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四姉妹の話~赤(ルージュ)~

 その家を選んだのはほんの偶然だった。
 私はけちな空き巣だ。かといって、元々盗みで生計をたてていたわけではない。以前は画家をしていて、描けばそれなりの額で絵が売れる、界隈では名の知れた画家だった。だが、あの戦争がすべてを打ち壊した。
 絵筆に使われている金具さえ金属だと接収され、絵の具の価格は青天井に高騰し、一枚の絵を仕上げるのに屋敷が建つくらいの金額が必要になった。にも関わらず、戦争には不要なもの、として絵はまったく売れなくなった。私程度の画家では絵で生計を維持していくのが不可能になり、貯金を切り崩して生活し、それでも苦しくなって盗みに手を染めた。
 危険と金品に対する嗅覚があれば、空き巣ほど安全な仕事はない。
 私はこれまで百以上の家に忍び込んだが、家人と出くわしたり見つかったのは、たった一度だけだ。一度でもあるのなら安全ではないではないか、と思われるかもしれないが、その家は家人も含め、奇妙だったのだ。だから私の嗅覚も働かなかったのではないかと思う。その家の話をこれからしよう。
 家は上流階級に片足を突っ込んだようなお屋敷だった。かといって広大な敷地の中に巨大な屋敷が建っているのではなく、高級住宅地の中の一角、ちょうど辻にあたる場所にブロンズの門柱を立て、初夏の庭にはサルビアやパンジー、ガーベラやダリアが咲き乱れていた。
 住んでいるのは老人一人だと調べがついていた。そして機械のように正確なスケジュールで動く人間だということも分かっていたため、老人が散歩に出ている時間帯を見計らって、一階隅の風呂場の窓が常に解放されていたので、そこから忍び込んだ。
 私は外から確認できる限りの情報で描き上げた部屋の間取り図のスケッチを手にしながら、まず二階に上がった。
 二階には老人も足を踏み入れないのか、階段には埃が積もっており、上がりきって五つある部屋を調べようと扉に手をかけたが、どの部屋も鍵がかかっており、ピッキング用の針金を使って開錠を試みたが、私ごときの技術では到底歯が立ちそうにない鍵だった。
 針金をポケットに突っ込みながら、二階の探索を諦め、一階に下りてリビングに入ると、私は背筋が凍りついてその場に固まってしまった。
 散歩に出ているはずの老人が安楽椅子に腰かけて、煙草をふかしながらこちらをじっと見ていたのだ。
「どちらさまですかな」
 老人は鷹揚な口調で問うた。その声には敵意も緊張もなく、純粋な疑問から訊ねた、という雰囲気が漂っていた。
 私は老人がどの程度頭がしっかりしているのかとか、家族構成はどうだとか、この辺りのコミュニティとどれくらいの関わり方をしているのかとか、そうした情報がなく、そこまで仕入れてこなかったことを恨みに思った。情報さえあれば、嘘をするりと蛇のように入り込ませる余地を作ることができるのだが。
 一か八か、と考えて、私は笑顔を作りながら、「近所のブルームですよ。今日はお散歩されている姿を見かけないので、何かあったかと思ったんです」と白々しく言った。
「ああ、ブルームさん」と老人は相好を崩して立ち上がろうとしたので、私はそれを制して「おかけのままで。お元気そうなので安心しました」と善良な隣人を装って言った。
「お姿が確認できれば大丈夫です。では、私はこれで」
 頭を下げて辞そうとすると、老人は「お茶でも」と引き留める。これ以上留まるのは危険だと私は丁重に断って帰ろうとするが、そのとき振り返った壁に四枚の写真が額に収まって飾られているのを見つけた。
 四枚の写真にはそれぞれ特徴的な四人の女性が写っていた。私の目を引いたのは、その中の一枚、赤髪に赤い瞳、真紅のドレスを身に纏い、身の丈ほどもある両手剣を携えた美しい女性と、その女性によく似たやはり赤髪に赤い瞳の幼子が城壁のようなところに立っている写真だった。
 私は自然と写真を手に取ると、振り返って老人に「この人は」と訊ねた。
 老人は嬉しそうに「ああ、ああ」と何かを伝えようと言葉にするのだけれど、興奮しすぎて考えている言葉にはならず、喘ぎのようなものをもらすばかりだったが、やがて落ち着いて、咳払いをした。
「それは娘のソレイユです。四姉妹の長女ですな」
 ほう、四姉妹と頷きながら他の写真を眺めると、確かに一枚につき一人の女性が写っていて、顔だちこそみな違うものの、纏っている雰囲気が似ているように思えた。
 ソレイユの端正な美しさに私は魅了された。もし彼女をモデルに絵を描くことができたなら。スケッチだけでもいい。彼女の美しさに触れて、それを私の手で形に残すことができたら、と望みを抱くと、立ち去ることを忘れ、老人の隣に腰かけた。
「ソレイユさんはこちらに帰っては来ないのですか」
 私の問いに老人は表情を曇らせて、疲れたように首を振った。
「娘のことを思い出すと、胸が張り裂けそうになります」
 もしやソレイユには何かがあったのか、と不安が過り、「何かあったのですか」と老人の顔を覗き込んで訊ねる。
 老人はしばし唇を震わせていたが、やがて顔を上げて私の双眸をしっかと捉え、私の手から写真をそっと抜き取ると、ゆっくりと娘のことについて語り始めた。

 とある王国の、城門前広場には数えきれないほどの群衆が集まっていた。
 広場の中心に設えられた処刑台には、一人の男が目隠しをされ、腕と足を縛られて座らされていた。その処刑台を囲むように長槍を構えた兵士たちが立ち塞がり、その外側に群衆は陣取って、哀れな男の最期を見届けようと詰め掛けていた。
 男の名はグレゴリーといい、先代の処刑人だった。彼は国で禁止されている賭博に手を出したためとして処刑されるが、実際はそうではないことを彼自身が知っていた。数多の処刑に携わってきた彼は、国にとって厄介な情報も握っていた。それが外に漏れることを恐れた王によって、彼は死罪を申しつけられ、今まさに処刑を待つ身となったのだった。
 処刑台の前に建てられた物見の席に王が着くと、それを待っていたかのように新しい処刑人が処刑台に上り、罪人の前まで歩み寄ると、彼を背にして群衆に向かい合うようにして立った。
 その出で立ちは、真紅のドレスに赤いロングブーツ、長い赤髪を頭の両サイドで結わえ、観衆を見つめるその静謐な瞳は燃えるような赤。一見して処刑人には見えない彼女だが、彼女が背に差した大剣は彼女の身の丈ほどもあり、肉厚な幅広の両手剣だった。華美な装飾のない、しかし洗練されたシャープな美しさをもった剣だった。
 彼女の名こそソレイユ。四姉妹の長姉であり、王国の処刑人たる女の名。
 官吏が処刑台に上がって、グレゴリーに罪名罪状を申し伝える間も、牧師がやってきて彼に神の慈悲を乞うように伝え、聖水を身に振りかけたときも、ソレイユは黙って目を瞑り、静かに佇んでいた。
「処刑人、時間だ」
 官吏が傲慢にそう告げると、ソレイユはおもむろに目を開けて、「かしこまりました」とヒヨドリが鳴くような高く歌う声で応えると、グレゴリーの脇に立って背の両手剣を抜き、軽々と天衝くように構えると、群衆の間からため息やどよめきが漏れた。
 牧師や官吏が処刑台を降りると、ソレイユはそっと美しい微笑を浮かべてグレゴリーに問う。
「グレゴリーさん。何か言い残すことはありますか?」
 罪人の最期の言葉を聞くのも、処刑人の役割だった。官吏の取り調べでも、牧師への告解でも話さなかった事実を、死が間際になったことでぽろっと話してしまうこともあった。だが、それを官吏や王に報告するかは処刑人の判断によるところとなり、この最期の告白の扱い方を間違ったためにグレゴリーは疎まれ、死に追いやられることとなった。
「お前さんが何で処刑人をやっているか知らないが、足を洗いな。ろくな死に方をせんぞ。この儂のように」
 ソレイユはにこっと笑って、右足の膝を曲げ、左足を引いたカーテシーをすると、「ご忠告痛み入ります」と謝意を述べた。
「私は至誠をもって職務をまっとうするだけですわ」
「至誠とやらは王宮の狐どもには効かん。奴らの腹の中には常に猜疑心の蟲が蠢いておる」
 グレゴリーは唾を飛ばしながら訴えた。だがソレイユの鋼の心には彼の言葉は些かも響かなかった。
「私が処刑される日が来たとしても、私は誰も恨みません。私も、誰も彼も、己の職責をまっとうしただけのこと」
 愚かな女だ、と吐き捨てて、グレゴリーはこうべを垂れた。「仕損じるなよ」
 ソレイユは「では失礼」と友人に別れを告げるように軽やかに笑って、大剣を振り下ろした。
 剣はうなりをあげて風を切り裂き、真っ直ぐにグレゴリーの首に振り下ろされると、バターを裂くように首は易々と斬り落とされ、回転した首が地面に落ちるより早く、大剣が首のあった場所から十センチほど下がったところでぴたりと静止した。
 観衆は残酷な場面を見た、というよりソレイユの技の見事さに見とれた。身の丈もある巨大な両手剣を振り回し、かつ空中で制動させるなどという技は、生半可な膂力のなせる業ではない。
 首筋十センチというのはこの国で理想とされる処刑の際の剣の止め方だった。刃が地面まで下りて金属音を奏でるなどというのは下の下だとして、一番首切りの技が美しく見え、余韻を残すのは、と先達たちが幾人もの首を斬り落として考えられてきたのが、ソレイユが止めた剣の位置だった。
 ソレイユの剣には振り始めから終わりに至るまで、いかなる淀みも存在しなかった。彼女の実直さが剣に表れたように、澄んで真っ直ぐな太刀筋だった。
 ソレイユは振り下ろしたのと同じ軌跡を辿って剣を振り上げると、天を衝くように掲げて、背に担ぎ直す。
 首を失った体はしばらくの間、首を失ったことを理解できないのか、そのまま硬直していた。ソレイユの剣技が見事であったため、胴体もバランスを崩すことなく留まっていたが、やがて思い出したように前のめりに倒れた。
 ソレイユが一礼をして処刑台を後にすると、観衆からは歓声や拍手が巻き起こり、警護の長槍兵らが興奮する彼らを押し留めねばならなくなったが、当のソレイユ自身は涼しい顔で処刑台を去り、姿を消した。
 それからソレイユは幾百という人間の首を斬り落とし続けた。王や王宮が罪人、と決めて寄越した相手の首を落とすたび、民衆は沸き立ち、興奮してソレイユの剣技を褒め称えた。
 ソレイユは処刑人、という首切り役人の嫌われ役を粛々とこなしながら、その職務の間を縫って知り合った男性と恋仲になり、結婚し、一男をもうけて私生活も幸福の最中にあった。
 彼女の夫になった男も変わった男で、彼女が処刑人だと知っても、「僕を処刑したりしないでおくれよ」などと笑って受け入れる奇特な人物だった。
 息子はリュヌと名付けられ、夫妻にそれは可愛がられて育った。母のソレイユによく似た美しい男の子で、髪を伸ばしていると女の子にしか見えなかった。リュヌも内気な質だったせいか、女の子と遊ぶのが気質的に合ったこともあり、女の子とばかり遊んでいたが、その中に入ってなおリュヌの美しさは図抜けていた。
 そしてリュヌが十歳を迎える年だった。
 ソレイユの夫が謂れのない罪で訴追され、死罪を言い渡されたのだ。そして王はその処刑をソレイユに命じた。
 ソレイユは職務の遂行における妥当性を欠く、としてその任を断ろうとしたが、王はそれさえも許さなかった。ソレイユは自身の責任を果たすべく、やむなく任務を受け入れた。
 夕暮れの赤い日が、夫の横顔に照りつけていて、彼が恐怖のために青ざめているのか、怒りのために赤くなっているのか、それさえよく分からなかった。
 ソレイユはいつものように大剣を掲げて構えると、今日の夕飯のリクエストでも訊くように、「あなた、何か言い残すことはありますか」と問うた。
「ソレイユ。僕の人生は幸せだった。君とリュヌと出会えて。人生の幕引きを妻にしてもらうというのも、まあ悪くないかもしれない」
 恐怖に口元が震えていたが、夫が懸命に笑みを浮かべて言ったので、ソレイユも笑顔を返した。
「私も、あなたと出会えて幸せでしたわ。リュヌという可愛い息子をこの手に抱かせてくださって、本当にありがとうございます」
 夫は逆光になってしまい、黒い影のようにしか見えない妻の顔を、視線という見えない手でもう一度その影から掬い出して確かめようとするように、まじまじと妻を見つめた。
「ああ、ソレイユ。君は美しい」
 そう言って夫は首を差し出した。ソレイユの疾風の剣が、過たず夫の首を斬り落とした。
 ソレイユが夫の首を斬り落としたことで、国民の間でソレイユの人気が絶頂となっていた。妻が夫を処刑するという悲劇を演じながらも、気丈にも笑顔を浮かべて処刑の剣を振ったソレイユに、民は同情すると同時に、神秘性を見出してもいた。
 だが、それを快く思わない人物もいた。そして残酷なことに、その人物はこの国で絶大な権力を持つ場所にいた。玉座――、すなわち王であった。自身よりも人気の高いソレイユに嫉妬し、疎んじ始めていた王は、夫を強引に処刑したように、ソレイユを処刑してしまおうと考えた。
 これには側近たちも難色を示した。今人気の絶頂にあるソレイユを殺したとあれば、王宮の求心力も下がるかもしれない。政治的には下策だと。だが王はそんな諫言になど耳は貸さなかった。無理矢理罪を押し付け、ソレイユを裁判にかけて死罪に追いやった。
 そして残酷な王は、それだけでは溜飲が下がらない、としてソレイユに絶望を与えてやろうと一つの悪だくみを考えついた。
 ソレイユは抵抗することなく、縛についた。彼女ほどの剣の達人ならば、抵抗すれば相当の損害を与えただろう。だが彼女はそうしなかった。「お役目ご苦労様」と笑顔を振りまいて、大人しく手を差し出したのだ。
 ソレイユが処刑台に引かれて行くと、処刑台にはマントにすっぽりと頭まで覆った小柄な人物が立っていた。そのマントの人物は腰に剣を差していたので、ソレイユは新しい処刑人だろうと考えた。だが胸に棘が刺さったような疼きを感じて、首を捻った。
 マントの人物がすらりと剣を抜き、掲げながら自分の横に立ったことで、それが誰なのかを悟った。
「母様。何か言い残すことはありますか」
 リュヌ。とソレイユは呟いて、ほんの束の間放心した顔をした後で、すぐに穏やかな笑みを浮かべてリュヌの顔を見上げた。
 リュヌは羽織っていたマントを脱ぎ、怯えた目でソレイユを見つめた。
「ごめんなさいね、リュヌ。まだ子どものあなたをこんなことに巻き込んで」
 リュヌは首を横に振って、「母様のご心痛に比べれば、僕の痛みなど」と辛そうに目を瞑った。
「優しい子。母はあなたを誇りに思います。ですから、迷いなくやりなさい。母が父様の首を落としたように」
 はい、とリュヌは震える声で返事をする。
「それから王に伝えなさい。いつの日かソレイユは舞い戻って、その首をいただきに参りましょうと」
 はい、と答えたリュヌの声に震えはなく、涙ぐんでいた怯えた目も光と力を取り戻し、真っ直ぐに見開かれていた。
「では母様。参ります」
「ええ、リュヌ。愛しているわ」
 ソレイユが首を差し出すと、リュヌは母親に勝るとも劣らない美しい剣筋で振るい、ソレイユの首を間違いなく落とした。
 リュヌは剣の血を拭い、鞘に納めると、悲嘆や怒号がおきた群衆を後にして、処刑台から物見の席に上がって王の御前に進み出、母の遺言を伝えた。
「はははは! 面白い。やってみるがいい。余は未だ亡霊などというものは見たことがない。首を斬られてなお、処刑人が務まるのか見てみたいものだ」
 王は盛大に笑って膝を叩いていたが、顔色は悪かった。
「陛下。処刑人の役ですが、辞退いたしたく。僕は旅に出ようと思います」
 リュヌがそう申し出てくるのは半ば予想していた王は、母の跡を継いで人気まで引き継がれるのは困るなと思ったので、幾ばくかの金子を与えて送り出してやった。
 そうして処刑人の一家は姿を消し、処刑人の人気が凋落したことで頻繁に処刑をすることもなくなったがために軽犯罪の件数が増えた。以前は盗み即ち死罪だったが、死罪にされることなく、苦役を申しつけられたり、監獄に送られたりするようになったので、盗人は巷に溢れた。
 それから五年、王国は緩やかな衰退を辿りながらも穏やかな日々を送っていた。
 ある夜のことだ。煌々と月の輝く美しい夜だった。
 王宮の守衛が門前の植物園の中に一人の女が佇んでいるのを見つけた。真紅のドレスを身に纏った赤髪の女で、背中には身の丈ほどもある大剣を担ぎ、首には赤く血の滲んだ包帯をぐるぐる巻きにして、擦り切れた端が風にはためいていた。
 守衛はその姿を見て、すぐにソレイユを連想した。守衛はあの日、長槍兵として処刑台の前に立っていた。だからソレイユの顔もはっきり見ていたし、あの美しい顔をそうそう忘れられるものではなかった。
 声にならない叫び声を上げ、尻もちをついた守衛は、必死に後ずさったが、女は軽い足取りで近づいてくる。呼子の笛、と思いついて首から下げたそれをくわえようとしたところで、守衛の意識は途切れた。
 ソレイユが剣を抜き、守衛の首を一閃、刎ね飛ばしたのだ。首は宙を舞って植物園の中に落ちると、ガーベラの花のそばに転がった。
 ソレイユが進むところ、首が舞い、血の雨が降った。兵たちはみなソレイユを見た途端に戦意が失せ、自ら首を差し出すように飛び込んでいくのだった。
 ソレイユは王の寝室の前に立つと、扉を押し開けた。王はまだ起きていて、寝台で書を読んでいた。
 不埒な侵入者に向けて顔を上げた王は、その姿を見て血の気が引いて青い顔になった。
「ばかな。貴様はソレイユ」
 ソレイユは後ろ手に扉を閉め、手に提げた両手剣を構えた。王の広い寝室といえど、ソレイユの大剣は天井に突き刺さりそうだった。
「死んだはずの女が、なぜここに」
 王は書をソレイユに向かって投げつけ、寝台から飛び降りた。書はソレイユに当たる直前で剣に払われ、無数の紙束となってはらりと床に舞い散った。
「陛下。私の処刑の際にお約束したとおり、陛下の首をいただきに参りました。罪状は、そうですね。権力を私的感情にて行使した罪、とでもしておきましょうか」
 王はその場に尻もちをついて、ソレイユが感情を排したような、穏やかな笑みを浮かべているのを見て、自分が処刑台に送ってきた者たちの気持ちが初めて理解できた。
「陛下。何か言い残すことはありますか」
 じりじりとソレイユが近づいてくるのを、王は悲鳴を上げて拒絶する。誰か、と救いを求めて声を張り上げるが、残念ながらその声が届く生者はもう王宮の中にいないのだということを、王は哀れなことに知らなかった。
 王は背中が壁に当たってそれ以上下がれないことを悟り、逃げられないのならば、と護身用の短剣を抜いてソレイユに躍りかかった。
「何も言い残さなくてよろしいのですね」
 ソレイユは静かに、しかし青い炎が燃えるような怒りを滲ませた声で言いながら、大剣を両手で握り、流星のような光芒の軌跡を放ちながら振り払うと、王の首は胴から刎ね飛び、床に転がった。顔には憤怒とも恐怖ともつかぬ表情が浮かんでいた。胴体は糸の切れた操り人形のように力なく崩れ落ち、それを見届けたソレイユは王の寝室を後にした。
 そしてソレイユは姿を消し、主を失った王国は滅び去り、内戦の絶えない土地となった。

「では、ソレイユさんはもうこの世には」
 私が天を仰いでそう言うと、老人は頷きながら、「亡霊もおりません」と悲しそうに呟いた。
「心中お察しいたします」
 私は老人の背を撫でてやった。彼は眼鏡を外して滲んだ涙を拭い、「ありがとうございます」と律儀に頭を下げた。
「おじいさん、お加減はどうですか」
 突然扉が開いて、赤髪の美しい娘が入って来たので私はぎょっとして、だがここで取り乱しては怪しまれると、平静を装って「ああ、どうも」と娘に向かって頭を下げた。
「お客様がいらしてたんですね」
「ああ。ご近所のブルームさんだ」
「ご近所の。へえ」
 娘は鋭く射るような眼差しを投げつけると、にっこりと可憐な花が咲くような笑顔を浮かべて、「ごゆっくりなさってくださいね」と言って、てきぱきとテーブルの上の花を活け替えて、キッチンに向かった。そういえばそろそろ飯時だなと私も空きっ腹を擦る。
「美しい娘さんですね」
 老人はきょとんとして、ややあって愉快そうな笑い声を上げたので、私が今度は目を丸くした。
「何かおかしかったですか」
「いや。あの子を見るとみな娘だと勘違いするのでね」
 老人は手の中の写真を眩しそうに目を細めて見つめながら言った。「あの子は、リュヌは男ですよ」
 あの美しい娘にしか見えない人物がリュヌ。ではソレイユの。私は老人の手の中の写真を盗み見た。確かにソレイユと今の娘、いや男、リュヌは瓜二つだった。リュヌが質素なベージュのローブではなく、真紅のドレスを身に纏っていたなら、恐らく見分けはつくまい、と思わせられるほどに母子は似ていた。
 リュヌはキッチンからやってきてサラダとスープを老人に出しながら、私に「ブルームさんも召し上がっていかれますか」と邪気のない笑みを浮かべて問うので、丁重にお断りして、もし差し支えなければ次の機会にご馳走になってもいいかと訊くと、「もちろんです。お待ちしております」と答えた声も中性的で、若い娘のものと思えなくもなかった。
 私は立ち上がり、老人に握手を求めた。老人は座ったままそれに応え、「また来てくれますかな」としわがれた声で訊ねた。
「きっと伺います。他の娘さんのお話も聞かせてください」
「嬉しいですな。娘たちの話が儂は大好きなのです」
 握った手に反対の手を添え、固く約束すると、私は屋敷を辞した。リュヌはポーチまで出て見送ってくれ、土産にと手製のよい香りのするパンを持たせてくれた。
「祖父の話相手になってくださってありがとうございます。人と接することは祖父にもいい刺激になると思いますので、よろしかったらまたいらしてください」
「ええ、また伺いますよ。今度はぜひ料理を味わってみたいものです」
 お待ちしています、と微笑んでリュヌは手をひらひらと振った。男だと分かっていても、その可憐さについのぼせ上ってしまいそうになる。
 私はパンの袋を抱えて通りを歩きながら、ハロルドの店のピーナッツバターが合いそうだ、と舌なめずりをして、足をそちらに向けた。

〈了〉

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