?ガキで、女で、ちょっとかわいいからって、誰もが甘やかしてくれると思うなよ。あいにく、おれはたとえガキであろうと、規律を乱す奴に容赦はしねえんだ。これ以上痛い目を見たくなかったら、おとなしく家に帰れ。わかったか?」
 サラは恐怖にがたがたと震え、はらはらと涙をこぼしました。襟元を掴んでいた無骨な男の手からようやく解放されると、猫のようにしなやかな身のこなしで衛兵から距離を取り、最後にもう一度、唇を横に引き結んで恨めしげに衛兵を睨みつけました。それから素早く踵を返して、元来た方へと駆けて行ってしまいました。サラの後ろ姿が遠ざかってしまうと、衛兵はひゅうと口笛を一つ吹いて、下卑たにやにや笑いを浮かべて言いました。
「おっかねえ子猫ちゃんだ。ありゃあ将来、いい女になるぜ」
 サラは泣きながら、明かりの絶えた学校や、バルシュミーデ家の前さえも通り過ぎて、今度は村の反対側へと向かいました。衛兵に、関所の通行を阻まれている以上、村の外に出ることは叶いそうもありません。どうやら自分はとんでもないところに連れて来られてしまったのだと、サラは今更ながらに思いました。霧の村は、外界の者を阻むだけでなく、村の者たちにとってもまた、牢獄なのです。十一歳になるまで人間の町で育ったサラは、ただでさえ、村の子供たちよりも魔法を使いこなすことにおいて劣っておりましたから、大人でさえも阻む霧の村の結界を破ることなど不可能に等しいことでした。こうなっては、伯父さんに接触を試みる手段はもはや手紙しかありません。フクロウを使役していて、なおかつ信用のできる相手に、頼むしかないだろうとサラは考えておりました。そう、サラはまだ諦めてはいなかったのです。
 サラがやってきたのは、村の最も西にある、二階建ての、青い屋根の家でした。正面玄関の呼び鈴を鳴らすこともなく家の裏手に回ると、明かりの灯っている二階の窓に向かって、サラは懸命に呼びかけました。
「ヨルク!ヨルク!いるんでしょう?聞こえていたら顔を出して!」
「サラ?」
 すぐに窓が開いて、一人の少年が顔を出しました。大層色の白い、細おもての少年です。少年はサラの姿を見て、困惑した様子でした。何しろサラは、衛兵に手酷く投げ飛ばされたせいで、服も顔も泥だらけだったのです。
「こんな時間にどうしたの?それに、その格好……服も顔も汚れているよ」
「ツェツィーリアを貸してほしいの!」
 ヨルクの問いかけには答えず、サラは言い募りました。ツェツィーリアというのは、ヨルクの使役するメスのフクロウです。アルデバランより体は小振りですが、ルビーの瞳と、白地に黒の縞模様が入った羽が大変美しく、そしてとても賢いフクロウでした。
「それは構わないけど……。そんなに血相を変えてどうしたの?一体何があったの?」
「あなたも知っているでしょう、衛兵さんに追い払われた人間の男の人、フクロウを連れた……。あれは私の伯父だったの!ジークフリート・バルシュミーデ、私の父の兄よ。その彼が私に宛てた手紙を、母さんが先に見つけて、焼き捨ててしまった。母は伯父を嫌っているから、村に入れないように、母が手を回していたのよ。私、伯父さんに謝らなくっちゃいけない!伯父さんに手紙を出したいの!お願いよ、ヨルク」
「……なんてことだ」
 ヨルクはまるで自分のことのように口元に手をやり、痛ましげな表情を浮かべました。
「待ってて。すぐにそっちに行くよ」
 ヨルクは窓から突き出していた顔を引っ込めました。足音がして、どうやら階段を下りているようでしたので、サラは玄関の方に回って彼を待ちました。
「母さん、ぼくちょっと出かけてくるよ。友達が来たんだ」
 ヨルクが母親にそう言っているのが玄関ドアの向こうから聞こえてきて、サラは急にヨルクの身の上が心配になりました。さっきは無我夢中で、ろくに考えもせずにヨルクを呼びつけてしまいましたが、サラはまだ十一歳、ヨルクに至ってはいくらしっかりしていると言っても、まだ十歳の子供なのです。日が暮れてから出かけるなど、家の人を心配させてしまうかもしれないと、サラは考えました。
「お待たせ」
 斜めがけの鞄を持ち、ツェツィーリアを肩に乗せて、本当にすぐにヨルクはやってきました。
「こんな時間に外へ出て大丈夫?」
 サラは申し訳なさそうに尋ねました。
「平気さ。家だと母さんに聞かれてしまうかもしれないからね。うちの母さん、盗聴や覗き見の魔法が大得意なんだ。趣味悪いだろう?」
 そう言って、ヨルクは困ったふうに肩をすくめました。
 ヨルクは小柄で、線の細い、つり目がちの美しい少年です。体が弱く、病気がちではありましたが、霧の村の人たちの中で、サラはヨルクを最も信頼しておりました。ヨルクは他の村の人たちのように、他人の不幸から昏い悦びを得たり、下世話な話にハイエナのように群がったりはしませんでした。物静かな少年でしたが、背筋だけはいつもすっと伸びて、周りの人たちがそうした話をしていても毅然として動じず、決してその輪の中に立ち入ろうとはしませんでした。
 それでもヨルクが子供たちから一目置かれていたのは、彼がとても、魔法の才に長けていたからです。ヨルクの力は十歳にして大人をも凌ぐほどで、彼をよく思わない上級生三人に喧嘩を吹っかけられて、いっぺんにのしてしまったこともあるのだと、周りの友人たちはサラにこっそり教えてくれました。控えめでおとなしいヨルクは、一見すれば喧嘩が強いようにはとても見えませんでしたから、その話をはじめて聞かされたとき、サラはびっくりしたものでした。しかし、言われてみればヨルクの美しさはどこか、冷たい温度を持って見る者を惹きつけるような気もするのでした。
 そうした経緯もあってか、子供たちは決してヨルクを敵に回そうとはしませんでした。村の子供たちからすればよそ者のサラが、早くに学校に溶け込むことができたのも、ひとえにヨルクがサラと親しくしていたからにほかなりませんでした。霧の村の気質に馴染めずにいた二人は、幸いすぐに仲良くなることができたのです。
 二人は公園のベンチで、手紙を書くことにしました。ヨルクはかばんの中に、紙や筆記具、スケッチボードまで、手紙を書く道具の一式を持って来てくれていました。サラが見るからに何の用意もして来ていなさそうなのは、明らかだったからです。サラは自分がどれほど我を失っていたかを知って恥じ、ヨルクの慧眼に感じ入り、何度も何度もお礼を言ったのでした。

ジークフリート伯父さんへ

 この手紙が届くころには、伯父さんはもう霧の村から遠く離れたところに行ってしまっているかもしれませんね。
 人づてに、伯父さんが霧の村の関所を訪れたことを知りました。衛兵さんが伯父さんに酷いことをしたようね、本当にごめんなさい。だけど、伯父さんがアルデバランに託した手紙は、私の元に届いてはいなかったのです。母さんが私より先に手紙を見つけて、燃やしてしまっていたの。今日、私はようやくそのことに思い当たって、ゴミの麻袋の中からたくさんの白い羽と、手紙の燃えかすを見つけたわ。本当に、気づくのが遅れて、私は伯父さんになんて謝ったらいいのかわかりません。もう、あなたに許してもらえないかもしれない。でも、伯父さんが、霧の瘴気がもたらす熱病にうなされていないか、衛兵さんから酷いことをされて怪我でもしていないか、私は心配でならないのです。だからせめて、この手紙が伯父さんの元に届いたら、無事でいるかどうか、それだけでも返事をしてほしい。
 本当は今すぐにでも箒に乗って伯父さんのところに飛んで行きたいけれど、村の関所は両親と役場の許可がなければ一歩も通してもらえないし、村には強力な結界が張ってあって、どうやらそれは叶いそうもありません。あなたが無事でいることを、今は心の底から願うばかりです。
 いつかあなたと、再び相まみえる日を願って。

永遠にあなたの姪、サラ・バルシュミーデ


追伸

 この手紙を届けてくれたフクロウの名は、ツェツィーリアといいます。私の友人、ヨルク・ドロッセルマイアーという、十歳の魔法使いが貸してくれたの。霧の村の居心地は決してよくはないけれど、彼はとてもいい人です。私がこうして伯父さんに手紙を書くことができたのも、ひとえにヨルクとツェツィーリアのおかげであることも、加えて書き記しておきます。

「……うん、これでいい」
 ヨルクはツェツィーリアの左足に手紙をくくりつけると、ほどけてしまうことがないようにその結び目の具合を確かめてから、彼女の小枝のようなあしゆびを手の上にすくい取り、紺碧の夜空に向かって高々と掲げました。その姿の優雅なことと来たら、まるでどこかの国の、貴族の若者のようでした。
「さあ、ツェツィーリア。ジークフリートさんのところに、サラの手紙を届けておくれ」
 言い終わるや否や、ヨルクの言葉を解したかのように、ツェツィーリアは夜空に翼をはためかせ、飛んで行ってしまいました。遠ざかって行く小さなツェツィーリアの姿を眺めて、サラは心細そうな顔をしました。アルデバランのしっかりと重みのある体躯と比べると、その姿は随分と心もとないもののように思えたからです。
「大丈夫かしら」
 ヨルクといっしょに彼女を見送って、サラはぽつんと呟きました。
「大丈夫だよ。ツェツィーリアは小いけれど、とても賢い子だから」
 ヨルクの声は自信に満ちて聞こえました。サラはちらりとヨルクの横顔を盗み見ました。つり目がちなヨルクの横顔は、やはり冷たい美しさを孕んでいるようにサラには思われました。ヨルクが大丈夫と言うのならそうなのだろうと思って、サラもそれ以上、不安を口にすることはしませんでした。せっかくこうして快くツェツィーリアを貸して貰ったのに、あんまり疑ってかかるのも、失礼なことだと思ったのです。
「さあ、今日はもう遅い。きみの手紙はひとまずツェツィーリアに任せて、ぼくたちは家に帰ろう。もしもツェツィーリアが手紙を届けられず、ぼくのところに戻って来た時には、すぐにきみのところに向かうから、今夜は窓を開けておいて。その時は今度こそ、何としてでも村を出て、ぼくたちでジークフリートさんを探そう」
 サラはやはり不安げに、こくりと頷きました。
 それからヨルクは、サラをバルシュミーデ家の前まで送り届けることを申し出ました。公園から二人の家へは真反対の方角にありましたから、サラは大層恐縮し、これ以上助けて貰うわけにはいかない、ヨルクだってまだ小さいのだから、寄り道などせずに家に帰るべきだと主張しましたが、ヨルクは女の子に夜道を一人で歩かせるわけにはいかないと言って譲らず、サラは渋々、その申し出を承諾したのでした。
「世界って、醜いわね」
 月明かりに伸びる二人の影法師のように、サラはぽつんと言いました。霧の切れ目に見え隠れしながらも、月の光は蒼々と、霧の村の様相を映し出していました。
「強い者が統べるように、世界はそうできているし、どんなに正しくても、大人の前には子供は無力なのだわ。私やジークフリート伯父さんにとっては、世界に対して足掻くのさえ、こんなにも難しいことなんですもの」
「サラ」
 ヨルクはふと、真顔になって、隣を歩くサラを見つめました。
「きみは今、誰かを憎いと思っている?」
「……よくわからないわ」
 少し考えて、サラは言いました。
「考えてみれば、あの衛兵さんは自分の仕事をこなしただけですものね。罪があるとすれば、それは手紙を燃やしてしまった私の母のものだけれど、私を産んでくれた母さんをずっと憎く思い続けることなんて、私にはできないわ」
「そうか。なら、いいんだ」
 ヨルクはどこかほっとした様子で、前を向きました。そうして二人はもう、互いにふっつりと押し黙ったまま、隣り合う地面の影法師を見つめて、ぶらぶらと歩いたのでした。
 バルシュミーデ家の前まで辿り着くと、サラはおもむろにヨルクの手を取り、彼を見つめました。
「おやすみなさい、ヨルク。今日は本当にありがとう。今日のことはどんなに感謝しても、感謝しきれないくらいだわ」
 ヨルクは、両手で包み込むように触れてくるサラの手に戸惑い、仄かに頬を染めたように思われましたが、それでもしっかりとその手を握り返すと、自分よりいくらか上背のある彼女を見上げてほほ笑み、まるでそれが秘密の呪文であるかのように、そっと囁いたのでした。
「おやすみ、サラ。ジークフリートさんの無事と、きみの安らかな眠りを、心から願っているよ。きみとジークフリートさんに、薔薇の朝露のご加護があらんことを」

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