資本主義と新自由主義

新自由主義のことを「ネオリベラリズム」(ネオリベ)といいます。
「リベラリズム」は「自由主義」を意味するので、個人の自由を尊重する思想を「リベラル」と言いますが、この「ネオリベラリズム」のリベラルは、そのリベラリズムとは異なります。
「ネオリベラリズム」の「リベラル」は、あくまで「経済活動における自由主義」のことを言っており、あまり個人の自由とは関係がないのです。
今回は、この「ネオリベラリズム=新自由主義」について、よくわからない人のために、やさしい言葉で書いておきます。

資本主義

まず、この世の中は資本主義という経済システムで動いています。
資本というのは「お金」に代表されますが、それは生産活動に投入され、お金を増やすために使われるるお金です。労働者が稼いで、生活するために消費するお金ではありません。労働者は、賃金を生活のために消費するので、基本的に資本を持っていません。
一方、使い切れないほどお金を持っている人は、そのお金を生産のために投資して、それによってお金を増やします。そういう人を資本家と言います。働かなくても、彼らの持っているお金が、お金を増やすのです。
この、お金(資本)を増殖させることを目的に、生産活動が行われていく社会が、資本主義社会です。資本家(企業)は生産活動に必要な労働者を、できるだけ少ない賃金で雇い、最大の利潤を得ようと努力します。
労働者は雇ってもらわないと生きていけないので、資本家(企業)のために努力して、資本家(企業)が払ってくれる賃金で生活するのです。
これが資本主義社会の基本的な構造です。世界中が、この構造の中で動いています。

自由主義

経済で言う自由主義は、ほぼ資本主義とセットになっています。
消費者や企業は自分の需要に応じて物やサービスを買い、企業は需要に応じて生産活動を行いますが、その活動は個々の消費者や企業の自由に任されています。自由な取引をさせておくことで、自然に適切な価格や生産量などが決まり、新しい製品やサービスが生まれ、受容と供給のバランスが取れていきます。この自由主義が、資本主義の社会を発展させてきたと言っていいでしょう。
しかし、自由主義だけではバランスが取れなくなることがあります。儲けが少なかったり、赤字になったりてしまう商品やサービスは、誰も提供しないので、公共サービスがうまく回らないのです。
たとえば、みんなが平等に受けられるべき教育や医療などのサービスや、道路整備や防災対策などの公共サービス、警察や軍隊、消防などのサービスも、儲けを生み出しません。こうした事業は税金を使って行わなくてはいけないのです。
また、儲からないからといって図書館や美術館などがなくなってしまったら、その国の生活は豊かなものとは言えなくなります。自由主義とは言っても、必ず政府が一定の経済コントロールを行い、公共の「儲からない」事業をやらないと、とたんに生活もできない社会になり、資本主義の経済も回らないのです。

新自由主義の考え方

しかし、資本主義社会が成熟して、豊かな生活が実現されてくると、今度は政府のコントロール(規制)が邪魔に感じられる場合が出てきます。
政府の機能が肥大化して社会に介入しすぎるせいで、経済が停滞してしまうから、自由に企業を競争させ、儲けを追求させたほうがいい、という考えです。
つまり、鉄道や郵便が国営だと、無駄な路線やサービスに税金がかかってしまいます。そうではなく、民間企業として需要があって儲かるサービスを提供するように競争すれば、無駄もなくなり消費者も幸せになるということです。
そういう考えに立てば、政府がいろいろなサービスを行う機能を縮小し、「小さな政府」にすることで、公務員も減らせるし、税金も少なく済みます。「自由競争」の原理を追求して社会を効率化すれば、無駄がなくなり経済的にも成長できるというのが「新自由主義」です。
これは1980年代くらいに、イギリスのサッチャー首相やアメリカのレーガン大統領が好んだ考え方ですが、日本では、小泉改革やアベノミクスなんかもその一例です。

新自由主義の問題点

しかし、この新自由主義には大きな問題があって、その弊害があまりにも強いので、今では世界中で批判の的になっています。
資本主義社会における自由競争を強化すると、要するに「より多く金を持っている者が強い」弱肉強食の原理が強く働き、資本力の小さな企業は競争に負け、企業に雇われて働く労働者の賃金が安く買い叩かれ、どんどん格差が開いていくのです。
また、国鉄の民営化で起きた例では、利用者の少ない路線がどんどん廃止され、特に北海道の住民や企業は、鉄道という重要な交通インフラに大打撃を受けました。
新自由主義の放任は、ごく少数の特権的な人には極めて有利ですが、その他の大勢には不利に作用するのです。
その結果なにが起きるかというと、ものを買う立場である消費者が弱ってしまい、特権的な大企業や大資本も、儲けを得ることができなくなってしまうのです。
思うように儲けが増えない大企業や大資本は、ますます仕入先の中小企業へ値下げ圧力をかけたり、従業員の賃金カットや非正規への置き換えなどを進めるので、悪循環が止まらなくなります。
誰も自分が損をしたくないので、止めることが難しいのです。
その結果、大企業や大資本の持っている資本は、海外金融市場などへ流れていきます。

失敗した新自由主義

そうしたことが起きないよう、政府は行き過ぎた競争や不平等な取引を規制しなければいけませんが、大きな企業や大資本は強いのです。「政治献金」(合法的な賄賂)で政党を支援し、マスコミにも公告料などで圧力をかけることができます。
アベノミクスを批判する評論家は、御用学者やインフルエンサーから袋叩きにされ、テレビでも批判的報道に圧力がかかりました。もちろん、その背景には資金力がものを言っているわけです。
大資本にとっては何十億円や何百億円の利益がかかっているのですから、チンピラ御用学者やインフルエンサーに都合のいいことを言わせるために、小遣いを払うくらいは当たり前です。
最近では、日本の新自由主義が失敗したことは誰の目にも明らかになり、さすがの自民党でさえ「新しい資本主義」として「新自由主義からの脱却」を唱え始めました。
しかし、新自由主義によって侵食された日本社会の仕組みがそのままなので、大資本の利益を優先する政党である自民党は、もはや脱却できません。そして、自民党よりも酷い新自由主義の徹底を旗印にしている維新などのヤクザ政党が、やはりマスコミなどを味方につけて黙らせ、支持を伸ばしているという有様です。
日本における新自由主義の失敗は、悲惨な社会をもたらしました。

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