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堤義明は語る 休日がほしければ管理職を辞めろ

堤義明氏は西武グループ創業者の堤康次郎氏の息子として西武グループ総帥となり、先代以上の活躍で西武の一時代を築き上げた実業家である。

異母兄・清二は西武百貨店・西友・パルコなどの流通部門(のちのセゾングループ)を率いたのに対し、義明は不動産事業・鉄道事業を継承し、そこに観光事業をバンドルさせて西武王国を築いた。買収による西武ライオンズの立ち上げを経て西武は黄金期を築く。堤義明は西武王国をトップダウンで仕切るカリスマ経営者として、政財界での影響力も持ち、フォーブスに"世界一の大富豪"として取り上げられることもあった。最盛期の資産は推定40~50兆円とも言われる。ソフトバンク孫氏やユニクロ柳井氏を大きく上回り日本歴代1位の金持ち(だった)といえる。

しかし2004年、総会屋への利益供与が発覚し翌年2005年、有価証券報告書の虚偽記載やインサイダー取引によって義明氏は逮捕される。その後は凋落を重ね、現在では西武グループとの資本関係もなくなりJOCに影響力を持つに留めている。

 本書は堤義明氏が絶好調で政界進出の噂もあった1984年に出版された、堤氏と著名人の対談をまとめたものである。

インフレ時代の事業の興し方

磯田(住友銀行会長) 超インフレのときは金を借りる。うちからいえば貸すわけです。そうすると債務者利潤で借りたほうは儲かったですね。とにかく金を借りる。超インフレ時代はそれがいい経営者だったわけですね。それは堤さんの先代もまさにそれを名人芸でやられた。そういう時代だった。
そうなんです。親父は金融機関から金を借りられたら、もう90%仕事はできたと。
磯田 そうなんです、あのころはね。
残りの9%は土地を買ったときだというんです。だから銀行からお金を借りて、土地が買えたら、もう事業は99%できていると。
磯田 インフレ時代はそれが名経営者だった。ところがそういう超インフレとかインフレ時代はもうきませんわ。永久に来ません。

戦後企業の勝ちパターンを端的に示す対話である。西武のビジネスモデルは優良な土地を開発し、鉄道や観光地を作ってバリューアップさせるプラットフォーム型ビジネスである。したがって在庫となる土地や建物の仕入れと、そのための資金がビジネスの根本だというわけだ。

趣味なんか持ってたら事業は成功しない

賭けごとが好きな経営者は自分の仕事に真剣じゃないと思いますよ。勝った、負けたで、神経すりへっちゃって仕事どころではないですね。
中内(ダイエー会長) 自分の店を100億円かけてつくるというのもバクチみたいなものですよ。毎日が勝負の世界ですからね。
勝負ごとの好きな人は朝晩すりきれちゃって、私生活でもさえない。
中内 朝起きると、天気をまず見て、それから新聞をみて、他社の広告がどんなものが出ているか、それだけが気になってしようがない(笑)。
新しい商売を始めると、一週間ぐらい毎日行きますよ、気になってね。軌道に乗っちゃうと、他人にまかせますね。
(略)
趣味なんかもってたら、事業は成功しませんよ。
中内 店へ行って、商品をみているのが一番おもしろいですなァ(笑)。お客様の買い方やなんかで、この商品が売れるのかどうか、をみていた方がおもしろいですね。

父親から仕込まれた帝王学で、堤氏は公私を分ける考え方にかなり否定的だ。取引先の社長に深夜に電話して出なかったら取引を打ち切るなどとも書いている。時代柄、そういう仕事の仕方は支持されなくなっているが、ホテルなどで客を24時間相手にしているのだから、部門の責任者やホテルの支配人、経営陣も24時間体制で仕事しなければならない、という主張である。

お客さんから教わったことをやってればいい

―堤さんの会社はスポーツマンが多いですね。
私は口より先に手のほうが速いからねェ・・・(笑)。体力があるヤツでないと、つとまらない。
中内 そりゃ、体力が一番ですよ。なんぼ頭が良くても、体力がないと、まず部下から信頼されませんわな。理屈ばかりこねて、自分は何にもしないという人はダメですね。私も体力だけでやっておるわけでして、体力だけは誰にも負けんつもりですわ。
いま、うちの会社の仕事はお客さんが教えてくれるんです。ですから、頭のいい社員は必要ないんですよ。お客さんの声をそのまま反映してくれればいい。お客さんのアドバイスに素直に従う社員が優秀な社員なんです。
 頭脳のいる仕事は、外部に求めればいいんです。頭のいい連中というのは、忠誠心とは関係なく、お金さえ払えば、いくらでもいい知恵を出すんです。彼らは自分の才能に酔っているから、仕事を与えればいい結果をくれるんですよ。これは内部にいれると、逆に才能を殺してしまいますね。
中内 そういう人はすぐ飽いて来るんですね、クリエイティビティのある人は。芸術家のような人がきたない格好をして、ジーパンをはいて会社にこられたら、会社として困ります。

堤氏は人を見る上では能力よりも考え方を重視している。西武の頭脳は堤氏と側近だけで、あとはお客様のために尽くす忠誠心を持った社員がいればいい、ということだ。

モノは売ってやる、買わせていただく

中内 先代から教わったことで一番感銘されたことはどういうことですか。
私は埃の中で育ってきた。小学校の頃から工事現場の中に家があって、宅地造成が終わると引っ越すという感じだった。だから、トロッコを押すのは手伝わなかったけど、埃のたつ中で図面広げてここを削ろうとか、そういう土地分譲の現場をみて育ってきたわけです。だから、実業家なんて派手なものではなく、商人の子として商売とはなにかを教わってきた。つまり"モノは売ってやる、買わせていただく"ということなんですよ。売るときは大いばり売ってやれ、つまり、お客さんの方が頭を下げて買いに来るようなモノを作ってやれ、ということです。一方、モノを買うときはいいものを安く売っていただくんだということで、頭を下げて買ってくる。売りと買いが逆なんですね。これがうちのオヤジの哲学だったですね。

どこまでが自分の話、親父の話かわからない

うちの親父の話には自分のおじいさんの話しか出てこないんですよ。「おじいさんの経験は全部自分の中に生きているから、お前はオレの経験を生かせば一人前になる」というんです。早く自分のものを教え込むというので、高校入ると同時に、ベッタリついて教え込まれましたね。だから、どこまで自分の考えで、どこから親父の考えなのか、よくわからないんですよ。
中内 世の中の商売はみな、基本というか定石は一緒ですよ。私なんかも小林一三さんの本なんか読んでますと、我々のやっていることは小林さんがみんなやっているんですね。私もお客様に教えていただいているんですわ。それを社員に徹底させるだけです。

義明氏の父親、堤康次郎は極めて封建的な家父長制を敷いた。具体的には康次郎氏の帰宅時には家族総出で玄関で膝をついて出迎えなければならない。歯向かおうものなら容赦なく平手打ちされる。学生時代の義明氏が父親と外出する際は目的地までのルートを事前に調べ上げ、建設中の建物などについて質問された際にはどこの会社が何を作っているかなどを即答しなければならなかった。長男や次男(清二氏)が反発して父親に離別を突きつけたのに対して義明氏は最も忠実に従った。

管理職に休みはない

管理職でない人は、オーバータイムも出れば、夏休みもある。そういうきちっとした労働条件で働くわけです。管理職は、事業所が休みでお客さまが来ない日にはメインテナンスすることになっていますから、事業所があるかぎり、休みはないわけですよ。
城山(三郎。作家) もちろん、社長ともなれば、仕事が頭から離れることは本当にないわけですね。抜いちゃうとダメですか。
ダメです。戻れないです。
城山 抜く必要もないとお考えなんですね。
アメリカ人でも社長のあいだはみんな全力投球してますね。5年社長をやって胃が悪くならないっていうのは、どんな仕事やってるんだ、っていわれますよ。
城山 胃が悪くなりっぱなしですか。
悪くなるのが普通だということですから、社長業もあまりやりすぎないように権限を委譲して、自分の責任を軽くしていかないともたない。また、その方がかえってうまくいくわけです。自分がやった方がいいものと、人に任せたほうがいいものとの、状況判断を的確にすることです。

義明氏の考え方は典型的なハードワークかつトップダウン型経営である。例えばホテルで使うコップ1つまで堤氏が指示することがあるという。委譲するか、徹底管理するかで、半端なことはしない。新規のホテル建設など、プロジェクト単位で義明氏が陣頭指揮を取り、黒字化して軌道に乗ったら別の人間に任せるスタイルが多かった。

本当の世論とは

(田中角栄について)
田中さんのことでは、いろいろいわれていますが、そもそも私は、雑誌も新聞も、あんまり読まんのです。目は通しますよ。1日、2時間はかけるけれど、要するに流すだけ。新聞が世論だと思ったら、間違ってしまうんです。われわれの世論というのは、じかにきいたお客様の声です。みんながいま何を考えているかは、大勢の人と肌で接してみてわかるんです。新聞ではわかりませんね。
藤原(藤原弘達 政治評論家) そう、たしかにマスコミだけでは、世論の動向を間違ってしまうところがありすぎますなあ。
政治家も官僚も、新聞を読んで、あれを世論だと錯覚しているのは、大問題です。われわれサービス業は、その場でじかにきいて、それをすぐ反映していかないとダメでしょう。しかも、投資というのは、十年先のものを作るわけですから、今の声を聞いて10年後を推測していくわけです。

前回紹介した「僕は君たちに武器を配りたい」でも、メディアの情報を鵜呑みにせず批評的に受け入れないといけないと書かれている。また、加藤紘一元自民党幹事長が森政権に対して仕掛け自滅した「加藤の乱」の敗因の一つには、加藤氏が自身のホームページに寄せられる「ご意見」を国民世論だと勘違いしたことが挙げられる。(このエピソードは こちら を参照)

人は振れていない情報や技術を盲目で受け入れたり(5Gが話題なのが典型)、局所的な意見を全体的な意見と取り違えてしまうことが多い。それを避ける最良の方法として、現場の声・お客様の声に集中すべしということだ。

山に100時間入る

ゴルフ場の造成でも自分でプランをつくりますから、現場にじかに見に行って、伐採ラインを決めて、木を切って、切り盛りの図面つくって、現場で修正して・・・。いま埼玉県の宮沢湖でつくっているゴルフ場の場合、百時間も山に入ってるんです、私自身が。
5つゴルフ場つくるとすると、そのうちの1つを自分で何もかもやるわけです。それによってまったく他人にまかせっきりのほかの4つのゴルフ場全部がよくできるんですね。なぜかというと、デザインやってる人も一生懸命やるわけです。悪かったときには私は自分の体験に即してビシっと厳しくやるから。それと、このデザイナーはまかせて大丈夫だという眼を養うためには、自分で一つのものを徹底してやらないとダメなんです。また、まかされた者というのは、全部まかされると一生懸命やるんですよ。中途半端に口は出さないほうがいい。

観光地になる町の条件

こっちから頼んでやらせてもらうということはしない。そういうかたちではだめなんです。町長さんが十ぺんくらい東京に出てきて、地元が一丸となって、町会議員が全員で視察に行ってる。それで熱心にあちこち調べた中で、私のことを気に入って、ぜひやってくださいといったらやるけど、両天秤かけて、あちこちへ話を持っていくというところとはやらない。
 そうして地元へ行って、町長の家へでも行って、そこで漬物と味噌汁がまずかったら、それはもう開発しない。そういうところは絶対、観光地にならないですからね。
上之郷(作家) そういうアイデアも、お父さんから教えられたものですか。
さあ、それはどうですかね(笑)。ピタッとこないとだめなんですよ。行ったときに、村じゅうの人が、ああよくきてくれたということで、ニコニコしてくれるところはいい。うさんくさそうに見られたら、もうやめ。そういうところは、お客を受け入れる観光地にならない。この事業の初めはお見合いと一緒です。

この話は解釈が分かれると思う。堤氏が完璧主義で、100%意見を受け入れる町とだけ組む強権的な人物であるという見方。もう一つは、付き合う相手とは家に行って飯を食うほどの仲になるほど、地元との信頼関係・人間関係を重視しているという見方。どちらも堤氏の一面としては正しいものだろう。

チーム運営

(西武球団では選手の飲酒・喫煙が禁止されていることについて)
それは一度言ったことを変えないからですよ。最初作ったときにルールを決めておりますから。どんなに戦力になろうとも、規律を乱したものは切れというのが、チームを作る時の憲法ですから。
針木(経済評論家) これが凄いんだよね。
それを守らなきゃ、全体の秩序は守れないですよ。大勢の人間をまとめていくには、規則を作らなきゃダメです。そして作った規則を守らなかったらダメです。スポーツというのは、規則を作った上に成り立つわけですよ。審判も間違えることはあるんです。間違いというものも認めて、審判が出したジャッジには従わなきゃスポーツは進行しない。

(左遷について)
なぜ左遷が必要かというと、みんなが一生懸命やっているときに、いいかげんなことをしていると、みんなの士気に影響するからです。それはどかさなきゃいけない。たまたま一生懸命やっていたものが、間違えられることもある。しかし実力のあるものは、間違えられても、またそこで一生懸命やるんです。で、あのときは間違いだったということで戻ってくる。

評価が難しい堤義明氏の功績

先代が西武鉄道を中心に築いた西武グループを、義明氏は土地を活かした観光事業で拡大させ、西武黄金期を作った。兄の清二氏は積極経営でデパートやスーパーの売上は伸ばしたものの負債額も拡大し、結局年間の営業利益の数倍の利息が負担となり、経営危機に陥った。事業の安定性と経営の一貫性については、義明氏のほうが遥かに優れていたと思う。

しかし2004年、不祥事に見舞われた西武は義明氏が退任。西武と堤家の間の人的・資本的関係は解消された。結局義明氏は西武グループの支配を維持できず、株もたった50億円で手放したという。後継者としての責務を果たせなかったわけである。

いったい堤義明氏は何を間違えたのか。この続きは次回に検証したい。


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