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「役割を演じる」ということと「読書習慣」

人が、社会の中で生き抜くためには、なんかしらの役割を演じなければなりません。

身近なところでは家庭です。子供は無邪気な一面を持ちながらも、いい子供を演じることが求められる。親は家族の日常生活を炊事・洗濯でサポートしつつも、子供に威厳があるところを見せなければ家庭のバランスが崩れてしまう。

サラリーマンであれば、毎日清潔なスーツを着て出勤し、礼儀正しく振る舞い、チームの輪を乱さぬことが求められます。その役割を演じることが出来なれば、組織から外されてしまうでしょう。古本屋の店主であれば、読書家であり、博学であり、社会的視点を持つこと。部活指導員であれば、技術指導に長けつつも、優しさを持ち、より強い指導者であることが求められます。

私たちは、気になる人の本心を知りたいと熱烈に思いますが、それ以外の人については、それほど大きな関心は払っていません。つまり、ほとんどの他人に対しては、自分にとって過ごしやすい役割を演じてくれる人を自然と求めているのではないでしょうか。

だから、その役割を見極めて上手に演じきれない人間は組織から弾き出されてしまうのです。イジメのきっかけは、こんなところから来ているような気がします。

したがって、私たちは自分がどんな役割を演じるべきかを察する能力と、それを演じる能力を持ち、磨かなけれなならないといけません。それができないと社会の荒波を上手にわたっていくことは難しい。

しかし、ここに大きな問題が横たわっています。自分が求められている役割を察することができないひと、その役割をそつなく演じることができないひとが増えているという現実です。理想(役割を演じる)と現実(本当の自分)の間で病んでしまう人たちは、こういったところが来ていると思います。

では、役割を見極められないひとは、いったいどうすればいいのでしょう?

店主は、私たちの身近なものに答えがあると考えています。それは物語です。小説に登場する人は、全て架空の人とはいえ役割を演じている。マンガの登場人物も同じです。そして当然ドラマも同じです。ストーリーがあるモノに登場する人間には役割がある。ドラマを演じる人は役者さんと呼ばれていますが、彼らには割り振られた役があるのです。

厳しい現代社会を生きる私たちは、それらを見て自分の役割を探す参考にできるわけですが、この辺はやはり社会性が高い女性の方が積極的。男性はついつい自分らしさを追い求めてしまいます。もちろん個性が大事なことなのは100%間違いありませんが、求められている人間を演じることも、社会人にとっては大切なことなのです。

そして、ここにも問題点が存在します。ドラマは内容が素晴らしいだけではダメで、視聴率が求められます。マンガも人気があってこそ連載が続きます。だから打ち切りという失敗を避けるために、人気が出る鉄板のストーリーに沿って話が展開し、似たような登場人物が、似たような行動(役割)を繰り返すものがどうしても増えてしまう。だから、若者の人気を集めるコンテンツはどれも強力ですが、世界が狭く、パターンが似てくるという弱点があります。

だからこそ、ここで小説が登場します。小説は太古から未来まで時間を自由に設定できます。場所も宇宙から体の中のミクロの世界まで、あらゆる架空を作り出せる。物語が喜劇であってもいいし、悲劇であっても成立します。作者が日本人であることもあれば、地球の裏側の人であることもある。映像化不可能な概念でも言葉なら表現できる。

私たちは、沢山の小説を読むことで、あらゆる登場人物から、あらゆる役割を学ぶことができる。それを参考にして生きていくことができる。だから、私たちは小説を読まなければいけない。読書習慣こそ大切だ。そう店主は考えます。



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