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『黄熱の歴史』たいへんおもしろかった

黄熱病について調べていたらこんな本に出会ったのである。

序文をジョルジュ・カンギレムが書いていることからもわかるように、フーコーのように臨床医学のエピステーメーのパラダイム・シフトを語るものである。

さすがみすず書房って感じである。

閑話休題。

黄熱病とはどんな病気か。昨日紹介した『ビジュアル パンデミック・マップ』から引用する。

1900年、米軍幅な基地の軍医だった34歳のラジアーは、黄熱の原因を探るために節リルされた新たな委員会に加わることになった。1898年にキューバをめぐって米国とスペインが繰り広げた米西戦争において、米軍では、戦傷で命を落とした兵士の数が300人に満たなかったのに対して、キューバでの黄熱による死者は3000人近くにのぼった。黄熱の感染拡大を防ぐ方法を見つけることは、米軍の最優先課題となった。
これに先立つ1881年、キューバの医師カルロス・フィンレイは黄熱が蚊によって広がる可能性を指摘していた。当初、彼の説はいくぶん懐疑的に受け止められていたが、1899年に蚊がマラリアを媒介することが明らかになると、フィンレイの説も真面目に取り上げられるようになった。
米国の黄熱研究委員会の院長であり軍医でもあった細菌学者のウォルター・リードは、1900年の段階ですでに一つの可能性を除外していた。少なくとも、この病気は川から引かれた飲料水から感染する病気ではない。

こんな感じで、フィンレイの仮説をリードらが実証したという形で解説されることが多いが、実際はそうでもなかったというのが本書の内容である。

時代はアメリカがアンティル諸島やメキシコ湾岸で棍棒を振り回していた時代である。パナマ運河建設を含む、棍棒外交のためには黄熱病制圧は喫緊の課題であった。

また細菌説はすでに浸透していたが、環境論的パラダイム、つまり瘴気的なものから感染が生じるという発想もまだ幅を利かせていた時代である。上述のリードが川の水から感染する可能性を除外したとはそういう意味である。

フィンレイは、フィラリアの生活環解明に貢献したパトリック・マンソンに多くを負っている。マンソンはフィラリア症をおこすバンクロフト糸状虫は蚊によって媒介されることを突き止めていた。これにヒントを得てフィンレイはネッタイシマカが黄熱病を媒介することを発見した。だが彼は実験によって再現できなかった。

マンソンは、まだ環境論的パラダイムにとらわれていて、蚊が水辺で出産後に死亡し、その水を飲むことで人間は感染すると考えていた。これは腸チフスやコレラが水を媒介とすることが証明されたばかりの時代だったためだろう。

1898年、英国人医師ロナルド・ロスはマラリア原虫がハマダラカによって媒介されることを実証する(のちノーベル賞受賞)。彼はインドで研究をしていたのだが、インドが現代医学になした貢献についてはいつかまたいずれ。

これらを受けてアメリカはハバナにリードら研究チームを派遣する。リードが不在の間に、彼の部下であるラジアーとキャロルは英国人からなんらかの示唆を受ける。おそらく蚊が感染してから、人間に感染させられるようになるまでの潜伏期間のことと思われる。蚊がたんなる運搬者ではなく、培養器でもあるという視点がフィンレイになかったものではないか。ネッタイシマカはハマダラカはたんなる注射器ではなく、疾患特異的だったのである。

英国人らに先を越されぬよう、ラジアーらはリード不在の間に実験をすすめる。。。というかキャロルが蚊に刺される実験をする。現代ではありえないことだが。。。そしてラジアー自身も感染してしまい。死亡。

出張から戻ってきたリードは大急ぎで追加実験を進め、論文を書くのであった。

リードの実験は、フィンレイやラジアーよりもコンタミネーション、交絡因子に気を使ったものだった。

一つの部屋を板で仕切って片方にネッタイシマカを入れて、片方には入れない。蚊はちゃんと隔離して幼虫から孵化させる。被験者もしばらく隔離してから、部屋に入れる。結果、蚊のいる部屋に入った被験者は黄熱病を発症し、そうでない被験者は陰性だった。

画期的と言える実験がもう一つあり、黄熱病で亡くなった患者の死骸や排泄物でみたした部屋で被験者を20日間すごさせた。もちろん結果は陰性で、「この不快極まる調度品に接しながらすごした彼らの誰ひとりとして軽微な症状すら示さなかった」。これで環境から伝染するという説は完全に退けられた。1つ目の実験だけでそんなことは明らかなような気はするが、「リードは突っ走った。あえていえば、熱帯医学の屑拾い役を演じているようだった」。

リードはこれにとどまらず、黄熱病早期の患者の血液を採取し、他の人間に静注すると発症することを確認した。これによって早期から血中に病原体が存在し、蚊は刺すことで媒介者になることが示された。現代人からすれば、そんなことまで証明する必要があったのか、あったとしてもっと違うやり方があったのではないかと思うが、当時はそういうものだったのだろう。

こういう現代ではありえない、非人道的かつ非蚊道的実験の末に、黄熱病はアメリカ大陸では制圧されたのであった。

歴史的には、あと一歩のところまで迫っていたフィンレイが軽んじられるのはある意味しかたないことであろう。帝国主義真っ盛りの米国としては栄誉をひとりじめしなくてはならなかったのだ。

認識論的あるいは歴史的なことをおいても、この本は面白い。初期の熱帯医学や微生物学の胎動を感じるからである。患者の分布、気候、昆虫の生態などから類推していく医学者たちの息遣い、手付きが伝わってくる。コンタミネーションが現代とは比べ物にならないほど厄介であったことも書かれている。

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