紫陽花好きな母

子供二人 娘インターナショナルスクール→公立小学校へ転校 息子→年長 母の成長より子供…

紫陽花好きな母

子供二人 娘インターナショナルスクール→公立小学校へ転校 息子→年長 母の成長より子供の成長が早い毎日。子育てとキャリアをトレードオフしない生き方を模索中。 家族と共に生きる温かい世界を目指す 子供と教育移住を計画中

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小5の夏、インターナショナルスクールから公立小学校に転校したいと娘から切り出されたハナシ(中)

リングを鳴らした娘は、ドヤ顔をしていた 背筋を伸ばしていたわけではないけど、なんだか、穏やかな佇まいにも見えて、腹を決めた後の余裕すら見て取れた。 パパとママは今まで通ったインターに通ってほしい気持ちはわかる、 でも私の決意は決まったから、とのことだった 何度かの意思確認を経て、娘は、当初通り自分の思いを果たすことになる パパとママは味方だよ、応援しているからね 心から、娘の決断を応援したいと思えるまでにそれほど時間は掛からなかった 娘の中にあるモヤモヤを紐解くと、彼女

    • そして、娘が不登校になったハナシ(中)

      娘が通っている区立小学校は極々一般的な区立小学校で、 先生も当たり外れはあるだろうが、極端に悪い先生には思えず、 娘の言い分を聞きながら、致し方ないなぁと思う母なのでした 母の昭和時代には、不登校という言葉自体がなく、 実際は「登校拒否」という言葉でくくられて、 ただ単に学校にいかずおうちで過ごすというものだったり 学校の単元で嫌なものがある場合は「お腹が痛いので」と言って 保健室で休憩するくらいが関の山でした そうそう、今の子供たちは、自分の主体を持って学校に行くいかな

      • そして、娘が「不登校」になったハナシ(上)

        娘がインターナショナルスクールから区立小学校に転校したのは 2023年9月。9月から12月の二学期はお休みを長くするということはなく、楽しげに通っていたが、2024年の年明けから、お休みしたいという日が増え 気づくと1月中旬には様々な理由をつけて「不登校」に突入したのだった その日娘に聞いてみた・何が嫌なのか・・ 「ママ、自分で決めたから、色々意見しないでほしい」 娘は俯きながらでも、しっかりとした言葉で私に言い放った後、 ポツリポツリと話し始めた ・音楽の授業で威風

        • 小5の夏、インターナショナルスクールから公立小学校に転校た娘のハナシ、娘は不登校気味になった(1)

          娘は、コツコツと学校に通うようになった 2学期をしっかりこなし、成績表も持ってきて嬉しそうだった しかし、1月に入ってから学校を休むようになった 理由は 6年生を送る会で吹くリコーダーを覚えていない段階で クラス全員の前で弾かされて、恥をかいた気持ちになったことが きっかけだとのこと 音楽の先生は、日本のトップダウンの方式を取りいれた授業をしている らしい(というか、それが普通であるのだが) 娘には先生がとても権威的な 発言をすることに引っ掛かりを感じているようである

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        小5の夏、インターナショナルスクールから公立小学校に転校したいと娘から切り出されたハナシ(中)

          鬱だった40代ワーキングマザーの心を動したブレネーブラウンのTEDトーク(続編1)

          ミッドライフクライシス、、まさか、順風満帆な人生を送っていたと 思っていた自分がなるとは今でも、あの時の私でも信じられないのですが、、、あの時、ブレネーブラウンに会えたことは必然で必要だったことだと心から思えるのです 有名な文章は彼女の本から引用しています 挑戦する勇気〜 自分が鬱だって認めること 自分がちょっとしたことで攻撃されたと感じること 誰かから心配されると、心配されたくないという恥みたいな気持ちが出てくること 彼女の話す「弱さ」—英語ではVulnerabili

          鬱だった40代ワーキングマザーの心を動したブレネーブラウンのTEDトーク(続編1)

          鬱だった40代ワーキングマザーの心を動したブレネーブラウンのTEDトーク(上)

          ミッドライフクライシスってご存知ですか? 今日は、子供の話でなく、私のお話です まさか、順風満帆だったワーキングマザーだった自分に Mid Life Crisisが起きるなんて、、、 何度も何度も疑ったのですが、紛れもなく、あの時私は、壁にぶつかり所謂中年女性がなるという「鬱症状」にぶち当たっていました 時はコロナ禍。一斉に世の中がシャットダウンしてニュースでは 各国の空港が封鎖され、病院はコロナ患者を隔離するなどの不穏なニュースで溢れかえっていました 子供達も学校や保育

          鬱だった40代ワーキングマザーの心を動したブレネーブラウンのTEDトーク(上)

          小5の夏、インターナショナルスクールから公立小学校に転校したいと娘から切り出されたハナシ(下)

          ワタシ、あんまり公立好きじゃないかも、、と言い出した 2学期から公立小学校に転校した娘、数ヶ月経過しての今について 記しておきたい 娘からすると、 私は公立には合わない(キリッ) でも、来年外国に住みたいから、今は「日本の一般的な学び」を 得る体験として学校にはいく 母がそれは、インターナショナルスクールに戻りたいって意味かな? と聞くと、きっぱり「それは違う」「インターに戻りたいわけではないの」 ただ、公立のここが好きじゃない、、ということを 語り始めた。。。 ・

          小5の夏、インターナショナルスクールから公立小学校に転校したいと娘から切り出されたハナシ(下)

          体験が人生を変える

          真実だと思う、敬愛する篠原さんのNoteに激しく共感 私は幼少期から運動が苦手で大人になるまで、とても運動を好きになれなかった。ところが、子育てを始めてふと、気づいたことがある。 それは、体験不足だったということ 母は私に、「ミニバス(バスケットボール)や役に立たないから」といって、習わせてくれなかった 自分の子供が体操系の習い事をしたいと言った時に、ふと頭をもたげた一言、、、???なぜ、40年以上前の言葉が頭に浮かぶのか。 頭の中にこびりついていた、言葉を思い出す限り

          体験が人生を変える

          小5の夏、インターナショナルスクールから公立小学校に転校したいと娘から切り出されたハナシ(前半)

          子供が人生を自分で決めると決めた日、それは突然訪れた 長女には、学歴や偏差値を出口にした教育ではなく、自分の好きや得意を知り、伸ばすために、探究型の学びをベースにした学校を探したいと願い、夫と2人で様々な学校を巡り日本のフリースクールにあたるインターナショナルスクールに辿り着いた 所謂日本的物差しでの学力的には、かなり低い学校にあたると思う 教科書もテストもない、異年齢で20名のクラスでタームごとに個人レポートで学びの進捗をシェアするという仕組み、日本語と英語で学ぶので、

          小5の夏、インターナショナルスクールから公立小学校に転校したいと娘から切り出されたハナシ(前半)

          子育てで親ができることは、あるのか?

          子育ての要諦は「私が育てたのではない」と考えること と敬愛する篠原信さんがコメントしている https://note.com/shinshinohara/n/n319640b2308d?sub_rt=share_pw 何があっても、親は子供の幸せを願っている できれば、自分の子供達が生きる視界が幸せであれば良いし、 そういう社会を作りたいと希望を持っている けれども、ついつい、子供を育てる側として正論をかざして、 親としての正義をかざしてしまうことがある 親ができるのは

          子育てで親ができることは、あるのか?

          5歳児にチーミングの極意を学ぶ

          竹登り、運動会のリハーサルで息子が登れず、悔しくて泣いた ママ友から、「登れなくて悔しくて泣いた園長から、まだ2週間あるから十分時間があるよ。大丈夫だよ。きっと大丈夫」と言われていたと聞く。 青天の霹靂だった。息子は早生まれながら、運動能力は低くなく、1歳から通っている保育園の毎日の遊びのお陰もあり、体力系は得意分野で、まさか保育園最後の年長運動会で息子が竹登りに失敗して泣くとは 想定とは大きくズレた結果だったからだ。 翌日から、息子の提案で登園前と後に近くの公園で練習を

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