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素敵な大人になりたくて読んだ伊丹十三

自粛中、SNSで読書リレーなるものが流行っていた。これまで出会った「マイベストブック」を10冊選んで、SNSで毎日投稿する、というものだ。たいていは最近読んだ本ではなく、若いころに感銘を受けた本になる。10回投稿を終えてから、大切な本を忘れていたことに気づいた。それが伊丹十三のエッセイだ。

伊丹十三は、今では映画監督としての印象が強いけれど、私が最初に出会ったのは、エッセイだった。「女たちよ」「再び女たちよ」「ヨーロッパ退屈日記」など、当時日本人が憧れたヨーロッパのホンモノを、辛辣なのにユーモアのある文章で紹介していて、その世界に憧れたものだった。今読んでも、ニンマリ笑ったり、時には吹き出してしまうほど面白い。

ここに紹介する「伊丹十三の本」には、幼年時代からの本人の写真、湯河原の家、愛用品の数々、家族への手紙、スケッチ、親交の深かった人たちへのインタビュー、懐かしいCM作品、行きつけの店、単行本未収録作品など、エッセイイスト、俳優、映画監督、デザイナー、イラストレーター、マルチな才能を持つ伊丹十三の様々な表情が紹介されている。

伊丹十三は昭和8年、映画監督伊丹万作の長男として京都に生まれ、商業デザイナーとなって山口瞳と知り合い、その後ヨーロッパを旅行。まだ海外旅行が珍しかった昭和30年頃の話である。昭和35年大映に入社して俳優デビュー。昭和36年には「北京の55日」撮影のため再び渡欧。帰国後「洋酒天国」にエッセイ「ヨーロッパ退屈日記」を連載。

まだ欧米の文化が身近でなかったころ、多くの日本人は衝撃を受けた。

スパゲッティアルデンテとシャルルジュールダンの靴

私は15,6歳の時に、文庫本で伊丹十三のエッセイに出会い、ヨーロッパの洗練されたホンモノの世界に憧れた。

日本の喫茶店で皆が食べているナポリタンやミートソースはスパゲッティではない、正しくは、ほんの少し歯ごたえを残して、アルデンテにゆでられていなければならない、一番シンプルでおいしいのは、ゆでたてのスパゲッティをバターであえてパルミジャーノチーズを振りかけただけの、スパゲッティアルブッロである、またそれは右手のフォークだけで食べなくてはならず、決して左手にスプーンを持ってはいけない、とか、レディたるもの、シャルルジュールダンのエレガントな靴を履いてほしい、などという文章に影響を受けて、家でアルデンテのスパゲッティをゆでて、上手に右手だけで巻き上げて食べてみたり、就職して少し贅沢ができるようになったときにはシャルルジョルダン(日本ではそう呼んだ)の靴を買った。

子供のころ、イタリア駐在から戻ってきた叔母が、親戚を集めて、祖父母の家の茶の間でスパゲッティをふるまってくれたことがあった。それまで食べいたものとは全く違う、シコシコと歯ごたえの残るやや細めのパスタをフレッシュなトマトのソースであえたもので、「これがホンモノのスパゲッティナポレターナよ」と言われ、なるほどそうなのかと皆で感心しながら、こたつに入って食べたのが、私の最初のアルデンテ体験だった。歯ごたえのある細いスパゲッティ、ケチャップではないトマトソース、衝撃的な美味しさだった。それまで私が食べていたのは、伊丹十三が「うどんのような」と呼ぶいわゆる普通の日本のスパゲッティだったから。

​映画監督伊丹十三と妻宮本信子

昭和58年、初監督作、映画「お葬式」が封切られ話題になった。これまでの映画と全く違うリアリティとユーモアは、伊丹十三監督ならではの目線だった。私は、宮本信子という女優をそれまで知らなかったが、伊丹十三は「妻はいい女優なのに、いい仕事が回ってこない、だから彼女を主役に映画を作った」とコメントしていた。

愛妻家なのだな、と思ったが、宮本信子は、いわゆる華やかな美人女優ではないし、「女たちよ」で推奨しているルーの下着やシャルルジュールダンの靴を履いているイメージもないので少々不思議な気もした。

宮本信子とは再婚で、最初の妻は現東宝東和を設立した映画製作者川喜多長政の長女川喜多和子。15歳でイギリスに留学し、ヨーロッパの文化に触れてきた彼女から伊丹十三は大きな影響を受けたのではと推測される。

宮本信子とは36歳の時に再婚し、その後二人の子宝にも恵まれた。狸穴から湯河原へ住居を移し、子育てや家事に本格的に取り組むようになって伊丹十三の「男性的人生観」が変化した、と書かれている。

実際、伊丹十三本人も映画のパンフレットの中で、「湯河原のミカン畑を女房子供と散歩しながら、こうなるために俺はこれまで生きてきた、こオりゃしあわせだぜ、光り輝く金色のおにぎりをぱくぱく食べている感じ」と語っている。

「お葬式」に続けて、妻宮本信子を主演に「マルサの女」「あげまん」など、精力的に映画を制作し、いずれもヒットを重ねていく。

2007年9月、監督第十作「マルタイの女」が封切られた3か月後の12月20日、港区の事務所マンション下で飛び降りたとみられる遺体となって発見される。享年63歳。不倫疑惑が写真週刊誌に取り上げられた後のことで、身の潔白を証明するための自殺であることが記された遺書も発見されたが、様々な社会問題の取材を続けていたことから、自殺ではないとする説もある。

この本の中で、亡くなった五年後に開催された「お別れの会」での宮本信子のスピーチが収録されている。親しい関係者だけを呼んだプライベートな会なのでマスコミにも報道されなかった内容である。

亡くなったその日のことは、読んでいて胸が詰まる。

司法解剖を終えた伊丹十三の顔がとても怖い顔になっていて「あなたハンサムだったのにこんな顔になって違う世界に行くはいやでしょうね」と、一晩中顔を手で温めたり、さすったりしていたら、翌朝には安らかないい顔になって、「ありがとう」と言われた気がする、と話している。

本人が決めたことですから仕方がないですけれども、思うことはあります。でもそれは死んで棺桶に入るまで持っていくつもりです、とも。

伊丹十三の妻、という人生。

宮本信子の女優としての才能は、夫の目論見通り、広く世間に知られることとなり、今でも活躍を続けている。光も影も大きな、並大抵ではない道のりだっただろう。

この本を読んでいると、伊丹十三の家に遊びに行って、色々なものを見せてもらったような気持になる。昔のエッセイに描かれているよりは、家庭的であたたかい、そんな伊丹十三に出会えた。








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