絵本のこちら側とあちら側
子供とかかわったことのある人なら、1度は経験したことがある絵本の読み聞かせ。
1対1なら、自分のひざに子供をちょこんと座らせて絵本のページをめくる。横に並んで読んであげるかもしれない。お布団にゴロンと一緒に寝ころぶ絵本タイムも楽しい。
1対1のほかに、1人の読み手が複数の子供たちに絵本を読むこともある。絵本のさし絵を子供たちに向けて、読み手と聞き手が向かい合う。絵本のこちら側には読み手、絵本のあちら側には子供たち。
絵をゆびさしたり、子供たちの反応を見て抑揚をつけたりしながら、読み手は絵本を音読する。
絵本の読み手は大人で聞き手は子供。
たいていの人はそう思っているし、ワタシもそう思っていた。このイベントに参加するまでは。
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地域の保育園でおこなわれた、大人の大人による大人のためのイベント【大人に絵本の読み聞かせをしよう】が、それだ。
子供の参加はお断り、大人だけが参加できるというユニークな試み。
絵本の読み聞かせをしてくれるのは現役の保育士さん。毎日読み聞かせをしているプロ中のプロが、大人のためだけに読み聞かせをしてくれる。なんて贅沢なんだ。
子供たちが小さいころ、我が家では寝かしつけのときに毎晩読み聞かせをしていた。読み手のワタシはいつも絵本のこちら側で、絵本のあちら側に座ったことがない。
絵本のあちら側に座ってみたいなと思ったのが、このイベントに参加するキッカケだった。
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保育士さんが、大人のために読み聞かせをしてくれた絵本は3冊。
長いときを経てなお、たくさんの人に親しまれている絵本。
3冊とも絵本のタッチやアプローチはまったく違うけれど、物語の世界にスッと連れ出してくれる点は同じ。
子供たちが小さいころ何度も読み聞かせをした3冊。物語の内容もしっかりと頭に入っているお気に入りの絵本だ。
それでも、絵本のあちら側で読み聞かせをしてもらうという体験は、予想を上回る新鮮さだった。
いつも読み手だったワタシが、聞き手となって絵本に見入る。
読み手のときは、絵本の文字を目で追いながら、子供がどんな反応をしているのかを見ていた。
つまり読み手のワタシは、文字と子供の顔を見るだけで、絵本の“キモ”である絵をきちんと見ていなかったのだ。
それが絵本の聞き手になると、絵本との向き合いかたが一変する。
絵の細かい部分まで目がいき、絵本の世界にグイグイ引き込まれる。耳から入ってくる保育士さんの声を聞きながら、ページを隅から隅まで目でなぞる。
橋の下にかくれているトロールの顔、怖すぎる(三びきのやぎのがらがらどん)。
くんちゃんがいつも大切にしているぬいぐるみ、木苺をとりにいくときに忘れちゃってるよ(14ひきのあさごはん)。
あんな形とネーミングのパンがあったらおもしろいな、買ってみたいな(からすのパンやさん)。
ページの端のあんなところに、こんなものが描いてあるんだ。
あのキャラクターの表情、くるくる変わっておもしろいな。
次のページではどんなことが起こるのかな。
同じ絵本なのに、聞き手は読み手とはまったくちがう感覚。目と耳と脳をフル回転させて、絵本のなかで登場人物と一緒に旅をしているようだ。ストーリーにもグッと深みが増す。
絵本はやっぱり、絵の世界観にひたりながら目と耳と想像力で味わうものなんだ。
子供たちは、いつもこんな気持ちで絵本の読み聞かせを聞いていたのか。なるほど納得。このワクワクする感覚、楽しいに決まっている。
「絵本よんでよんで」
「もう1こよんで。もう1こよんで」
と、子供たちが何度もせがんでいた気持ちが、今になってようやくわかった。
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大人たちに読み聞かせをしてくれた保育士さんが、イベントの最後をこう言ってしめくくった。
「大人のみなさんが絵本を見入っているときの表情、特に目の表情がとても印象的でしたよ」
絵本の読み聞かせをしてもらうことによって、心の奥底に眠っていた“子供のココロ”が刺激されたのだろう。
自分でも存在を忘れがちな “子供のココロ”を、こんなふうに時おり可愛がってあげるのもいいかもしれない。
絵本のこちら側とあちら側。同じモノなのに、立ち位置を変えるだけでまったく違う世界が見える。
ちょっとしたご褒美のような、学びに繋がる絵本の読み聞かせイベントだったな。
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