【農水省Youtuber】「花いっぱいプロジェクト」は一過性に終わったりしない?

たぶん、こういう論調の記事を業界関係者が目にすると、イラッとするのだろうけれど、書かずにいられないので書こうと思う。

新型コロナウィルスで、入学式や卒業式などのイベントの中止が相次ぎ、花の需要が落ちていると報道が多方で寄せられた。
農林水産省などがそれに呼応するように、奇抜な動画で需要喚起の呼びかけを行い、大手生花店でも、SNSなどの利用で花の利用を周知している。
地方に住まう僕ですら、ホワイトデーのときにはスーパーの生花を購入する人を数多く見かけたりもした。

そして僕はこれらの取り組みには賛成である。

そもそも、本来は利用される花。
それがコロナウィルスの影響で切り花の需要の高くなるこの時期に、使われるはずだった花の利用が減少し、市場でも取引額の落ち込みに至った。
出荷してもたいした売り上げを得られない生産農家は、従業員や近所の人に配るか、あるいは廃棄処分をする…という報道もある。
需要があったからこそ生産されたわけであり、つくってはただ捨てるというのは甚だ馬鹿げている。
高齢化のすすむ業界にあっては、生産に費やしたその労苦さえも容易に想像ができる。

しかし、この取り組みを一過性のものとして終わらせてはいないだろうか。

コロナが収束した段階の、需要が高まったシーズンに、どれだけ今回の取り組みで初めて花を手にした人が再度、購入してくれるのか。
きっとこのままだと、せっかくの「花を身近なものとなり得る体験」を継続的なものにできないだろうと思う。

それはなぜか。

以前からブログやnoteに書いているが、

・生花店での身近に花を飾る提案がほぼない
・花の単価表示や名前すらない
・生花店での花の購入は店員の「手」を通さないと初心者には認められない雰囲気がある

などの商習慣。
そう、敷居が高い(ようにみられる)のである。

3つ目の「生花店での花の購入は店員の「手」を通さないと初心者には認められない雰囲気がある」は若干の説明を要する。
僕も生花店での勤務経験があるし、もちろん、生花店で切り花を注文したこともある。
そこで痛感したのは、客が自由に花をチョイスする汎用性がないこと。
そう、「自由」がない。

花の名前が表示されていないので、客は「あの黄色い花と、ピンク色の花を混ぜて」などと、インスピレーションでの注文となる。
そこに店員が上から目線であれやこれやとアドバイス(いちゃもん)をつける。
「あなたの選んだ紫色はお誕生日のお花には適していません。お葬式などに使われることがあるくらいですから」
「あれはガーベラっていうんです、大きくて綺麗ですよね。でしたらアルスロトロメリアをお付けして、ここにバラを添えてあげると喜ばれますよ」
「このご予算だと、あまり大きなブーケは作れないんですよ。先生の異動に贈る花束はだいたいみなさん、〇〇〇〇円くらいですよ、良いんです?」
店員とある種、緻密なコミュニケーションを図らないと要求通りの花を購入することができない。
これが非常に面倒くさい。
消費者の側が、こんなやり取りを必要だと考えるのなら、それはそれで構わない。
しかし僕にとって苦痛になることが概して多い。

結果、スーパーの置き花に需要が移るし、店員の態度如何によっては二度とその店に通うことはないだろう。
店員を通した花の購入は、花の知識やその後のメンテナンス、そして何よりプロの手を通した信頼性(付加価値)というメリットがある。
しかし、初心者の、しかも小さな体験の発露を基にした行動を阻害することにもなりかねない。
だからこそ、初心者中の初心者、興味が湧いたけれど、知識も何もないひとを上手に取り入れることができる提案が重要だと僕は考える。

で、今回の呼びかけで、そのような対策は取ることができたのだろうか。
1度、花を手にしたひとがもう一度、買いに来てくれるような取り組みはあっただろうか。
何も分からない初心者が、花の楽しさを理解できる、面白いと思われる提案はなされていただろか。

それができていないと感じるのなら、遅くはない。
今日からでも対策を施すべき。

ちなみに僕は、大切な人に花を渡すとき、時間に余裕があるのならスーパーの置き花を用い、花束をつくることにしている。
百円均一などで資材を購入し、自分なりに花や葉物を選び、自分の感性で組み立てる。
これが非常に面白い。
さらに、渡した後に「これ、オレが作ったんだよ」と種明かしをすると、大変に喜ばれ、双方に満足度が高い(笑)。
決して安くはない花材を購入した緊張感が多少なりとも漂うが、失敗しても調整が効く。
何より、選ぶ楽しさから作る楽しさがそこにはあるのだ。
さらに飾る楽しさ、そして花を維持していく楽しさもそのあとには待っている。
生花店での注文に良からぬ経験をしたひとに、ぜひともおすすめしたい。

だからこそ切り花を自由に、楽しく扱えるように生花店は町の「花の材料店」になると良いと考える。
なにもDIYとは、家具や家の補修によるものだけではなく、花にも有効であろう。
または東急ハンズのように選んで自分なりにチョイスできる楽しみを提案できるようにすれば良いのではないだろうか。
そこには花器やドライフラワー用の資材があっても便利だろう。
花の可能性を消費者に伝えることが重要であり、センスを押し付けても何の意味もない。

昨今のテレビで某有名華道家がこれまた芸能人の花のセンスを「格付け」しているが、あの目線こそ、敷居を高くしているものはないだろう。
いかに間口を広げられるかが花業界の勝負すべき土俵であり、消費者が花を手にする前に正解(白黒)を押し付けてしまってどうするのか。
やるべきことはオリジナリティのある花を活けた芸能人の、そのオリジナル性をたたえることであって、文化を背景にした正誤判定をしても仕方がない。
文化という名の解答は、出された答案を理解し、解いた者にこそ出されるものだ。

それと今回、花を買うように喚起したのにも関わらず、あまり現場からの感謝の声が消費者に届いていない気もする。
むしろ、足りていないぶんの需要をもっと増やせという声ばかりが聞こえてくる。
だからこそ、業界に少しでも関係する人間として、どうしても伝えたい。

今回の報道などで、はじめて花を手にしていただいた方も多いかと思います。
ビギナーの方も、常連の方も、ありがとうございます。
どうかこれからも、大切な人に、はたまた自分の身の回りに、美しい花々を飾ってみてください。

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