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レティシア書房店長日誌

見汐麻衣「もう一度、猫と暮らしたい」

「見汐さんの言葉は、否応なく終わりに向かって進んでゆくわたしの人生をほがらかに見つめている。そんな見汐さんの言葉に触れていると、自分の内側にある濃密な空洞が照らされているようだ。そして、日々の暮らしの中にある余白のような時間を愛でようと思う。」
と、橋本倫史があとがきに書いています。見汐麻衣はシンガーソングライターとして活躍しながら、様々な表現ジャンルに挑戦していて、本作「もう一度 猫と暮らしたい」(レモンハウス/2000円)が初の著作になります。



これはタイトルにあるような、愛猫との暮らしを描いたようなほのぼのしたエッセイでは全くありません。表題作の「もう一度 猫と暮らしたい」は、シビアな内容のエッセイでした。

小さい時、家に入れた猫が五匹の子猫を生みます。その時、一匹を除いて、残りの猫を著者のおばあちゃんは捨てにいきます。
「麻衣は....…産まれてくる命が全部平等やとおもうとるね?ばあちゃんはねぇ、思わん。人間も動物も、この世で平等に扱われる命なんかなかと思うとる。生き残れたら、そんもんが受け入れて一生懸命生きるしかなか」
と言ったそのおばあちゃんの言葉を、大人になった今も思い出しますが、祖母の厳しい人生を知らなければ、なかなか理解できないものです。ましてや食えないために子供を捨てた「間引き」のことを口にしたおばあちゃんのことはなどは、小さな子供だった著者には無理でした。
「仕方のないこともあると。麻衣には残酷に感じるかもしらんばってん、ばあちゃんのしたことは、ばあちゃんだけが背負えばいい」と毅然と言い残して、箱に入れた猫を川岸に持っていきます。今なら、動物虐待と言われますが、日々の生活さえままならないのに、五匹も動物を飼う余裕などない家庭では、こうせざるを得なかったのでしょう。

本書には、深夜まで働いていた母、気丈夫な祖母のことが何度か出てきます。「弁当」というエッセイで母が、祖母が作ってくれたお弁当を思い出す一方で、お弁当を作る立場になった自分を省みて、こう呟きます
「弁当をこしらえながら夫や友人、姪、食べてくれる人の顔が自然と浮かぶ。好物が何か、味付けをどうするか思案しながら調理する時間の中に身を置いていると、意外にも心の安らぎを感じている。母や祖母もこういった気持ちを味わっていたのだろうか。料理をするようになって、台所は忙しなく動きながらも平静であれる、ふだんの中でも最も神聖な場所であると知った。完成した弁当に蓋をしてポンと叩き『しっかり食べられてこい!」と独り言。」

幼少の時からの鮮明に残っている記憶の断片を掬い上げて、繊細なタッチで描いた素晴らしいエッセイです。
「散りゆく桜の花弁を見上げながら歩く度、桜並木というものはいろんな物事の『終焉』を迎えた人だけに観ることの許された風景であり、通れる道であればいいのになと思える程、他のどの花木より憂いと喜びの間を、過去と現在を、ヒラヒラさせと往来するかの如く、浄く、甘美に思え、人生を慰めてくれている様に感じます。」
中でも、「さかさまにゆかぬ年月よ」に書かれたこの文章が最も記憶に残りました。


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