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土日。思春期。

 冬休みが終わって1週間たち、私の仕事も始まって、2024年の日常が動き出した。この土日は日用品の買い物へ出たり、家族で桃鉄ワールドをしたりして、穏やかに過ごした。冬休み中に買って4人プレイで始めた桃鉄ワールド、今はもう何十年目かに突入していて、休みのたびに数年ずつ進めている。現在、次女が1位、夫が2位、長女が3位、私が最下位だ。
 数年前まで、土日休みには一家で頻繁に公園へ行っていたものだけれど、子どもたちが大きくなるにつれて、だんだんとその回数は減ってきた。もう、ちょっとやそっとの公園では満足してくれないから、行くとなると大人も楽しめる大型アスレチックだったり、公園以外の施設も充実しているところを選ぶことになり、そう頻繁には行かれないのだ。
 当時の写真を見ると、ちょっとした公園でも大満足で遊んでいる子どもたちの姿に、過ぎ去った日々への寂しさが押し寄せてくるけれど、その代わり今は、こうしてカードゲームやテレビゲームを一緒に本気で楽しめるようになった。この日々もいつかは過ぎ去っていくと分かっているから、大事にしたい。

 私は子どもが生まれてからずっと、自分がわが子と同じ年ぐらいだった頃のことを思い出し、そのときの親子関係がどんなふうだったか考えながら、そこからヒントを得て子育てをしてきた。しかし最近、長女が思春期になり、当時の自分を思い出すという作業が、いささかしんどかったりする。思春期のころの自分なんて、ヒリヒリピリピリしていて、間違いだらけの後悔だらけで、できれば思い出したくないのだ。ましてや親との関係なんて、散々に反抗した身としては「もう、なんかいろいろ、ごめんなさい!」と叫びたくなる。
 それでも、自分の記憶ほど分かりやすいヒントはほかにないから、こんなとき親は口を出してきたっけ、こういう場合は叱られたっけ、どの程度のことを親に話していたっけ、どんなことを言われたくなかったっけ、何を言われたら救われたっけ、と、必死で当時の自分の感情を呼び起こし、わが子と向き合っているんだか、当時の自分と向き合っているんだか、よく分からなくなる。
 長女と私は似ているところもあるけれど、全然感覚の違うところもあるから、夫の感覚も参考にしながら、手探りで、ああでも、手探りされるのも煩わしいのだろうな、と思いながら、ドラマにしか興味ない母親のふりをして、薄目で様子をうかがっている。そういう意味でも、ドラマに助けられているかもしれない。
 まだまだ思春期は長いのだろうか。長いのだろうな。数年後には、次女の思春期も待ち受けている。今はまだ、わがままながらも素直に甘えてくれる次女も、遠くない将来、薄目でしか見られない日々が来るのだと思うと、今のうちに思う存分かわいがっておきたくて、つい、甘やかしてしまう。