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アダルトチルドレンは病名ではなく、現象?

現在の興味ある分野のひとつとして精神医学や心理学があります。関連した話題として、アダルトチルドレンを考えることになりました。本で読むより、当事者の方と論議をしようと思い、今回LINEで電話対談を行いました。対談相手は、ご自身をアダルトチルドレンと認識されているスーパー地獄の使者 ドラゴニックエイジアン三世さん(以後は省略のため、T君とします。)です。なお、前回はアイルラと論議(神沢・アイルラ討論会「古文漢文は必修にするべきか。」)を行いましたので、興味がある方はそちらもどうぞ。

対談に入る前に、対談前に私が目的に据えていたことを挙げておきます。

・アダルトチルドレンはどのような症状か
・アダルトチルドレンの要因として何が考えられるのか
・アダルトチルドレンの概念はどのような背景で生まれたのか
・アダルトチルドレンは何らかの精神疾患(鬱病、統合失調症、不安障害など)と関係があるか

では、対談本編です。

(本編構成)
1. アダルトチルドレンって何だろう?
2. アダルトチルドレンは現象?
3. アダルトチルドレンが生まれるのはなぜ?
4. 本来の信仰について
5. 後日談(T君の補足)

1.アダルトチルドレンって何だろう?
神沢:「お久しぶりです。今日はアダルトチルドレンについて何点かお尋ねしたくて、この場をセッティングさせていただきました。」
T君:「こちらこそ。回線が悪いですね。画像がとぎれちゃう。」
神沢:「本当だね。申し訳ありません。さて、本題に入る前にT君がどうしてご自身をアダルトチルドレンと認識しているかについて話してもらえますか?」
T君:「現在、浄土真宗で修業をしているのですが、浄土真宗では内観(※後述)というものがあります。その内観を指導している先生が臨床心理士も兼ねている人なのですが、その方から『君はアダルトチルドレンやね』って言われたのが始まりです。そして、自身の経験や今の状況と比較しても、アダルトチルドレンに自身がとてもあてはまるなあと感じます。」
神沢:「そうですか。僕自身、アダルトチルドレンという言葉の存在を知っていたのですが、そもそも何かということさえ詳しく知らず…。僕個人のイメージの話をすると、アダルトチルドレンというのは、最近流行っているHSP発達障がいとよく似ていると思うのです。0か1じゃなくて、グレーゾーンがあって、誰しもがあてはまり、同時に誰しもがあてはまらない、というか。」
T君:「うーん、そういう意味でいうと、アダルトチルドレンというのは精神医学的な用語ではないね。用語が生まれた背景として、アメリカでアルコール依存症の親を持った子どもたちが大人になって生活で感じる苦痛を説明する手段として社会福祉援助などのケースワーカー達がアダルトチルドレンという用語を使い始めた、というのがある。」
神沢:「なるほど。アダルトチルドレンの要因は親に問題がある、という理解で間違いありませんか?」
T君:「それだけが要因とは限りません。大きく分けて3つの要因に整理できると思います。具体的には、①親の愛情能力が不足②子供の感受性が親と合わない③家庭にトラウマを生むような土壌があり、トラウマを癒せるだけの環境として機能していない、です。言い換えれば、機能不全家庭ということになるでしょうか。他にも、両親の離婚や、親の死などによる外部要因や、兄弟に障がいがある子供がいて、親がそちらに愛情を注いでしまうというやむを得ない事情もあります。」

2.アダルトチルドレンは現象?
神沢:「何だか、それだけ聞いていると誰にもあてはまるような。わざわざアダルトチルドレンという言葉を使う必要性が僕にはしっくり来ない。(笑)」
T君:「いや、実のところほとんどの人がアダルトチルドレンです。先ほども言いましたが、アダルトチルドレンって別に診断ではないですから。苦しい状況を理解する、受け入れるための言葉という色が強いわけです。」
神沢:「なるほど。では、僕のアイデアなのですが、アダルトチルドレンは現象として理解した方がいいと思う。ユトリ世代サトリ世代、のような。「根なし草」現象や「平均人」をオルテガが指摘していましたが、あんな感じ。しかも、依存症の子供は依存症になりやすく、鬱病などの精神疾患に対しても私は同様に思っているからこのアダルトチルドレンという現象はしばらく続きそうな予感がしますね。依存症というのも、アルコール依存、薬物依存から始まり最近はゲーム依存、スマホ依存まである。」
T君:「私もスマホをついつい触ってしまいます。(笑)どうすればいいんですかね。」
神沢:「最近、私はYoutubeに時間制限をつけましたし、LINEのチャットは基本12:00、18:00にしか見ていません。そして、パソコンでできることはパソコンで済ましてしまう。そうしないとスマホに支配されてしまいますから(笑)さて、話は元に戻しますが、ご自身で認識されているアダルトチルドレンになった要因を教えていただけますか。」
T君:「私の場合は親どうしの不仲と母親が精神的に不安定だったということが挙げられます。母親は躁鬱パニック障害境界性パーソナリティ障害等の様々な診断を受けていますが、摂食障害であったり体にタトゥーを入れたり情緒が不安定です。彼女を不安にさせないために、子供の頃からまじめでいい子でいるよう自分を強く律していたように思います。だって間違っていたら強く指摘を受けるわけです。安心できる場所なんてないようなものですから。だからアダルトチルドレンの人は人を疑いやすいわけです。」

3.アダルトチルドレンが生まれるのはなぜ?
神沢:「愛着飢餓のようなものでしょうか。親子の逆転現象とも言われますよね。でも、現代ではありきたりの話ではないかと思うのです。アダルトチルドレンをもう一度現象として考えさせてください。そして、私はその要因として「ヒトが価値になり下がった」ことが大きいのではないかと思うわけです。ここは資本主義も共産主義も変わらない。ヒトが労働する、生産するためだけのモノとして考えて合理化を進めすぎた歪みだと思うのですよ。つまりは、生産的でないとき、仕事でうまく行かなかったときに自分の意義を見出せない。すると、不満が募って子供にあたり散らかす、モノや行為に依存する。人によっては、鬱症状が出たり、自死を選択したりする人までいるわけですから。」
T君:「私はそれをBeing(ありのまま)とDoing(やること)という言葉で説明します。現代人はDoingを推し進めすぎて、Beingをあまりに軽視している。だから、不幸になると考えているのです。」
神沢:「なるほど。現代人は、点数、学歴や年収、そして「いいね」の数で決まってしまいますもんね。何かをやらないと、なさないとその人の価値が認められない。だからそれが達成できない場合に自分を見失う。まさにDoingを推し進めてBeingができていないことを指しているのかもしれません。」
T君:「Beingを愛せないから、反出生主義というのも生まれてくる。上級国民や下級国民という言葉は少し煽りを感じますが、そういった現象は否定できない。だからこそ、Beingを軽視しているとそのような発想でも全く不自然ではないわけです。」
神沢:「ありのままって重要ですよね。どうしても、無理にプラスに考えようとする。そこに歪みが生まれて鬱病になる。そりゃ脳的には『もうやめとけ』みたいな警告みたいなものですから。(笑)無理に頑張ることが僕も好きでしたが、今ではスッカリ変わりました。疲れたときは寝よう、って思います。(笑)」
T君:「私はマイナス感情とみなしたものを無理になくそうとしたり、抑圧・コントロールしようとしたりすることが、Beingからの阻害に繋がるのではないかと考えています。それをプラス思考・未来志向なんて言って、自分の勝手な解釈を言っている。ある意味でそれはBeingの考えからずれていると私は思います。」

4.本来の信仰について
神沢:「なるほど。じゃあ最後になりましたが、折角の機会ですし関連した話題にもなりそうなので、信仰の話に移りましようか。僕は坐禅などもすることがあるわけで多少仏教についてはかじっているつもりですが、信仰となるとちょっと距離を遠く感じてしまう。そこには誤解などもあると思うので是非伺いたいなあと思いまして。」
T君:「ありがとうございます。結論から申し上げると、信仰よりも自分自身を知ること、Beingに気づくことが重要だと私は思います。信仰というのはあくまで自分自身を知る過程で生まれるものであると考えているからです。信仰にも2種類あって、1つは『神がいるから大丈夫、教義だけ守っていればOK』というような考え方。もう1つは『自分自身を知る中で、大いなる愛を実感する』ことが信仰だという考え方。私は後者なのですよ。とはいえ、実際は前者の人が多い。私が所属している浄土真宗でも『阿弥陀様の救いがあるからひたすらお祈りだけすればいい』というような人の方が多数派だったように思います。本当に救いの実感を得た上であれば、南無阿弥陀仏だけで十分だ、というのも間違いではないとは思うのですが。」
神沢:「T君のいう意味での信仰ならば、僕は数学を信仰しているのかもしれません。」
T君:「だから、私は浄土真宗の内観を大事に考えています。ちなみにこの内観ですが、僧侶である吉本伊信が考案したものです、当初は修行としての要素が強かったのですが、次第に心の専門家にもその手法が注目されるようになり、現在では精神疾患の治療としても大きな効果が期待され活用されています。内観合宿に修行の一環で参加したのですが、治療の一環で参加されている方も多くいらっしゃいました。」
神沢:「そうなんですね。今日のBeingとDoingの話は興味深かったです。ありがとうございました。」
T君:「こちらこそ。次は回線が途切れ途切れになるのを避けるためにZOOMとかがいいかもしれませんね。」
神沢:「すみません(笑)次からはまた手段を考えます。濃密な時間どうもありがとうございました。」
T君:「ありがとうございました。」

5.後日談(T君の補足)
T君に最後、内容を確認しているときに、下記のようなコメントを頂いたので載せておきます。
T君:「対話したときには特に触れなかったけれども、一応私の根本的な考えとしては、結局、原因やきっかけはどうあれ、『自分がそのビリーフに執着しているから、現実がそう見える』ということ。
自分はアダルトチルドレンだ、と信じこむと、その考えを支持する現実ばかりが目にうつり、考えに修正を迫りかねない現実は視野に入ってこない。でもそんな人が内観をして、自身のビリーフによって歪められた現実ではなく、ありのままの現実を見ることができれば、「自分はアダルトチルドレンだ」というビリーフから解放されることがある。そのビリーフはありのままの現実を説明していたわけではなかった、ということがわかるからね。他にも、『自分は被害者だ、親が悪い」と考えていた人が「自分が悪かったんだ。家庭を混乱させていたのは自分だったんだ」と考え直したりね。

自分のことをアダルトチルドレンだと認識している人は、そういう話を聞くと、「自分が荒れたのだってきっかけは親じゃないか。愛に満ちた教育を受けていたら荒れる必要だってなかった」と反論したくなるだろうけどね。自分もずっとそう思っていたし、今でもそういう考えが自分を正当化させようと浮かんでくることはあるしね。

でも、『そういう自分の考えが百パーセント正しいと言いきれるか?ありのままの現実はどうであったか、しっかり見つめ直してからでも反論はできるから、とりあえずまず内観してみよう。』という態度で内観を深めていくことができれば、きっとあらゆる自分を苦しめるビリーフから解放されていける、と私は信じています。もちろん、機能不全が深刻であればあるほど、ビリーフからの解放は困難だろうけどね。

だから、自分自身がアダルトチルドレンかというと、『アダルトチルドレンだ、というビリーフはまだ根強いけど、そのビリーフから解放してもらえるように、自分の人生やビリーフと向き合っているところです』という感じかな。」

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