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今井むつみ・為末大『ことば、身体、学び 「できるようになる」とはどういうことか』読んだ

今井むつみシリーズまだまだ続く。今回は為末大氏との共著である。

めちゃおもろいね、この本。要するに言葉と身体のインタラクションが学びを加速させるということだ。

序盤で為末さんが、映像で教えるのは必ずしもよくないと言ってて、これが一番ためになったかな。

熟練した人は、映像を見ながら勝手に意識をおくべきポイントを想像していますが、経験が浅い人にはそれができません。映像は情報が多すぎて正確すぎ、人間が一時に処理できる処理能力を超えてしまっているのだと思います。

言葉には余白があるが、映像は密度が高すぎるんだよね。同じ場面なんてめったにないから、情報量の大きい映像よりも、余白の大きい言葉のほうが応用が利くっていうか。。。

例えば、身体は常にゆらいでおり、毎回完全に同じ動作をできるわけではない。調整する柔軟性が必須なのである。

この本でも紹介されていたように、バスケットボールのフリースローみたいな物理的にはほぼ毎回同じことをするはずの動作でも、選手の体の動かし方は毎回微妙に違っているのだ。

本質をシンプルに捉えることで、調整する余白を作れる。そのために言語化は有用だが、なんでもかんでも言語化できるわけではない。メンタルモデル、心的表象などイメージでとらえたほうがいいこともある。

また野球のピッチングで1.5メートル先にぶら下がっているタオルを弾くように投げる、というような、実際の動作とは違っているがイメージを喚起しやすい言葉が鍵になることもある。

つまり言葉により心的表象を取り出しやすくなる、記憶しやすくなるといった相互作用がある。

しかし言葉や概念はそれだけでは上滑りする。身体につながっていないといけない。つまり記号接地問題は身体性とも関連している。

スポーツにオノマトペなどの音声が有用なのはよく知られているが、勉強においても音声などの身体性は重要なのである。

言語をマスターするのに音声は必須だし、読書は眼球の運動に依存している。

言葉には限界があり、それを補う意味でも、イントネーションや表情といった身体による情報も重要である。

おしまい。

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