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〈超短編〉ちょっとした冒険【おそらく聞いたことがない話】

30歳にもなって、衆議院でも都知事選でも、まあいろいろあってよくわからないのだが、そういう選挙に投票をやりに行ったことがないのだと、恋人に告げた。なんとなく疚しいことのように思えたので、私の家で二人っきりのときに、こっそりと言ったのだった。
恋人は、私の告白を聞いて、視線を天井に這わせながら少し考えているようだったが、それはあまり褒められたことではないから、いちど投票に行ってはどうか、と切り出した。私は同意した。投票する権利、義務、どっちだったかは忘れたが、とにかく私も選挙に参加することは出来るはずだ。
そもそも、なぜ今まで私は投票というものを行ったことがないのか。別に何らかの信念があって投票を行うことに反抗していたのではない。ただ、なんとなく今まで投票にいったことのない30歳になっていただけだ。どうしてこうなんだろう。

投票のやり方がわからない、というと、恋人が一緒についてきてくれることになった。
場所は、ポストに入っていた選挙の概要に書かれており、近所の小学校であった。
恋人は、私の家に来る前にすでに投票を済ませてきたという。その抜かりのなさに、意外な一面を見たようでおどろく。そんな几帳面な人だった? と聞いてみると、当たり前のことだから、と答える。
やはり、当たり前のこと、なのか。恋人の返答に、私は更に当惑し、かつ不安な気分になる。
今日、もし仮に、投票に失敗したら、私は当たり前のこともろくにできない人間だということがはっきりしてしまうだろう。
大丈夫だろうか。
選挙の人に怒られたりはしないだろうか。

小学校は、私の家から見ると、駅とは反対方向に位置している。会社勤めの私は、専ら駅と自宅を往復する生活を送っているから、自宅を出て駅と反対方向に歩き出す、というのがまずもって、ちょっとした冒険のはじまりだ。
ご近所なのに、あまりなじみのない道路には寒々とした冬の空気が領している。そのなかを、すこしおどおどしながら、歩いていくと、一戸建ての住宅が並ぶ一帯へとさしかかる。
マンション暮らしの私にとっては、こういった風景もまた、あまり見慣れぬもので、ああ、垣根がすごくきれいに刈りそろえられているな、これはどれくらいの間隔で手入れされているのだろうか、とか、植木鉢のなかで寂しく枯れている草をみて、これはどういうつもりで放置しているのかな、とか、いちいち気になって、のろのろ歩いていると、気づけば恋人はずっと前を歩いていて、慌てて追いかける。
普段見慣れぬ景色のなかを歩くとき、いろんなものが見えてくるものだと、思う。

やがて、小さな交差点を渡ると、住宅街が途切れ、かわりに現れた深緑の金網に沿って歩く。
なかを覗き込んでみると、土のグラウンド、周囲には、鉄棒やら平均台やらが並んでいる。
小学校の運動場だ。
思えば小学校の運動場というのも、ものすごく久しぶりだと、子供のころを思い出して嬉しくなる。しかし、金網には一定の間隔で看板が貼られていて、「知らない人にはついて行かない」とか「恐いと思ったら大声でさけぼう」とか書いてあって、どきりとする。
不審者と間違われないかな、と不安になる。
しかし、今日に関しては、私は目的があって小学校に行くのだから、大丈夫だと自分に言い聞かせていると、ふいに金網がとぎれ、小学校の正門についた。

小学校のなかに入ると、投票しにきた人のために順路が掲示されていて、そのとおりに進む。どうやら投票は、体育館にておこなうようだ。
途中、中庭を横断する。飼育小屋が置かれていて、ウサギやらハムスターがちょろちょろ動き回っている。
私が子どものころに通っていた小学校の飼育小屋もそうだったのだが、小屋の中に照明がないので、薄暗くてなかがよく見えない。こういうところは現代でも全然改善されていないのだなと、思う。
そのさき、ひときわ大きな小屋があったのでそこも覗いてみるが、やはり暗くてよく見えない。
そのとき、小屋の中でなにか大きなものが、音もなく動いた。目を凝らしてみると、それはクジャクだった。最近の小学校には、クジャクなんてものがいるのか、と驚愕するが、もしかしたらこれは、私の通っていた小学校にはクジャクがいなかっただけで、当時だってクジャクを飼育している小学校はあったのではないか、と考え直す。
しかし、いったいクジャクの世話とはどのようなことをするのか。ウサギやハムスターよりも世話は難しそうである。はたして小学生の手に負えるようなものか。
クジャクは置物のように動かなくなってしまった。しかし、目だけはきょろきょろとあたりを見回している。
もしかしたら不審者と思われたか。それを察して、その場を離れる。というか恋人が体育館の入り口でしびれを切らしているのだ。

体育館の入り口で驚いたのは、床にブルーシートが張り巡らされていて、投票に来た人は土足で入ってよい、ということだった。
子どものころは、体育館は上履きで入るものと決められていて、土のついたスニーカーなどでうっかり入ると、こっぴどく先生に叱られたものだ。しかし大人になると土足で体育館に入ってよい。
これは発見だった。ビニールシートのうえに土足で踏み入ったとき、少しの罪悪感が私を襲い、三つ子の魂百までというが、小学校のころの掟がいまだに自分の中に存在していたことに驚いた。
掟は、私が小学校を卒業して社会人になっても、ずっと私のなかで出番を待ち続けて、ついに30歳になって再び日の目を見たのだった。
受付で投票用紙を貰い、それをもって、仕切りのついたブースに入る。
そこには鉛筆が数本並べられていて、先がいちばん尖ったものを選び、候補者の名前を記入する。シャーペンではなく、鉛筆で書く、というのが、また新鮮だった。
鉛筆は六角形の棒であって、普段丸いボールペンやシャーペンばかり使っているから、握ったときに少しごつごつした。芯は、Bだったので書き味はやわらかかった。
投票の流れはとてもアナクロで、しかし機能的、一切の無駄がない。とても洗練されている、と感じた。
私の恋人のように、投票することが当たり前だというたくさんの人間たちによって、彫琢され、このような完成したシステムが生み出されたのだ、と感じた。

体育館を出ると、恋人が待っていて、どうだった、と聞いてくる。
すごく不思議な体験だったよ、と私は答える。
それまでの緊張がとけたら、さきほどのクジャクをもっとよく見たくなり、小屋へと向かう。
驚いたことに、クジャクは先ほどと全く同じポーズをしていた。私が投票をしている間、少しも動かなかったということだ。薄暗い小屋のなかで、相変わらず目だけをくるくると回転させている。

write by 鰯崎 友

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