未知との遭遇を楽しみ、既知になっていくことを味わい続けるための補助線

なんだか離陸した感がでてきました。何かってnoteの更新です。パソコンのお気に入りに入れているnoteのリンクをクリックし、投稿ボタンをクリックするという行為に慣れてきました。長かった、、何度挫折したことか。

なぜ今回は続いているんだろうと考えてみたのですが、別に伝えたいことがあるからというわけではなくて、単純にハードルを下げたからだと思うんです。何も考えず、とりあえず、投稿ボタンを押して、1行書いて終わりでもいいと思うと、自然と続けられました。

そんなことはこちらの本で読んでいて知ってはいるし、下記の本のおかげでTwitterや無人古本屋の運営なども続いたんですが、やっぱりハードルを下げても続かないものもあるんですよね。

腕立て伏せの目標を1回にするなど、取り組む対象の目標を本当に低くするという内容が書かれていて、習慣化させたいものがある際には、毎回一度は手にします。

やっぱり新しい習慣になれるのは大変で、始めては止め、止めたことに後悔する日々は続いているのですが、最近はどうも辞めたことに後悔することもなくなってきました。

続いたものは好きなもの。続いたものは自分にあっているもので、別に全てのことを続ける必要はないと思うようになったのかもしれません。なので、日々いろいろ始めて、いろいろ止めています。(やめるって止めるでいいのでしょうか。辞める?どっちだろう。)

ちなみにこの投稿は、夜9時に寝て3時過ぎに起きてしまい、夢うつつのまま書いています。「あれ?夢うつつであっているのか?」とも思いますが、これも調べずにスルーしよう。間違っていたらどうしようと思って、調べながらやっているとたぶん続かなそう。なので、読む方は雑に読んでもらいたいです。

こんな前置きをしつつも、冒頭に書いた「未知との遭遇を楽しみ、既知になるまで味わい続ける」について書いていこうと思います。ここまででもなんだか半分ぐらい触れたような気もしますが、、、

子供ってすごいなといつも思うんです。だって、この世に生を受けてから、しばらくの間、未知のことばかりなんですよね。もちろん大人も日々未知なことに出会っていると思いますが、子供の方が圧倒的に多い。特定の分野を学ぶというよりも、生活全て全方位的に未知の物事との遭遇の連続です。

それがです、一定の年齢を超えてくると、とたんに特定の分野での未知との遭遇が多くなってくるんですよね。でもたまに新生活などで環境ががらりと変わり、その際に大きな影響を受ける。新生活による軽い鬱など。僕は昔から公園を散歩することが多くて、ベンチでボーっとしているんです。もはや軽い鬱がずーーーと続いているのかもしれません。w

話は戻って子供が未知との遭遇をしている時、特に本当に幼少期だと思うのですが、知らないが故に何も怖がらずに目の前のことを取り組むケースをよく目にしました。それが徐々に危機察知能力がついてくると、少し警戒しながら取り組む。ただし、本人としては若干危険な行為でも、周りの子が既にそのことに取り組んでいたりすると、擬似的に自分も出来るのではないかと錯覚して、「えい!」と自ら実践することができます。

未知との遭遇、未知との遭遇と書いているのですが、「知」でない例で、好きなものがあるんです。それは自転車に乗るという行為です。僕は、三輪車から始まり、補助輪をつけた自転車になり、そこから補助輪をはずして練習して乗ることができました。

小さいころは団地に住んでいたので、家の前の車の来ない道で練習をしていたのを鮮明に覚えています。それが本当に乗れなかったんですよね。たぶん夕暮れ時だと思うのですが、同級生の加藤君のお母さんが手伝って、最後なんとか乗れたと思います。たぶん、いや絶対に泣きながらの練習だったと思います。今でも印象に残っているのは、達成感はあったのかもしれませんが、楽しい挑戦ではなかったです。それがです、息子は練習時間0分で乗れてしまったんですよね。

学校のお友達とのバーベキュー開催日、他の子がバーベキュー会場に自転車できていたんです。その自転車を見て、自分も乗ってみたいと伝えて、乗ったみたいです。というのも、乗った瞬間を見ていないんです。友達に貸してと伝え、自ら乗っていたんです。だれも補助につかない状態で、目の前を通り過ぎていきました。「パパ!乗れた!」という感動的なシーンなどはありませんでした。親としては、ただただ驚くばかりで、初乗りは動画に収めることなく終りました。

その後、バーベキュー会場で他の親御さんと話をしていると、最近そういう子が多いみたいです。その子たちみんなが「ストライダー」という乗り物に乗っているんです。

ペダルのない自転車のようなものなのですが、息子も三輪車と若干並行する形でストライダーに乗っていたんです。友人が息子が産まれて間もないぐらいにプレゼントしてくれました。たぶん、僕が普通に生活をしているだけだったら、購入していなかったと思います。プレゼントとしていただいて、ストライダーが目の前にあったので、息子がしかるべき大きさになった時に、自然と「ストライダー乗ってみる?」といって乗るようになっていました。そのストライダーを乗る過程で、彼の平衡感覚は養われ、練習時間0分で自転車に乗ることができたんです。

息子は「周りの子が乗り始めているので、自分も乗れるんじゃないか」というマインドであったこと。今まで三輪車と補助輪の自転車など、すぐに乗れなかった経験がなかったので、訓練しないと乗れないということを知らなかったことストライダーを乗っている過程で身体的に平衡感覚が鍛えられている状態だったんですよね。

この光景を目にした時に、「僕のように乗りたかったけど乗れずに、教えられて意識して苦労して短時間で覚え習得するというのを一気に飛び越して習得してしまっている。」と思っていたんですが、よくよく考えたら違ったんですよね。

彼はストライダーで自転車に乗るための基礎練習をずっとしていたんです。僕が短期間の練習で自転車に乗るのに必要な平衡感覚を楽しみながら習得していました。彼にとっては障害などはなく、楽しみながらの行動地続きで続いている状態で自転車に乗ることにたどり着いていたんです。

ここでポイントだったなと思うのは、友人がらのプレゼントでした。もしプレゼントとしてストライダーをもらっていなかったら、彼は多少苦しみながら自転車に乗るという行為を習得していたと思います。もちろん、苦労をして習得することの大切さもあると思いますが、別に苦労なく楽しみながら鍛えられていたらそれにこしたことはありません。現に息子は自転車などの乗り物に対しての怯えはなく、いろいろ乗ってみたいという意識でいるので。ストライダーが最高の補助線だったわけです。

というぐらいでこのnoteを終えようと思っていたのですが、振り返ってみると、楽天というITの会社に勤めていた僕が吉祥寺の4階建ての建物を借りるに至るまでもいろいろ補助線が引かれていたと思います。

もともと本が好きで本を沢山買っていた、買う過程で店主と話をする機会が多分にあった、沢山の店主との会話の中で「古本屋さんおもしろそうだな」と思っていた、本が増えすぎて「どうにかして」と言われて好きでなんとなく近い存在だった古本屋を今でいう副業のようにやってみた、やってみると面白いと思い今度は会社を辞めて少し大きな物件を借りブックマンションに取り組んでみた。

たぶん、どれもが地続きで繋がっているので、自分にとっては自然だったんです。特に、「副業のようにやってみた」と書いた2013年に作った無人古本屋さんは、取り組む前に全く違和感ありませんでした。「えい!やってやる!」などとは思っておらず、自分にとっては取り組むのが当然と思うような状態です。

2019年に取り組んだブックマンションも僕の中では自然です。皆には驚かれましたし、妻にいう時にも理解されるか緊張しましたが、自分の中では自然なことなので、伝える時にも自然だったと思います。

「今日の晩御飯、カレーにしたいと思うんだけどどうかな?」たぶんそんな会話と同じぐらいののりです。使った金額は桁が何個も違いますが。w

ブックマンションに至る大きな補助線の一つは吉祥寺にあるリベストという不動産屋さんの山田さんに出会ったことですね。

無人古本屋さんをやっている過程で、武蔵野市でフランスの田舎菓子を販売されている、エーケーラボの店主の庄司さんと知り合ったんです。というよりも大好きで通っていたお店だったのですが、店内に本棚があったので、そこに本を置かせてもらったんです。無人本屋の出張所ですね。

その本を置かせてもらう関係で、庄司さんと仲良くなり、仲良くなった庄司さんに誘われて参加したイベントで、リベストの山田さんと出会いました。それまでは吉祥寺にいつかお店を持ってみたいなぁと思っていただけだったのが、吉祥寺の不動産屋さんに勤める山田さんと知り合ったので、一気に身近なものになったんですよね。実際に下記の投稿で触れたような状態の物件をお借りするに至ったのは、山田さんのお陰です。

なので、本屋さんを始めたいという方の相談を聞いている時に、無理をしているなと思う際には「今取り組めることをやった方がいいですよ」ということはあります。別に本屋さんを開くのを目的にする必要なんてないんです。日々興味のあることをし続けていたら、自然と物件にたどり着いていますし。たどり着いていないとしたら、そこまでの興味はないか、まだ準備ができていないんだと思って、時間を置いてもいいのかもしれません。

「清水の舞台から飛び降りるような感覚でブックマンションを始めました」といったことがあるのですが、今思えば、自分にとっても高いところから飛び降りるような感覚はありますが、舞台といわれるところから飛び降りたら、50cm下に舞台があって、その舞台から飛び降りたら、また50cm下に舞台があって、そんなことを楽しみながら降りていつの間にか下から見上げたら5mぐらいになっていたという感覚のように思えます。そして、今いる舞台からもまた飛んでいき続けるのだと思います。

大舞台でもなんでもなく、好きを見つけ、続いていくものを続けていけば、振り返ってみたら、好きが形になっている、よちよち歩きだった息子が、三輪車に乗り、自転車を楽しむに至る過程と全く同じことを親である僕も実践してみました。僕が無人古本屋を始めたのは息子が産まれた日から約3ヵ月後なんです。だからこそ息子の成長と同じ過程を自分もたどっているのだと感じながら運営しています。

「未知との遭遇を楽しみ、既知になっていくことを味わい続けるための補助線」を今自分では気がつかない状態で引いていると思うんです。数ヵ月後か数年後、それが繋がるのか、繋がらないのかも分かりませんが、好きと思えることをこつこつと。

思えば2時間近く書いています、、まとまりないですがこの辺で。

さてさてこの記事の看板は何にしようか。






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