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【短編小説】小石のお姫様と僕の話

 ある日僕が河原を散歩していると、どこからともなく声が聞こえてきた。とても小さな声だったので、はじめは空耳かと思ったが、どうやらそうではないらしい。声は僕を呼んでいて、足元から聞こえてくるのだった。
「わたくしです、わたくしです」
 きょろきょろ探してみると、河原に落ちている無数の小石のなかで、いっとう小さなやつが喋っている。
「僕に話しかけているのはきみかい」
「はい」
「僕に何の用だい」
「わたくしをお忘れですか」
 可憐な声に問われる。考えてみたけれど、僕には小石の知り合いはいない。
 そう返すと、小石はとても悲しんだ。
「わたくしとあなたは、永遠の愛を誓い合った仲ではありませんか」
「僕ときみが?」
 驚く僕に、小石は至極真面目な顔つきで頷いた。
「そうです。たとえ死んでも、また生まれ変わって一緒になろうと約束したではありませんか」
「そうだったかな」
「そうですとも。そうですとも」
 小石があまりに切実に訴えるので、僕は一生懸命、その小石との恋愛を思い出そうとした。たしかに僕には忘れっぽいところがあるのでよもやと思ったのだ。でも、どんなに丁寧に記憶をひもといても、保育園のころまで遡ってみても、やっぱりこの小石には思い当たらないのだった。僕は正直に言った。
「悪いけれど、覚えがないよ。小石なんてどれも似たようなものじゃないか。いままで出会った小石に区別なんかつくもんか。そもそもきみは、どういう素性の小石なんだい」
「はい。わたくしはこの川を遠く遠く遡ったお山の上にある石の国からまいりました。わたくしはその国の王女だったのです」
「石の国の王女様?」
 おかしな話もあるもんだと思った。石の国なんて聞いたこともない。それに目の前の小石はとても王女なんてがらには見えなかった。小石はすごく小さくて、みすぼらしかった。
「それはわたくしが、この川を長いあいだかけておりてきたからです。わたくしは元はとても大きな美しい岩だったのです。でも、あなたを探して旅に出てから、いくたびも川の流れに身を削られて、気がつくとこんなに小さくなってしまいました。すべてはあなたに会うために」
「そりゃあ、僕のために悪いことをしたなあ」
 と言ってから、僕は、別に自分に謝る義理はないことを思い出した。僕は咳払いをして、
「いや、その話が本当だとしてもだよ。やはりきみの探し人は僕じゃない。僕はきみに覚えがないんだもの。人違いじゃないのかい」
 小石は一際声を高くして答えた。
「いいえ、間違いなどではありません。あなたこそわたくしの愛しいひと。わたくしがあなたをたがえることなどありませんわ。だって生まれたときからわたくしとあなたは一緒だったもの」
 小石のお姫様はそう言って熱っぽく僕を見つめた。僕は頭を掻いた。
「僕は石の国の王子様かなにかだったの?」
「いいえ。あなたはわたくしの侍女でした」
「侍女?」
 またしても僕は驚いた。
「はい。あなたはわたくしが生まれたときに、一番近しい侍女として任命されました。といっても、そのころのあなたもまた、生まれたばかりの石の赤ん坊でしたが。なぜ赤ん坊のあなたをわたくしの侍女にしたかというと、あなたのお母さまは、わたくしのお母さま──つまり、石の国のお妃さまの侍女長であり、そして、無二の親友でもあったのです。ですから、同じ時期に生まれたわたくしのために、あなたははじめ遊び相手として仕えていたのです。あのころ、あなたはとても愛らしい花崗岩でした。わたくしたちは共に遊び、学び、成長しました。わたくしたちはいつも一緒だった。どんな小さな悩みも互いに打ち明け合い、お父さまやお母さまにも言えない秘密を共有し、そして、しだいに愛し合うようになったのです」
 僕は小石のお姫様が、石の侍女と愛し合う姿を想像しようとした。でも、とてもじゃないがうまくいかなかったし、そういう記憶は全然なかった。
「きみは僕のどこがそんなに好きだったの」
 小石はまっすぐに僕を見つめた。
「あなたはいつもわたくしのそばにいた。なによりもわたくしを想っていました。いつも、どんなときもです。石の国と木の国が戦争になったときだって、あなたはわたくしのそばを決して離れませんでした」
「戦争?」
「多くの民が亡くなりました。わたくしの国も、木の国も、激しい犠牲を出しました。最後に石の国は敗けました。お父さまとお母さまは処刑されることになり、そしてわたくしも、そうなることが裁判で決まりました」
 小石のお姫さまは、そこで言葉を切った。小さく固いからだが、かすかに震えているように見えた。
「あなたは……、あなたは、逃げることもできたのです。でも、そうしませんでした。わたくしと一緒に塔に幽閉されました。あなたはわたくしと運命を共にすると言いましたわ。わたくしにとって、その言葉がどれほど心の支えになったことでしょう! あなたと一緒に死ねるのなら、なにも怖くないと思いました。また、わたくしたちは生まれてからずっと一緒だったのだから、死ぬときもそうであるのは当然だとも思いました。それなのに……ある日突然、あなたは言った。王女さま、あなたは生きるべきです、と」
 小石のお姫様は悲鳴のような声をあげた。
「ああ──!あなたは、囮になったのです! あの日、わたくしの処刑の日、処刑台に向かう途中──あなたはわたくしを逃すために兵士たちの前に躍り出ました! あなたは駆け出す瞬間、わたくしの身体を押して、川に落としました。わたくしになすすべはありませんでした。あなたが兵士たちに捕らえられ、処刑台の上に連れて行かれるのを、波の合間から呆然と見ることしかできませんでした。木の兵士たちはわたくしを追いかけようとしましたが、石のわたくしが沈んでゆくのを、木のかれらはどうしようもできませんでした……」
 僕は、小石のお姫さまのために、武器を持った兵士の前へと飛び出す自分について考えてみた。その姿は悲痛なようでいて、しかし、果てしなく滑稽にも思われた。
「わたくしはそれから、長い間、本当に長い間、川を流れて旅をしました。いつか生まれ変わったあなたに会えるかもしれないというただひとつの希望を胸に、身を削られる痛みにも、川の水の冷たさにも耐えました。そして、いま、ようやくあなたに会えました。会えたのです」
 小石のお姫さまは叫んだ。
「お願い。わたくしのことを愛していると言って」
 僕は黙り込んだ。彼女の話は荒唐無稽で、馬鹿馬鹿しくもあり、まともに取り合えるはずもなかった。
 しかし、それ以上に、僕はこの小さな石のお姫様のことがあわれでいじらしくて仕方がなくなってしまった。それでつい彼女のことを拾い上げた。小石は僕の手の中で恥ずかしそうに小さな身体をますます小さくした。それが愛らしいと言えなくもなかった。触り心地はすべすべとしていて、目はきめこまやかで、色は優しかった。僕は彼女のありし日の高貴な姿を想像した。僕となら死んでもいいと思った彼女の気持ちと、僕のために耐えたという長く辛い旅について思いを馳せた。しかし、そうした壮大な物語や甘いロマンスよりも僕の胸を打ったのは、いま、目の前で僕の愛を健気に請う小さくかよわい石なのだった。
 僕は言った。
「ごめんね。やっぱり僕は覚えていない。きみの恋人はほかにいるんじゃないかと思う。でも、この河原はきっと寒いし、寂しいだろう。よかったら僕の部屋に来てみるかい?」
 小石のお姫さまは、それはそれは飛び上がるほど喜んだ。そういうわけで、いま、僕の部屋の本棚の一角には、小さな石が住んでいる。白いクッションに座る彼女は毎日欠かさず僕に愛を囁き、僕はそれを、まんざらでもないと感じている。


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