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年齢を重ねる、先入観。

まだまだ序の口よ。
あと10年経てば
私の言っている意味がわかるよ。

年齢を重ねると、今までになかった体の変化を感じるようになる。

たとえば、
食べる量は同じでも、
胃もたれをしやすいとか、

筋肉痛が
遅れてやってくるとか、

とにかく体力が
なくなったとか。

劇的に変化を実感する余地なく
あれ?なんか、、、
ふとした瞬間に、、、
おお、これが噂のアレか!
とハッとするわけで。

たしかに、
振り返ってみると?
言われてみると??

3年前より胃もたれの頻度は増えたし、原因不明のアザもできるている。

お風呂上がりは、すぐさま化粧水と乳液と美容液を顔にブチ込まないと、かゆくて、かゆくて、たまらない。

めんどくさいという理由でスキンケアをサボるという選択肢はなくなった。

そう考えると、着実に年齢を重ねているんだなぁ、、、とは思うわけです。

そういった変化を考慮して、

お友達との約束や、お出かけの予定があれば、次の日に響かないよう、帰宅時間や体力回復のための時間を確保するようにもなった。

なーんて、いうとさ。

年齢を重ねるということは
恐ろしい事態が盛り沢山だわと
感じてしまうのだけども。

年齢を重ねること、と。
毎日の過ごしやすさは、
必ずしもイコールではない。


もちろん、体力だとか、回復力だとか、お肌の調子だとかは、悲しくなるほど、低下している(のかもしれないけれど…)。

たとえば、平成27年の文部科学省の体力・運動能力の加齢にともなう変化の傾向によると、以下のようなデータもある。

女子では14歳頃にピークに達した後、20歳以降では加齢にともなって緩やかに低下する傾向がある。 参考サイト

データを見る限り、いわゆる体力のピークは14歳頃に絶頂を迎え、それ以降、ゆるやかに体力は低下しているわけだ。

でもね、でもね、面白いなと思うんだけど、“いわゆる体力のピークであっただろう14歳のわたし”は、わたし史上でいちばん、最悪なコンディションだった。

「生きるって、めんどくさいなぁ」以前に、「わたしの体にひっついている、心の感情に合わせて生きていくのが、とても、しんどい、ずっと寝ていたい…」と思っていた。

悲しいとか、落ち込んでいるとか、決定的な出来事があったとか、ではなかったはずだし(忘れているだけかも)、死にたい…ではなく、このまどろっこしい感情を地下10kmあたりに埋蔵したかった。

生物学的にも、もっとも元気だとされている年代は、体力も精神力も思考力も、生きている中で、いちばん「最悪」で、1ヶ月ほどの入院生活を経験した。

・・・・・

それから、15年、わたしも29歳。もうすく30歳。10代の頃よりは、見た目も、体力も、落ちているのだけども(まだまだ、序の口よと言われるかもしれないのだけども)

15年前より「今のわたし」のほうが
圧倒的に心地よく過ごしている。

もちろん、大人になったので、大人ならではなのタスクも増えたけれど、圧倒的に「今のわたし」が心地よい。

毎日、仕事をして、毎日、育児と家事をして、思いつくままに、好きなように、時間を使えるわけではないのに、なぜか心地よい。

そう考えると、

「年齢を重ねる」は、悲観的ではない。

・・・・・

年齢を重ねるは、悲観的ではない。
きっと、自分の生きるクセの、扱い方が上手くなってきているのだと思う。

もちろん、年齢を重ねるなかで「わぁ、これは、ちょっときついなぁ」「むつかしいなぁ・・・」「悲しいなぁ」とか、そんな瞬間もあったけれども。

ああ、こういうところには、もう近寄らなくていい。だとか。そんなふうに、自分にとっての「心地よい」を作るのが、上手になっているんだろう。

なんて思うわけだ。

だけども、年齢を重ねる先入観は、まだまだ呪縛のように感じるものもある。けれど、これも面白くって。

そんな呪縛のない心地よい世界も、自分次第でつくれてしまうものだから、これが、そうだね、年の功。


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