目がァァァァァァ

最近、自分の目が信用できない。もともと信用などしていないが、そうは言っても僕の目玉さんは性能が低いのではないか。自分の目で見て、耳をかっぽじってよく聞く、これはどんな人間にとっても大事なことである。そのうちの目がいけない、そんなふうに思ってしまったのである。

とはいっても実際性能が低いのかどうか。それは皆目わからない。視力検査とやらでは両目とも1.5はある。この結果を聞くぶんには、まぁよく見えるじゃないか、と思う。母もそういう。しかしこれは静止した大小の円形の図の差異を見極めるというのがテストの内容であって、実は視覚のテストとしては甚だ現実的じゃない気がする。現実にそんな類似したものばっかり見て我々は生活しているか。違うものばっかだろうが。しかも目まぐるしく動くものばっかりである。これじゃ我々が最も利用する視覚の良し悪しを図るテストにしては、不十分だろとも言いたくなる。動体視力を測る視覚テストも導入すべきである。導入しろ。

話がだいぶ逸れたが、要は僕の視覚は静止したものについては特に問題はない。よく見えている。多分見えている。見えていると思う。そういえばこの前、数字を一桁見間違えたな。そういうことはよくあるから、一概に見えているとは言えない。だれだって見間違いくらいある。

じゃあ運動しているものが見えないのか、そうでもない。蚊が飛んでいることぐらい、すぐわかる。散歩中に小さい鳥が飛んでいる、あれはシジュウカラだな、そんなのもすぐわかる。水面に目を凝らして、泳いでる魚の種類も大体わかる。近所の池にはブルーギルとブラックバスしかいないから考える必要もないが、たまにドジョウがいる。こいつは潜っているのでよく見ないとわからないのである。

じゃあ何が問題だというのさ、それは身長である。他人との身長差、これがわからない。自分のほうが頭一つくらい高いのに、相手の方を高いと思っている。こういうことがしばしばある。この前、自信を持って「彼は僕よりおでこ一つくらい高いですよ」と言って、後で並んでみたら僕のほうが高い。身長を聞いてみたら、174cmであるという。僕は179か180か、そこらである。1cmくらいならまぁ間違えることもあるか、と思っていたが、5cmくらい違う。更にその前にも同じようなことがあったが、その人とは多分7cmくらい差があった。

自分の目の物差がおかしくなったかもしれない。僕の目の性能の低下はそういう物差についてである。別に生きることについては差し支えない問題である。ただ、気になった。気になったからこういうふうに書いている。

ここまで長々と書いてきたが、多分これは視覚の問題ではなくて意識の問題である。相手をどのような形として意識しているか、その問題であろう。身長は実際には少し低かったが、周りを含めた視覚情報とその人となり、そういうのが僕の勝手な身長感に結びついたのであろう。確かに、その人を見る時はいつも少し離れたところからだった。離れたところから見ると、身長の高い人は浮くものである。そうなると、あいつは身長が高いな、という刷り込みが行われるのはごく自然である。だからといって、僕より高いな、となるのは少し行き過ぎだろうな。

目は口ほどに物を言う、百聞は一見に如かず、何て目を強調する諺が多い。論より証拠、これも視覚になぞらえた諺であろう。実際、目は論を必要としない。どうしたってあるものはあるし、ある形はある形である。何より、そこには時間がない。目は瞬間を切り取るのである。反対に耳は時間を切り取る。音の高低、強弱、そして流れである。目にそれはない。

そういう性質だから、多分間違えたのである。なんにしても瞬間しかない。僕にとって、自分より高いと思っていた人は、高いなと思ったその瞬間の視覚情報を主として形成された人物だった。いざコマを重ねて見てみると、以外と違うじゃんか、となった。映画のコマ一つとったって映画はわからん。人間と一緒である。まぁ、わかるとかいう変人もいるが、それはまさに変人なので考えたくない。僕は普通である。

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