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おかあさんといっしょ

 幼いころからの習慣で、子どもたちの朝にはEテレが欠かせない。10分刻みで移り変わる番組を時計代わりにしながら準備して、『みいつけた!』のオープニングとともに次女が出発し、エンディングの流れ始めるころ長女が出発する。
 子どもたちを送り出してから、自分の朝食を準備して、ほっと腰を下ろすと、付けっぱなしのテレビでは『おかあさんといっしょ』が始まっている。NHK朝ドラの時間まで、それをぼんやり眺めながら朝食を食べるのが、私のお決まりパターンだ。子どもはとっくに対象年齢を過ぎてしまったけれど、相変わらず『おかあさんといっしょ』を見るとほっとする。無条件に癒やされる。

 『おかあさんといっしょ』には、育児の思い出が詰まっている。長女が生まれて2カ月もたたないころ東日本大震災があり、当時東京に住んでいた私は、不安でテレビを消せなかった。多くの番組が非常事態の放送を続ける中、『おかあさんといっしょ』のおにいさんとおねえさんは、いつもと同じニコニコ笑顔で手を振ってくれた。あのときの笑顔に、どれだけの親子が救われたことだろう。震災からまだそれほどたってないころ、被災地で子どもたちと一緒に『ぼよよん行進曲』を歌う姿が放送され、力いっぱい歌うおにいさんおねえさんと、心から楽しそうに飛び跳ねる子どもたちを、泣きながら見たのを今も覚えている。

 当時の月歌を聴くと、もうそれだけで、子どもたちが幼かったころの楽しい思い出やほろ苦い記憶が、ぶわっとよみがえってくる。『パンパパ・パン』でだいすけおにいさんのテンションに大笑いしたこと、次女の妊娠中に『ポンヌフのたまご』を聴いてわくわくしたこと、幼稚園までの道、雨の日には『ながぐっちゃん!!』を口ずさんだこと、前髪を切ってやるときには『ショキショキチョン』を歌ったこと・・・・・・。
 本当に、挙げていけばきりがないくらい、あのころ聴いた一曲一曲に、その頃の声と匂いと風景が詰まっている。床に放ってあったお尻ふきの柄や、当時住んでいた家に差す西日の具合すら、鮮明に思い浮かんでくる。車でも、あの頃はひたすら『おかあさんといっしょ』のCDをかけていた。

 そんな数ある思い出の曲のなかでも、とくに特別な一曲がある。次女を出産した日、夕方にテレビをつけたらちょうど流れていた『冬の娘リッカロッカ』。初めて聴く新しい月歌だった。明るくて寂しげなその曲を聴きながら、もうじきの3歳の長女が思い浮かび、「今頃、長女も見てるかな」と思ったら、産後の情緒不安定さも相まって、子どもみたいにぽろぽろ泣いた。
 今でも毎年この季節になって『冬の娘リッカロッカ』が流れると、「今年も次女ちゃんの歌が流れてたよ」と、子どもたちに報告せずにはいられない。そのたび次女は、少しうれしそうな顔をしてくれる。

 子育てが始まってから今までずっと、『おかあさんといっしょ』には、定期的に泣かされ続けている。『ぼよよん行進曲』が流れるともう条件反射のように涙腺が緩む体になっているし、思い出深い曲が不意打ちで流れるたび、あっという間に涙ぐんでしまう。
 つい最近も不意打ちで泣かされた。子どもたちを慌ただしく送り出したあと、その流れでバタバタと自分の朝食を準備して、いつものように『おかあさんといっしょ』を眺めていたら、のんびりのんびり流れはじめたのは、あの有名な『ぞうさん』。

 ぞうさん ぞうさん
 だれがすきなの あのね かあさんがすきなのよ

 この一節が流れると同時に、パンをかじりながら、ほろっと涙ぐんでいた。「おかあさん大好き」なんて、そんなことを無邪気に言ってくれた幼い日々はもう遠い。今となっては、あれこれ口うるさく言っては、存在を疎ましがられる日々だ。長女いわく、不機嫌なときの私は、ハリーポッターの映画に出てくる、スネイプにそっくりらしい。
 スネイプ的な母親になる予定ではなかったのだけれど、子育ては思い通りにいかない。それを日々、身に染みて感じている。だからこそ、今も私は『おかあさんといっしょ』に癒やされる。そしてたぶんこれからもずっと、癒やされ続けるのだと思う。