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I・Wハーパー

 広告代理店に僅か3か月ほど在籍していたころ、新入社員にもかかわらず、飛び込み営業をさせられた。新人類とか僕らの事を呼んでいた時代の話である。世の中はバブルで浮かれ始めていた。そんな時代であった。
 バブル期に突入したといっても、佐世保の田舎町では広告は取れず、疲れて夜、必ず寄るのが、街中から帰り道にあるスナック、アトモスフェアであった。
 そこで必ずバーボンウィスキーのI・Wハーパーをキープした。安い酒ではない。今でこそ酒税の関係で随分安くなっているが、当時は1本キープで8000円以上していたのではないだろうか。
 マスターは少し仏頂面で 無精ひげをはやして、トレーナーを裏に着て、ズボンの中に押し込んでいた。ズボンはスリムジーンズであった。今からするととんでもないファッションであるが、当時の流行であった。その恰好を僕もかっこいいと思っていた。
 マスターと僕の間に会話はほとんどなかった。毎夜、訪れる僕を、またきやがった、みたいな目で見るが、こちらは客である。だから文句は言わない。独りチビリチビリ、ハーパーをロックで飲む。4杯飲んだら、今夜は終わりである。そう決めていた。
 マスターは怪しげな目で僕を斜め横から覗いていたが、僕が話しかけると不機嫌そうでもなく返事をする。どうも新入社員が毎晩こんなところへ独りで来てこいつは大丈夫なんだろうか?とでも思っていたようだ。かといって突っ込んだ話はせずに、いつも短い会話で終わる。
 僕は短い詩を書いた。現在の自分の憂いを嘆くように。なんでこんな寂れた田舎で、毎日取れもしない新聞広告の飛び込み営業等しないといけないのか。他のベテラン社員はデスクにへばりついて、どこからか手に入れた名簿を見て名刺広告を取ろうと電話ばかりしていた。広告代理店とは名ばかりだった。自分が情けなかった。
 ある日僕は辞表を出して、福岡に戻り0からやり直すことにした。こんなところにいたら人間が駄目になってしまう。
 最後にアトモスフェアに行った日、辞めることをマスターに告げた。そうだろうなあというような顔をしたのは覚えているが、何と答えたか憶えてはいない。キープしたハーパーは最後なので、底まで飲んだ。もっともあまり残ってはいなかったけれど。
 

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