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火傷して学んだこと

右指4本に火傷しました。
激痛です。

電子レンジで鶏肉を調理していて
7、8分レンジにかけたら、かけたラップがすごく膨れ上がったので
時間をかけすぎたかと急いでレンジから出して
ラップを外そうとした時、
蒸気が指に当たり、「イタッ!!!」となりました。

以前、やかんの蒸気でもヤケドした時に
フライパンに触ってヤケドするよりもずっと痛くて
エライ目にあったことがあるので
すぐに水道水に患部を当てて冷やし始めました。

蒸気なので、患部の範囲も広いんですよね。



水道の流水に1時間くらい当てていました。
痛みは当てている時は大丈夫なんですが、
水から外すと10秒も我慢できません。

細い針が100本くらい刺さっているような痛み。

痛みが引かず、
洗面器に水を張って氷を入れ、その中で冷やし始めました。


その間に夕食の時間になり、おなかもすいてきて、
右手は洗面器に突っ込んだまま
簡単に食べれるものを左手でスプーンで食べ、
左手でお茶を入れて飲み、
洗い物はできないのでシンクに置いたまま。

水から手を出すと激痛が走り、
ちょっとした食べ物を冷蔵庫から出す1分ほどが
我慢できないほどだったんです。


氷水で冷やしていると水道水の温度も温かく感じてジクジク痛み、
洗い物もできない状態で
食べ終わったお皿やグラスで散らかっていく
シンク周りを横目で見ながら過ごしました。

その時に思ったんです。


手が使えるってなんてありがたいことなんだろうって。

どこも痛くないってとてもありがたいことなんだって。


ふだん何気に洗い物をして、何気に片付けているけれど、
それが何の障害もなくできるって
あたりまえじゃないんだと。


いろんな物や事に「感謝」をしているつもりでしたが、
まだまだ感謝が足りないんだなと
散らかったシンクを見て感じました。

手が痛くなかったらすぐに洗えるのにな。
すぐに片付けられるのにな。

手が痛くないって、本当にありがたいことなんだ。


手が痛くないことは私にはあたりまえすぎて
何事もなく手を使えることに感謝することを考えたこともありませんでした。


ヤケドをした瞬間は「やってしまった」と思い、
ジクジクと激痛が走る指に
「もう〜、もっと気をつけてたらこんなことにならなかったのに」
とグダグダと考えていました。


でもどうせなら冷やす間に
好きな動画でも観て痛みをまぎわらせようと
椅子を持ってきて腰を据えてやっていたら気持ちも落ち着いてきて、
ありがたいなの考えがわいてきました。


この火傷は私に教えてくれていることがあるんだなと。

これだけの痛みと不便を感じなければ、
そこにあるありがたみに気づけていなかったわけです。
心から。


まだまだ感謝すべきことはありそうです。


この日の夜は体を真横にフラットにして寝られず、
洗面器の氷が溶けてぬるくなってきて痛みを感じたら
冷蔵庫まで行って氷を入れて冷やすのを何回か繰り返して
ゆっくりは寝られませんでした。

どこも痛みがなく、夜にゆっくりと体を伸ばして眠れるということも
ありがたいことです。


「私は感謝できるものをたくさん持っている」
ということにも気づきました。


何事にもあたりまえはなくて、

「え、そんなのあたりまえ。普通だけど?」って思うことって多いですが、
何かあった時には、その普通が
どれだけありがたいことか、幸せなことなのかがわかります。



ちなみに、
手の痛みが引き始めて溜まった洗い物をキレイに片付けた自分を
「すぐにちゃんと片付けられてエライ」とほめました。

「もっと慎重にやらないから火傷するんだよ」
という自分責めの考えもいらないです。
このできごとからの大きな学びももらえました。




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