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安川新一郎『BRAIN WORKOUT ブレイン・ワークアウト 人工知能(AI)と共存するための人間知性(HI)の鍛え方』読んだ

こちらの記事で触れた安川新一郎氏の著書を読んだ。非常に良かった。

知的労働者を脳みそのアスリートと位置づけて、そのためのトレーニングをブレインワークアウトと呼んでいるのでこういうタイトル。わかりやすい。

ロボットとかAIとか(人工知能と呼ばれるものが知能に値するかはおいといて)、そうしたものの発展は知的労働者を失業に追い込むと考えられる。

とはいえ知的労働者の需要がゼロになるわけはないし、新たな需要が創出される可能性も高い。それを踏まえて、これからのブレインアスリートはどのようにしてワークアウトしたらよいかというお話である。

著者は脳の働き方の様式を、運動、睡眠、瞑想、対話、読書、デジタルの6つのモードに分けて論じる。これは人類の発展段階に対応しているのが興味深い。

狩猟採集時代は運動と睡眠が重要だっただろう。そして人類は現代に至るまでDNAはほぼ変わっていないのだから、これらがいまだに重要なのは間違いなかろう。

やがて人類は言語、そして心と知性を手に入れる。これにより自己との対話(本書では内省とか内観とか観照というほどの意味で「瞑想」という言葉が用いられている)、他者との対話が可能になる。この革命的な事象は約2500年前に世界各地でほぼ同時に起こっている。これが瞑想モードと対話モード。

そしてヨーロッパでは長い中世があり、東洋から紙が伝わったりして、グーテンベルクの画期的な活版印刷機が登場する。これで情報の爆発的な拡散と、時空を超越した対話が誰にでも可能になった。これは人類の思考様式を大きく変えたであろう。これが読書モード。

デジタルモードは現在も進行中の情報革命により可能になった思考様式。スマホ中毒などデメリットも多いが、うまく利用すれば生産性が爆上がりだ。

これらに応じたトレーニングのメニューが用意されているのだが、面白かったことをいくつか書いておく。

運動については脳みそのことだけ考えたら低強度がいいようだ。逍遥学派とか哲学の道とか。

「瞑想」については、可能であればヴィパッサナー的なガチの瞑想がよいと思われるが、家事もなかなか良いそうだ。その例として、禅寺の作務、夕食後に率先して皿洗いをするビル・ゲイツとジェフ・ベソスが挙げられている。

対話においては声の重要性が強調されている。だからといってヴォイストレーニングを推奨したりするわけではないけど、人類の歴史を振り返ると、良い意味でも悪い意味でも大きな影響力を持ってきたことがわかる。

社会におけるコミュニケーションを討議、討論、会話、対話にわけている。分類の軸は、価値観を共有しているか、勝ち負けをはっきりさせたいか、である。意識して使い分けられたら、無用の対立を避けたり、譲歩してはならないところで粘ったりできるかも。

読書は積読から始める。というか知的好奇心のある人間なら、面白い情報が次々と降ってくる現代においては積読になるほかないよね、という永田希氏の見解を引用している。

そして紙の本にどんどん書き込むことを推奨している。これはおそらく正しいのだろうけど、一定以上の読書量になると占拠するスペースが莫大になるし、山のように積まれた書籍が視界に入るだけで脳のメモリを食われるんじゃなかろうか。

要約とか抜書はObsidianを使用しているらしい。なんかObsidian使う人が多いね、、、私はずっとNotionだけど、そっちのがいいのかな。

ついでにいえばテクノロジーは人間の能力を拡張し、感性を違うレベルに押し上げたといえる。

ただし強い動機づけなしには使いこなせない。身体動作の解析ツールを渡されても私は大谷翔平ではないから使いこなせないだろう。

ニクラス・ルーマンほか色々な人がカード式の知的生産の手法を開発し推奨しているが、開発した本人しか使いこなせていないよねと著者は指摘する。というか著者も京大式カードに挑戦して挫折したらしい。私も手書きのフラッシュカードに挑戦したが、長続きせずにAnkiばっかり使ってる。

著者はこの原因をいくつかあげているが、やはり開発した人がもともと手書きでメモやスケッチを残し管理することに慣れており、それを前提としてカードが開発されているからじゃなかろうか。

そういうわけで「ノウハウは開示されているのに実践できない矛盾」をテクノロジーで解決しましょうと著者は提唱するのであった。

まず情報を規格化する。メモ1枚に一つの情報にできるデジタルのメモ帳が、規格化と相性が良い。もちろん瞬間的に短文で言語化できる能力が必要。

規格化という点でデジタルはアナログよりも圧倒的に有利だ。1つの情報に1つのテキスト、URL、画像、音声データ、、、これはAnkiで山ほど単語カードを作っているときに痛感した。

そしてメモ帳やObsidianにためこんだ情報をアウトプットするときは、Wordとかにコピペすることもあるけど、エクセル上で作業することもあるらしい。たまげた。

たしかに情報を1つのセルにして、たくさん並べると俯瞰できるし、上下左右に移動も自由自在だ。長尺のスライドを作るときに使えそう。

ただし大切なのは使う人の知恵と勇気。

デジタルテクノロジーといっても、メモ帳アプリとエクセル程度ですが、そもそも大切なのはツール自体ではありません。50年前の京大式カードもそうですが、大切のは、ツールを開発した本人すら語っていない(本人にとっては当たり前の)運用のノウハウであり、できるだけシンプルな仕組みにすることで習慣化し、継続することです。

太字は引用者

意識高い本を読めば素晴らしいノウハウがたくさん見つかるが、たいてい続かないのはこういうことだよね。個々人の好みやライフスタイルにあわせて習慣化できないから続かない。


以上のような感じで6つのモードについて解説されている。6つは完全に独立ではなくシナジーを発揮できる。一つ一つについてのトレーニングが微小な効果しかもたらさないとしても、全体としてはぐっと生産性が上がっていることになりそう。


最後に今後の展望、つまりテクノロジーがどれほど人間の仕事を奪うのか、テクノロジーは人間の感性をどのように変えていくか、などなど。

著者は機械が人間の知能・知性を超える可能性は低いと考えている。そもそも機械は問いを設定できない、回答を出すことはできても批判的に吟味できない、あるいは倫理的な価値判断ができない、といったことである。

(それできていない人間も多いのではとツッコミを我慢しつつ)同意するものであるだが、私が思うに、決定的な違いは、機械は生産できてきも消費できないことだ。消費や浪費は人間にしかできない贅沢である。その楽しみを享受する機械が出現したら、それこそ知的生命体といっていいのかもしれない。

以下、自分の職業にまつわることなど。

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1,152字

新反動主義、加速主義をベースに書いていきます。3000字程度の記事を約50本収録予定。

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