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バレエと美しいを考える

バレエはこの世で1番美しい芸術

だと思っている。一度劇場に足を運べば、その美しさに目が眩む。

しかし、その美しさ言葉にして論理的に説明しろと言われるととても難しい。「なんか、こう、胸にくる感じが……」となってしまって、論理的になんて言えたもんじゃない。むしろ、論理的に言えてしまうと、感じたその感動がとても陳腐なものに思えてしまう気がしてしょうがない。そんな理由から、バレエにおける美しさに対して、思考を放棄してきた。

しかし、何となくで美しいと称してしまうということは、それ以外のものは理由なく切り捨てられていることにならないだろうか?
今こそ、改めてバレエにおける「美」を考えなければいけないのではないだろうか。


What Would it Take to Change Ballet's Aesthetic of Extreme Thinness?

https://www.dancemagazine.com/ballet-body-2646451850.html?rebelltitem=2#rebelltitem2

DANCE MAGAZINEの記事で、細さを追求することこそがバレエにおける美とされてきた価値観に、疑問を呈する記事である。
ある生徒は、胸の大きさがクラシックバレエに向かないとして、コンテンポラリーバレエの道に進むことになったという。「トゥシューズで踊ること(つまりクラシックバレエ)を諦めたくない」という彼女に対し、「周囲は胸を減らす手術を受けたらどう?」という反応だったという。
「私のテクニックや芸術性に関わらず、何で体の形だけで差別を受けなくてはならないの?」
当たり前のように思える彼女の疑問も、バレエ界では曖昧な美の基準によって、かき消されてしまうのである。

この記事の面白いところは、バレエのテクニックの仕組みを論理的に示すことによって、「バレエの美=究極の細さ(体重主義も含む)」という価値観に根拠がないことを示しているところだ。

Q.細くないと、爪先立ちするときの負担が大きいんじゃない?

Q.男性にリフトされるときに、細いほうがいいんじゃない?

A.いやいや、自分を支える筋肉がない方が負担になる
 (脂肪より筋肉のほうが、重量があることを受けて)
と言った具合である。

美しさに根拠はあるか?

バレエを習っている人はよくご存知かと思うが、バレエのテクニックに関しては非常に論理的なのである。ただただ股関節を開いていのではなく、体の構造上、股関節を回すことによって、可動域が広がり足を高く上げられるようになる、と言った、体の使い方には明確な理由があるのである。

その一方で、美しさには根拠がない。バレエの歴史を辿れば、バレエはその時代・地域に合わせて、柔軟にその姿を変えてきた、したたかな芸術である。バレエにおける美の概念も、おそらく変化してきたはずである。しかし、最近は何だか美の概念が停滞してはいないだろうか?
美の多様性が認められるこの時代に、まだ「究極に細いこと」がバレエにおける美として君臨し続けているのは、何だかおかしくないだろうか?

おそらく、バレエを習っている子供たちは、幼い頃から問答無用で、凝り固まった美の概念を刷り込まれてきた。その美に該当しない自分は、醜いものとすら思ってしまう子もいるはずだ。なんて悪しき風習である。

一回、いろんな刷り込みから離れて、バレエを見るときに何を美しいと思うのか、考えて見る必要がないだろうか。
本当に、細い線に美を感じているか、細さは関係なく鍛え上げられた体のラインなのか、繰り出される動きなのか。
自分の美の感覚は大事にしたい。別に、細い線に美を感じてることだって素敵だと思う。
しかし、自分の美の感覚に無自覚なのはダメだ。他人から刷り込まれただけの美だけを信じて、思考を放棄してはダメだと思う。
自分が美しいと思うことは、裏を返せば美しいと思わないこともあるということ。そして、それは他の人にとっては美しいものであるかもしれないこと。
自分にとっての美の価値観を明らかにしなければ、無自覚のうちに、いろんな「美」を踏みにじってしまうに違いないのだ。