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小野善康『不況の経済学』読んだ

年末なので積読解消シリーズいくべ。

1994年出版のこの本、2012年ころに購入し、10年ほど積んでいたようだ。もっと早くに読んでおくべきだった。

1994年といえば本格的な不況が始まる前である。自他ともに認めるケインジアンである小野善康氏がまだバブルの余韻が残る時期に重たい不況について解説したもの。

三洋証券や拓銀の破綻、山一證券廃業が1997年であり、ポール・クルーグマンがIt's back論文を発表したのが1998年だ。

これらよりも前にすでに流動性の罠にはまりつつあることを指摘しているのはすごいね。流動性がもたらす効用、典型的には貨幣保有願望が、まことに根強いのである。

今となっては誰でも知っていることだが、流動性を保有することの効用には下限がありそれは正の値を取るということだ。不況期に物価が下がって実質貨幣残高が増えたとしても、つまりピグー効果みたいなものがあったとしても、完全雇用を実現できない可能性がある。

実質流動性が増えて消費も増えるかもしれないが、限界的な消費の効用も逓減していく。流動性の効用に下限があるなら、どこかで消費の効用と均衡するが、それが完全雇用を実現する水準とは限らないのである。消費が増えないと予想されているなら投資も増えないからである。

利子率が十分に下がっても、資産の収益率がさらに低いなら投資はおこらない。利子率が低くても流動性保有の効用が大きければ、つまり、利子率+流動性プレミアム>消費の効用ならば、貯蓄してしまうのだ。

流動性の効用はたぶんに主観的なものである。流動性と収益性はトレードオフであり、そこにはグラデーションがある。流動性最強の現金、流動性はやや劣るが利息のつく預金通貨、いまや預金通貨とほぼ変わらない国債、あとは株式とか不動産のような流動性は低いが収益性の高い資産。また水道のような流動性最低の固定資本は民間で保有することは難しくなる。

流動性は主観的であるので、資産価格も主観的になる。ある資産への流動性への信頼が闇雲に高くなれば、どんな価格も正当化されうる。ここにバブル発生の余地がある。


というわけで流動性の罠から抜けるためには、流動性を腐らせることが必要になる。

したがって不況を打破するためには、資産の魅力減らしまた資本蓄積にコストがかかるようにするか、あるいは消費の魅力を引き上げ、消費を有利にするようにすればよいことになる。

古典的にはシルヴィオ・ゲゼルやケインズが提唱した貨幣スタンプであろうし、今なら資産課税、マイナス金利とかになるかな。
ただし著者は財政均衡を前提として、消費税と所得税の比較に注力している。当たり前だが、消費税は消費にしか課税されないので流動性の効用を高めてしまう。所得税は将来の消費と流動性のどちらへの課税にもなりうるのでまだまし。


約30年前の著作なので、短期金利がゼロに張り付き、長期金利が下がり続けるという、大恐慌以来の情況はまだ来ていない。ましてや中央銀行が国債を買いまくっても物価がびくともしないことは経験されていない。本書はそうした情況のうち一部は予見しているし、一部はできていない。

この30年の間に様々な政治的グダグダ、経済失政があった。おかげで私たちポスト団塊ジュニアとか就職氷河期世代は多大なるダメージを被った。

それは未知の事柄があまりにも多かったからしかたのない面もある。だが多くのことは本書で予言されており、そう思うと悔しさと怒りがこみあげてくる。

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