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1月の晴天と「春の庭」、ときどきコッペパン(読書記録3)


■青い空に白い龍

お昼にコッペパンを買って、街中をふらふら歩いていたときのことです。
いい天気でしたが、風があって。その風が、びゅうと吹いて、道路に落ちていたカラフルなチラシを巻き上げました。何気なくそれを目で追うと、周りには雲なんてない晴天なのに、チラシが飛んだ東の空には大きな雲が見えました。

それが私には大きな口を開けた、白い龍に見えました。

コッペパンはあげないぞ、と包み紙をコートの内側に隠しました。

■それからはコッペパンのことばかり考えて暮らした

すみません、吉田篤弘さんの小説が好きなので、タイトルを文字らせていただきました。正しくはコッペパンではなく、スープです。

ですが、昨日の私はまさに見出しの通りの状態だったわけで。今日のお昼はコッペパン!と決めると、何を食べようかとわくわくそわそわ。

実は一種類は決まっていて。たまごサンドにしようと思っていました。
吉田篤弘さんの上記の小説の中でも、サンドイッチを購入する場面があるのですが、それがたまごサンドだった記憶がありまして。

るんるんと買って帰ってきて、本を確認すると、たまごサンドも買ってはいるのですが、どちらかというとじゃがいものサラダがメインでした。ポテサラが正解だったか~と肩を落としましたが、たまごサンド、美味しかったです。

まあ、人間の記憶なんてさしてあてにならないということですね。今後気をつけます。

■「春の庭」の感想

脱線しましたが、ここからが本題です。
「春の庭」は柴崎友香さん著の小説で、2014年の芥川賞に選出されています。

なぜ今さら読んでの感想なのかというと、基本賞レースに興味がないので、食指が動く内容のものでなければ、芥川賞も直木賞も追いかけないのです……。
あまりよくないですね。X(旧Twitter)の読了ポストなんか見ていると、みなさん最新の話題作をばんばん読んでいて、そのエネルギーとお金が羨ましいなと思ってしまいます。

特に芥川賞って癖が強い作品が多い気がして、敬遠してしまうんですよね。それだけ突出した個性がなければ生き残れない世界ということの裏返しでもあるのでしょうが。

ただ、「春の庭」はあんまり癖がなかったです。「読みやすい」という言葉は必ずしも誉め言葉になるとは限らないのですが、私は褒める意図でそう言いたいと思います。文章が、というよりは内容が、でしょうか。安心して読める不偏性があるように思いました。

女性だけの共感を得よう、男性だけの共感を得ようという意図がなく、そこにはしっかりと物語を読ませるという姿勢が私には見えました。

上記の共感を押し出した作品が私は苦手です。上記では性を例に出していますが、貧富であったり善悪であったり、どちらかに偏ったスタンスで共感を求められれば、該当しない立ち位置にいる人間は置いてけぼりになってしまうような気がするのです。勿論、読者の側が高い客観性を保った目を持っていれば、そうした作品でも楽しみ、評価することはできると思います。

でも私を含め、そうした人ばかりでもないのではないのかなあと思ってしまうのです。

「春の庭」は何か時事的な問題提起を孕んでいるわけでもないので、純粋に物語と文章を味わっていい小説だと、私は思います。

■登場人物について

〇太郎 語り手ですね。終盤でその役割をバトンタッチすることになりますが、基本的に彼の視点で物語は進みます。物語中では死んだ父親との関係などにフォーカスすることがありますが、冷静な観察者、カメラです。でも、少しずつ後述する西さんの影響を受けて行動が変化したりするなど、彼自身も「水色の家」に惹かれている様子が描かれています。

〇西さん アパートのそばにある、「水色の家」に並々ならぬ執着を見せる女性です。スウェットだったり化粧っ気がなかったりと、女性らしさは薄く描かれています。彼女が「水色の家」を観察していることに太郎が気づいたことから、物語が始まっていきますので、作中最大のキーパーソンです。

■「春の庭」で書かれていること

私は時間の経過、その虚ろさや儚さが全編通して書かれていると思いました。
普通は人が年老いたりする様を描いて、そういったことを浮き彫りにするのでしょうが、この作品では古い建物が作中の時間経過とともにどんどん解体され、新しいマンションが建築され、「水色の家」も元々の家主は随分前に去っていて、新しく住み着いた家族も間を置かずに去っていく。

そうした街全体に漂っている寂寥、そうしたものを濃厚に感じました。

一方で、外から見ている人間たちにとっては、古いものの破壊は寂しいものではなく、新しいものが産声をあげるための、歓迎すべきセレモニーなのでしょう。

私が寂しさの方を感じたのは、物語の中に入って、彼らに寄り添っていたがためかもしれませんね。

■印象的な言葉・文章

  • 自分が生活する空間の中に自分の意思とは関係なく生きているものが存在することが、驚異だった。

  • 「窓はすき。ガラスが少しだけゆがんでて、外の空気もゆがんで見える。光が曲がってる。光の速さが変わる」

  • 人がその中で生活しているというだけでなく、急に、家自体が生き返ったみたいだった。

  • カメラの上部が銀色で三角屋根みたいな形状をしている。水色の家の屋根と似た形だ、と太郎は思った。

  • 写真の家だが、森尾さんの家。その二つの家が重なり合い、ずれている感覚が、居心地が悪いのかおもしろいのか整理がつかないまま、

  • 「工場の赤い電気見てたら寝れるって、あんたに言われた」

  • 寝る前に窓から夜の街と赤い光を見ていた。夜が息してる、と思っていた。

  • 西が風呂場を気に入っていたのなら、太郎は二階の和室がいいと思っていた。

■結びに

みなさんには何か気になって仕方がないものとかってありますか?
多分常に、というわけではないと思うんです。
人生のどこかの瞬間で、「ああ、これどうなってるんだろうなあ、見てみたい」と気になるものと出会う機会がある、もしくはもうあったのだと思います。

ちなみに私は、子どもの頃住んでいた町に、入り組んだ路地になっているところがありまして。
田舎に住んでいたので基本的には道は広かったのですけど、そこは家が押しくらまんじゅうをしたように密集していて、路地が細くて薄暗かったんです。でも、進んだ先には何かがありそうで。あるいは、何かがいそうで。

怖かった私は気になりながらもいつも進めず、そそくさと引き返すのですが。

今ではもう、あれがどの路地だったのか、それすらはっきりとは思い出せませんが。
覚えているのは、お稲荷さんの真っ赤な、真っ赤な鳥居だけです。

それでは、みなさんが気になって仕方がない存在と出会えるよう祈りつつ。

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