【更新終了】ウズベキスタンサッカー 2021年オフシーズンの話題
ウズベキスタンサッカーの2021年全日程が終了した。欧州各国リーグと異なり、各大会は日本と同じく年をまたがず春開幕~秋閉幕のスケジュールとなっている。リーグ戦の開幕は3月3日、それに先駆けて2月26日に行われるパフタコル対ナサフのウズベキスタン・スーパーカップ(リーグ戦王者とカップ戦王者の対戦)で2022年のシーズンが始まる。
それまでのオフ期間に起こった主な出来事をまとめる。
オフの移籍情報は別記事にまとめています。
2021年の優勝チーム、表彰
ウズベキスタン1部リーグ:パフタコル
ウズベキスタンカップ:ナサフ
2部リーグ:ネフチ
3部リーグ:ゾミン
4部リーグ:ドゥスリク(オルティアルク)
※各地域優勝チームによるミニトーナメントで優勝
最優秀選手:エルドル・ショムロドフ(ローマ)
最優秀監督:ルズィクル・ベルディエフ(ナサフ)
最優秀若手選手:フサイン・ノルチャエフ(ナサフ)
リーグ最優秀監督:ピーター・ハイストラ(パフタコル)
1部リーグMVP:フサイン・ノルチャエフ(ナサフ)
1部リーグ得点王:ドラガン・チェラン(パフタコル、23試合16得点)
2部リーグMVP:マルコ・オブラドヴィッチ(ネフチ)
最優秀審判員:イルギズ・タンタシェフ
最優秀育成監督:アザム・シェルゴズィエフ(AGMK U-21)
ベストゴール賞:ビロルホン・トシュミルザエフ(トゥロ ン)
ベストゴール賞に選ばれた、トシュミルザエフのロングシュート。
ベストイレブン
GK:ウトクル・ユスポフ(ナフバホル)
DF:マルコ・コラコヴィッチ(ソグディアナ)
DF:アンズル・イスモイロフ(パフタコル)
DF:フスヌッディン・アルクロフ(ナサフ)
DF:シェルゾド・ナスルッラエフ(ナサフ)
MF:エルキン・バイドゥッラエフ(キジルクム)
MF:サンジャル・トゥルスノフ(AGMK)
MF:ドラガン・チェラン(パフタコル)
FW:アズィズ・アモノフ(ロコモティフ)
FW:ショフルズ・ノルホノフ(ソグディアナ)
FW:フサイン・ノルチャエフ(ナサフ)
年間最優秀選手のショムロドフについては全く異論はないだろう。ウズベキスタン人がローマに所属という、これまで誰も見たことのない地平を切り開いた偉大な1年となった。また、リーグ戦のMVPにはノルチャエフが選出。確かに今年素晴らしい成績を残したが、せいぜい最優秀若手選手賞だけだと思っていたのでダブル受賞には少し驚いた。
この他、サマルカンドのディナモ・スタジアムの芝生の管理を17歳から60年間務めるサドリ・ノスィロフ氏が「献身賞」を、イランで行われたアジア・オセアニア予選で3位入賞し、来夏ブラジルで行われるデフリンピックのサッカー競技の出場を決めたデフサッカーウズベキスタン代表チームが「勇気賞」を受賞した。
オディル・アフメドフが現役引退
12月18日、タシケントで開かれたイベントにて、オディル・アフメドフが現役引退を発表した。
アフメドフは東部ナマンガン州の小さな町トゥラクルゴン出身の34歳。元サッカー選手の父を持ち幼い頃からサッカーに親しんだ彼は、12歳で故郷を離れタシケントに行き紆余曲折の末スポーツ学校に入学。その後パフタコルの育成組織に招かれ、2006年のカップ戦にて19歳でプロデビューし、いきなりPKから得点。国内サッカー盟主の座がブニョドコルに移り、パフタコルにとっては「過渡期」に当たる中で頭角を現し、2007年に早くも代表デビュー。
彼の名を知らしめたのが2011年のアジアカップ。急造センターバックとして奮闘し、ウズベキスタンの4位入りに大きく貢献。さらにグループリーグ第1節のカタール戦で見せた35メートルからのロングシュートによって、中央アジア地域を代表する選手として認知された。大会後にウズベキスタンを飛び出し、ロシアのアンジに加入。2014年にはクラスノダールに移籍。長くロシアで活躍したのちに2017年に中国の上海SIPG(現:上海海港)に。ここでも広州恒大(現:広州FC)の5連覇を阻むリーグ優勝に貢献した。昨季は天津泰達(現:天津津門虎)に貸し出され、今季からは滄州雄獅に移籍していたが、同時に負傷で思うようなプレーができていなかった。
個人としては、ウズベキスタン年間最優秀選手を歴代最多の6度受賞。代表チームの一員としては、長くキャプテンを務め、熱い闘志をクールかつハードに発散させ戦う姿はまさに2010年代のウズベキスタンサッカーの象徴だった。代表キャップは歴代3位の108、ミッドフィルダーながら通算得点は歴代6位の21。ワールドカップ予選4度、アジアカップ本戦3度を経験。夢と語っていたワールドカップ出場はついに叶わなかったが、シャツキフ、ジェパロフ、カパゼら前世代が去った後の代表を支え続けた、文字通り偉大な選手、ウズベキスタンサッカー史に燦然と輝くレジェンドである。ピッチの外でも穏やかで誠実な人柄で尊敬を集めており、各所に寄付を行ったり子どもたちにサッカーの機会を提供する人格者でもある。
彼の功績を称え、パフタコルは2006年から2011年に使用した背番号25を永久欠番に設定した。筆者の知る限り、ウズベキスタン史上初の試みである。
今後は、2017年に自らが設立したサッカーアカデミー「オディル・ジュニア」の運営を始め、ウズベキスタンの青少年育成に励むという。オディル・ジュニアは設立間もないが、早くも今年始めて行われたU-14の全国大会で優勝を飾っている。監督には彼と代表でプレーしたザイヌッディン・トジエフ氏を招くなど優秀な指導者を招聘、近代的な設備を兼ね備えており、さらに活動資金は彼のポケットマネーから出ているため月謝は無料ということもあり、本拠地ナマンガン以外からも入所希望者が相次いでいるという。
私が負担する費用というのは、少なくとも1人の優秀な選手を育てることで、差し引くことができます。我々が正しく子どもたちを育てることができたなら、マシャリポフやショムロドフのような存在になっていくと思います。それが我々の目標です。
ーオディル・アフメドフ
長くウズベキスタンのために戦い続けた英雄は、志半ばで「ブーツを釘に掛けた」。しかしその志には、ピッチを離れてからもなお続きがある。将来のウズベキスタンを背負って立つような存在、まさに「アフメドフ2世」が彼の元から現れる日が楽しみである。
全てのことには始まりと終わりがあります。この間代表チームを引退しましたが、今日、最も難しい決断の一つを下します。皆様の前で、サッカー選手としての活動を終えることを発表いたします。これは非常に厳しい決断です。これまでサッカー選手に人生を捧げてきたので、そこから離れるのは難しい決断です。正しい決断だと思っています。多くの人は、まだ続けるべきだと言ってくれました。私にとってサッカーをプレーするということは、ただ試合に出てピッチを動き回ることではなく、そこで全力を出し尽くすとです。ですので、私はこの決断は正しかったと信じています。
ナマンガンで、そしてタシケントで、私をプロサッカー選手に導いてくれた全ての指導者、プロになったあとにお世話になった全てのチームの全ての指導者、特に私を世の中に知らしめ「オディル・アフメドフ」を形作る手助けをしてくださったパフタコル、ウズベキスタン代表の指導者、サッカー連盟前会長のミラブロル・ウスモノフ氏、現会長のアブドゥサロム・アズィゾフ氏に深く感謝申し上げます。家族、友人、全ての愛する人に感謝しています。アンジ、クラスノダール、上海SIPG、全ての中国のチームに感謝します。私は今とてもワクワクしています。今日ここに両親が出席していますが、彼らにも感謝しています。また、スポーツ特にサッカーに大きな関心を寄せてくださる大統領にも多大なる感謝を申し上げます。
最後に、若い人たちに私からのアドバイスがあります。夢を見て、目標を決めましょう。必ず、ワールドカップに行けるでしょう。
ーオディル・アフメドフ
そして12月25日、アフメドフがウズベキスタンサッカー連盟副会長兼連盟実行委員に就任したことが発表された。早くも第2の人生が始動。連盟副会長といえば、今年の夏まで名レフェリーのラフシャン・エルマトフ氏が就いていたポスト。ピッチからオフィスに活動の場を移したレジェンドが、ウズベキスタン代表の悲願と言われて久しいW杯出場に向けて戦い始める。
アンディジャンの19歳ラヒムクロフが死去
悲しいニュースもあった。12月11日、アンディジャンのディヨル・ラヒムクロフが交通事故でこの世を去った。19歳、あまりにも早い死だった。
故人は2002年1月21日グリストン生まれ。2012年のアカデミーが発足時に10歳で加入以降ブニョドコル一筋で育つ。今季ブニョドコルのリザーブチームからアンディジャンにローンで加入。実質プロデビューながら中盤のポジションを掴み20試合に出場、低迷するチームで懸命に戦った。正確なパスと広い視野、ゲームを読む能力に長けた成長著しい期待の若手ミッドフィルダーだった。
チームは残念ながら14チーム中13位で降格してしまったが、来季に向けて保有元のブニョドコルにはメタルルグから引き合いがあったという。
秋にはU-23アジアカップ予選を戦うウズベキスタン代表にも選出、中心選手としてユース時代から同じ釜の飯を食ってきた親友ジャロリッディノフらと全3試合でプレー、見事なゴールも記録した。来年自国開催の本大会でも主力選手として戦うことが有力視されていたが、それも叶わなかった。
実は当サイトでも先日の記事で、「来季が楽しみな若手選手」として彼を紹介していた(上記リンクを参照)。筆者も今季のプレーを見て、ウズベキスタンには貴重な若い守備的ミッドフィルダーとして注目しており、向こう2〜3年しっかり経験を積んで代表にも定着した暁には、シュクロフやガニエフが務める代表のセンターハーフのポジションに割って入り、そして欧州へ……。そこまで期待できるほどの逸材だった。
ニュースサイトChampionat.asiaが同僚や指導者へのインタビュー動画をアップしている。選手たちは彼の死に大きな衝撃と深い悲しみを抱いているが、来年のU-23アジアカップ本戦に向けて「大会で優勝して、ラヒムクロフの両親にメダルを渡したい」「彼と親しくしていた人たちのためにも力を尽くす」と活躍を誓っている。オフシーズンに入り、27日現在U-23代表はトルコでトレーニングキャンプを行っているが、本来はそこに彼の姿もいるはずだった。今はただ、故人の冥福を祈るばかりだ。
ナサフ、今冬の選手獲得禁止
リーグ戦を4位で終えたナサフに痛いニュースが。見出しの通り、FIFAより今冬の移籍期間での選手獲得禁止措置を受けた。リーグ機構がWebサイト上で発表した。
話は昨シーズンのオフに遡る。トルコのアンタルヤでトレーニングキャンプを張っていたナサフに、当時フリーだったマリ人DFのアブドゥライ・ジャキテが参加。プレーが認められ契約を締結したのだが、結局ジャキテはナサフでプレーするどころかチームに合流することもなく退団。ルーマニアのチームにその後加入した。
この際、ナサフが彼に契約条件を全く履行しなかったとして、今年になってジャキテがFIFAに提訴。詳細は伝わっていないが、ナサフが支払わなかった給与はわずか10万ドルだったという情報もある。FIFA紛争解決室での審議の結果、ナサフの過失が認められ「45日以内に未払い分の給与と罰金の支払い」を求める裁定が出たが、このたびその期限内にナサフが何らのアクションを取らなかったため、今冬の補強禁止処分となった。
その後、上記の金銭を支払えば禁止処分は解除されることになっているが、先日の国内カップ戦決勝後にベルディエフ監督が「来季のACL参加に伴って、チームの予算が増額し補強に着手するだろう」と語っていたのとは全く裏腹の結果になってしまった。
なお、昨シーズンのナサフは財政難に見舞われており、今オフにはチーム存亡の危機にまで陥った。今季も本来はACLに出用予定だったのだが、財政面でクラブライセンスを取得できず、代わりにAFCカップに参加した経緯がある。主力のアブドゥホリコフやケンジャボエフを放出したり、スポンサーに少し恵んでもらったりしてなんとか当座を凌いできたが、今回の事件はそんな「ヤバかった時期」が始まる前にあたる。以前より慢性的な財政難だったことが伺える。
先のベルディエフ監督の発言にもある通り、来季はACLを戦うナサフ。いくら若い選手が生えてくるし、彼らを操る高性能パサーのスタノイェヴィッチが健在だからとて、今季よりさらに負荷が増える来季を何もせずに迎えるわけにはいかない。今後どう問題に折り合いを付けていくのだろうか。
2022年2月4日追記:具体的なことはわからないが、どうやら処分は解除されたようだ。これに伴い、早速2名の新選手を獲得した。
2023年からウズベキスタンのACL出場枠が拡大
鬼に2度笑われることになるが、アジアの大陸間クラブ王者を決めるAFCチャンピオンズリーグ(ACL)の2023年大会の参加チーム枠が確定し、ウズベキスタンからはこれまでの2チームから、大幅に割当を増やし4チームが参加することが決まった。
まず、ACLの参加チーム数の決め方を説明する。過去4年間のAFC主催クラブチーム大会(ACLとAFCカップ)の成績から加盟47カ国のサッカー連盟をランク付けし、さらにそれを東西地区の2グループに分け、それぞれの地区グループ内での順位に基づき、上位13カ国に参加枠が付与される方式。2020年までは加盟国の代表チームのFIFAランキングも考慮されていたが、現在は純粋に加盟国のクラブチーム成績のみが反映されるようになった。
各地区1位と2位の国は、グループリーグストレートイン3枠+予選プレーオフ1枠、3位と4位の国には2+2枠、5位には1+2枠、6位には1+1枠、7位から10位までにはストレートイン1枠、11位から13位までにはプレーオフ1枠があてがわれる。
ウズベキスタンは西地区に所属。今季のACL出場枠を決める際に使用されたランキングは全体10位で、西地区内では6位。よって「ストレートイン1枠+予選プレーオフ1枠」の2チームが参加した。それぞれパフタコルとAGMK(ライセンス取得に失敗したナサフの代替として参加)である。
一方、今年ナサフがAFCカップ決勝に進出したり、AGMKがプレーオフを突破し本戦に出場したことが手伝い、最新で全体6位、西地区4位にランクアップ。この時点での順位を用いて2023年の参加チーム枠が決まるため、ウズベキスタンは4位国に与えられる「ストレートイン2枠+プレーオフ2枠」の対象となったというわけだ。おそらく、リーグ戦の上位3チームと国内カップ戦優勝チームの4つが対象になる。今年だったらパフタコル、ソグディアナ、AGMK、ナサフとなり、なかなかいい顔ぶれ。
コロコロレギュレーションが変わる大会なので単純比較はできないが、ブニョドコルやロコが強かった2010年代には安定して4チームを送り出していた(=アジア内でもそれなりの地位を占めていた)ウズベキスタンだが、近年はすっかり2チーム参加に落ち着き、事実戦績も芳しくなかった。
まだブニョドコルが強かった頃の2013年、駆け出しのサッカーファンだった筆者はグループリーグのサンフレッチェ広島対ブニョドコルをビッグアーチまで見に行った。巨漢フォワードのピシュチュルと後に日本に縁ができるムサエフのゴールでブニョドコルが勝ち、アウェースタンドで大盛り上がりしたことをよく覚えている。いくら大会の優先順位が低いとはいえ、応援するチームが国際大会でいいところまで勝ち進むのを悪く思うファンはいない。当然どの4チームが出るかわからない(パフタコルはよほどのことがない限り出るので、実質3チーム)が、頑張ってもらいたいものだ。
U-16、U-14のリーグ戦が発足予定
今年のW杯アジア2次予選敗退後、現在ウズベキスタンサッカーが抱える問題について、サッカー連盟からも一部の選手からも「若い世代の育成」が課題に上がった。事実連盟も、予選敗退を受けて行われた会合でそのことについて話し合ったという。
そしてこの程、来季からU-16、U-14のリーグ戦が発足することになった。今年は秋にトーナメント形式の全国大会が開かれたが、それに代わる形だ。参加チームは、U-21やU-18リーグと同じく、1部と2部リーグに所属するチーム。すでにリーグ機構のウェブサイトには2つのリーグのページが作成されている。
親善試合に向けたウズベキスタン代表メンバー発表
12月27日、来年の1月21日に行われる日本戦(キリンチャレンジカップ)と2月1日にUAEで行われるニュージーランド戦に向けた代表合宿の参加メンバーが発表された。
(1/8追記:オミクロン株の感染が急拡大する中、ウズベキスタン代表の日本入国が認められなかったため、残念ながら日本代表との試合は中止になった)
GK ヴァリジョン・ラヒモフ(AGMK)
GK ウトクル・ユスポフ(ナフバホル)
GK ウミドジョン・エルガシェフ(ナサフ)
DF ファルフ・サイフィエフ(パフタコル)
DF ウマル・エシュムロドフ(ナサフ)
DF ホジアクバル・アリジョノフ(パフタコル)
DF ディルショド・サイドフ(ナサフ)
DF シェルゾド・ナスルッラエフ(ナサフ)
DF イスロム・コビロフ(ロコモティフ)
DF アブドゥッラ・アブドゥッラエフ(ブニョドコル)
DF ジャロリッディン・ジュマボエフ(ロコモティフ)
MF オディル・ハムロベコフ(パフタコル)
MF アクマル・モズゴヴォーイ(ナサフ)
MF アブバクルリゾ・トゥルディアリエフ(ナサフ)
MF アブロル・イソモイロフ(パフタコル)
MF ホジマト・エルキノフ(パフタコル)
MF オイベク・ボゾロフ(ナサフ)
MF ドストン・ハムダモフ(パフタコル)
MF ジャヴォヒル・スィディコフ(ロコモティフ)
MF サルドル・ソビルフジャエフ(パフタコル)
FW シェルゾド・テミロフ(パフタコル)
FW フサイン・ノルチャエフ(ナサフ)
FW アズィズ・アモノフ(ロコモティフ)
まず、今回は招集23人全てが国内チーム所属選手。ショムロドフ、マシャリポフ、シュクロフら国外の主力組はスケジュール(リーグ戦真っ只中)の兼ね合いもあり不参加。就任以来一貫して新たな選手の発掘・既存の選手の見極めに重点を置いているカタネツ監督の意向が反映された人選といえる。
初招集は3人で、育成王国ナサフからは2人。今季ベストイレブンにも選ばれたサイドバックのナスルッラエフと、U-23代表で中心選手を務めるトゥルディアリエフだ。前者は馬力にある突破と早く鋭いクロスが武器のパワフルな左サイドバック。後者はサイズと技術を兼ね備え、CBも守備的MFもソツなくこなし、どちらのポジションでもスケールの大きなプレーを見せる期待の20歳。そしてもうひとりは今季パフタコルで大きくその名を上げたFWのテミロフ。労を惜しまぬ運動量と裏抜けのスピード、妙に高い決定力が持ち味で、完全なバックアッパーから準レギュラーの座を掴んだ勢いに乗る若手。
また、カタネツ体制になってから呼ばれ始めたジュマボエフ、サイドフ、モズゴヴォーイ、ノルチャエフら若い選手も引き続き招集。
ゴールキーパーがどうなるのかも気になるところ。これまで不動の守護神だったスユノフが今季は負傷で長期離脱、コンディションが万全でないままシーズンを終えた。また昨季急成長を遂げ、そのまま代表の序列に割って入ると思われたネーマトフが不調。国家1番手が不在の中、パフタコルでのライバルであるクッヴァトフ、AGMKのラヒモフ、今季ベストイレブンのユスポフ、ネーマトフからポジションを奪取したナサフの若きエルガシェフなど様々な選手を試しているが、ファーストチョイスはまだ見えてこない。
まだ陣容が固まったとは言い切れないが、新戦力を代表に組み込もうとするカタネツ監督の精力的な姿勢には期待が持てる。2020年のU-23アジア選手権に出場した1997-98年生まれの世代をスムーズにフル代表にスライドさせることに成功し、昨年初めに比べて選手の顔ぶれは一気に若返った。さらに幸いなことに、2000年以降に生まれた選手は空前の逸材ラッシュ。この中から次世代の代表を背負って立つ存在が何人現れるか楽しみだ。
2022年1月16日追記:現在ドバイでトレーニング中。出発前にカタネツ監督がコロナウイルス陽性と診断され、現在母国スロヴェニアで隔離中。また、エルキノフも到着後に陽性となり療養していたが、16日までに回復したため練習参加。無症状だがエルガシェフにも陽性反応が出ており、現在隔離中。
パフタコルのハイストラ監督が辞任
今季リーグ最優秀監督に輝いたパフタコルのピーター・ハイストラ氏がシーズン終了後に退任。アルヴェラゼ前監督の元コーチを務め、今季から監督に昇格した同氏。前任者の戦い方を引き継ぎ、丁寧なサイド攻撃を軸としたアタッキングサッカーでリーグを制した。昨年末に「近いうちにまたお会いできることを祈っています」と続投に前向きなコメントを残し、イリスメトフSDも同様の発言をしていたが、結局契約期間満了により退任が発表された。
後任については正式な就任発表はまだないが、1974年生まれの北マケドニア人スラフチェ・ヴォイネスキ氏という人物だそう。チームから「決まってはいないが、交渉が成立すれば来季から指揮を執る」という奇妙なプレスリリースがあった。あまり情報がヒットしないのだが、母国のメタルルグ・スコピエで指導者のキャリアを始め当時のマケドニアの年代別代表チーム監督を務め、その後はトルコのさまざまなクラブでアシスタントコーチを務めた。直前に率いていたのは2019-20シーズンにスロヴァキア1部のŠKFセレチというチーム。なお、メタルルグ・スコピエ時代には、現ウズベキスタン代表監督のスレチコ・カタネツ氏の下でアシスタントコーチを務めていたこともある。22歳の若さで指導者キャリアを始めていることから、選手としてのキャリアは殆どまたは全くないと思われる。
ヴォイネスキ氏がどんな人物なのか、またどんなサッカーをするのか、アルヴェラゼ氏と同じくトルコでの指導者経験を持つが関係があるのかなど、詳しいことはよくわからないが、一つわかるのはこれまでの2人に比べてあまりネームバリューがない人物ということ。監督にかける予算も減っているのか……と詮索してしまいそうになる。なお今季のパフタコルは給与未払いや所有権の変更などお金にまつわる嫌なニュースが多く報じられ、オフにも主力選手を放出し弱体化しており、イリスメトフSDも来季は若手選手を積極的に起用すると明言している。来季のパフタコルはここ2年ほど見せていた王者っぷりが影を潜めるかもしれず、それに伴い大補強をしたナフバホル、チーム力を着実に高めるAGMKやソグディアナにも十分に優勝のチャンスが出てきている。
なお、アルヴェラゼ氏は今季は無所属。しかし現在イングランドのチームが関心を示しているとの報道があり、身辺がにわかに騒がしくなっている。ハイストラ氏もおそらく彼が指導することになるチームのコーチになるのではないかと見られる(22年2月、チャンピオンシップ(2部リーグ)のハル・シティの監督就任が発表された)。
3チームがロゴマークを変更
ウズベキスタンで最近ひそかにブームのリームのリブランディング。昨季もアンディジャン、ブハラ、ネフチがロゴマークを変更したが、今オフにも動きがあった。
幾分マシになったコーカンド
22年2月7日、コーカンドの広報より、来季からロゴマークを変更する旨の発表があった。
新しいロゴマークはネイビーブルーと白のみのシンプルな色使い。全体的な形も楯状から、中央にリボンを配した丸型に変わった。コーカンド市の象徴的建造物であるフダーヤール・ハーン宮殿の入り口をあしらった意匠は変わっていない。
以前のロゴマークは、回覧板か学級だよりに載っているような、フリー素材と取り込んだ写真を組み合わせて、チョイチョイとWordかExcelで作ったような拙いデザインだった。それがようやく幾分まともなものになった印象だ。
ガラッと変わったナフバホル
ナフバホルも来期はチームカラーを一新する。年明け早々にチラッと報じられただけだったが、その情報通りに、これまでの赤一色からガラッと変わって青になった。
チームからの公式アナウンスがないのだが(公式サイトも2月12日時点で赤一色、Telegramアカウントはないようだ)、トルコのアンタルヤでトレーニングキャンプ中の選手たちからは、その一端が伝わってくる。
上掲の写真からも、チームカラーが青になったことがわかる。そして選手の左胸には、見たことのないロゴマークが。発表がないのでいかんせん確定的なことは言えないが、これが来季から使用するものなのだろう。
2月11日、アンタルヤでカザフスタンのカイラトと練習試合を行うことが決まり、チーム広報が提供した画像を、ニュースサイト"Stadion.uz"の記事が掲載していた。
ようやく公式に新しいロゴマークが発表された。もっとも「新チームカラーとロゴのアナウンス」ではなく、「え?来季はこれですけど?知らんかった?」的な発表で、ロクに広報活動する気の感じられないこれぞウズベキスタンサッカー感全開なのだが、それはこのトピックには関係ない問題なので、不満だがまあいいだろう。
デザインとカラーがコーカンドの新ロゴとダダ被りだが、一応コメントすると、落ち着いたブルーを基調としたシンプルなデザインになった。
従来のロゴマークは、アメリカのカレッジフットボールチーム「エアフォース・ファルコンズ」の1963-94年に用いられたロゴと酷似(精一杯好意的な言い方をすれば)していたことで一部でおなじみだった。今回のものも筆者にはどこか既視感があった。おそらく、隣国タジキスタンのフジャンドとダブって見えるのだろう。こちらは前回のような明らかな「パチモン」ではなく、偶然だろうが……。
なにはともあれ、選手もカラーも装い新たに来たるシーズンに臨むナフバホル。早く公式にカラーとロゴ変更の発表があってほしいものである。
※ユニフォームは赤で戦うのか?上下赤のウェアを着たケンジャボエフの写真も見られる。
あまり変わらなかったスルホン
新シーズン開幕を直前に控えた2月末に、スルホンもロゴマークを変更した旨のアナウンスがあった。
一見したところ、特に大きな変更点は見受けられない。特筆点を強いて挙げるなら、黄色から赤みが消えていわゆるレモンイエローになり、パフタコルのチームカラーとほぼ同じになったことくらいか。またロゴ中央部に描かれた、太陽に照らされた砂漠をバックにしたペガサスの意匠も同じだが、向きだけが変わっている。
しばらく経てばリニューアルしたことも忘れてしまいそうなデザインだが、昨季末から大型スポンサーを得て、チーム首脳陣もガラリと変えたことで、デザインの新奇さというよりも、新体制になったのでロゴマークも新しいのにして心機一転、といった感じだろうか。
H. H. ゴフロフの年齢詐称が発覚
新シーズン開幕を目前に控えた3月2日、ウズベキスタンサッカー連盟は個人情報を捏造していた選手を明らかにした。その選手とは、今オフにスルホンからネフチへ移籍した「1997年5月20日生まれのフスヌッディン・フサンボイウール・ゴフロフ」とされてきた人物である。
連盟のサッカー選手の地位と移籍に関する委員会で取り上げられた内容によると、同選手は本当は「アンヴァル・フサンボイウール・ゴフロフ」であり、数年前に弟のフスヌッディン氏の個人情報でパスポートを登録し、フスヌッディン氏に「成りすまして」サッカー選手としてのキャリアを続けてきたという。アンヴァル・ゴフロフとしての実際の生年月日は明らかではない。
しかし2020年にバレたようで、アンヴァル・ゴフロフ氏とフスヌッディン・ゴフロフ氏は互いの生年月日と姓名を交換することでパスポートの機能を失わせたとして告発され、同年3月3日にフェルガナ州ブヴァイダ地区裁判所の判決に従い、実際の情報に基づいたパスポートが発行されていたという。委員会の調査では、同選手はキャリア初期に指導者や両親の圧力のもとで不承不承に詐称に同意したと結論付けられた。
これを受けて、委員会は同選手の「本当の」個人情報に基づいた雇用契約書ならびにほかの書類をリーグ機構に提出し不正をただすことを許可し、同時に同選手の処遇を連盟の懲罰委員会に諮ることを決定したという。なお、処罰の内容について現時点では具体的内容は明らかになっていない。
この手の不正はこの国では珍しくなく、選手の売値を上げるのに躍起な代理人やチーム関係者、我が子の将来(とお金と名声)を願う選手自身の家族や親族の指示で手を染めるケースがほとんど。昨オフにもナサフのムロドベク・ラフマトフ(当時は「フジャンベルディエフ」名義)が2002年生まれを2004年生まれと偽っていたことが発覚している。筆者が知る限り、同様の不正を犯した選手は上記のラフマトフ以外にもゼイトゥッラエフ、テシャボエフ、アブドゥッラエフ、ハサノフ、アフマダリエフ、ナルズィクロフ、マフスタリエフと枚挙にいとまがない。
正直「またか」という印象で呆れてしまうのだが、サッカーの正常な発展を妨げる重大な行為に変わりはない。ウズベキスタンサッカー界に根を張る悪き「伝統」の一刻も早い根絶を願うばかりだ。
完全に余談だが、これまで使用してきた偽名「フスヌッディン・ゴフロフ」も、本当の名前「アンヴァル・ゴフロフ」も、いずれの場合も同姓同名の元ウズベキスタン代表選手がいる。
前者はなんと今季AGMKからネフチに加入しチームメイトになった1994年生まれのウイングの選手、後者は黄金時代のブニョドコルの右サイドバックを務め、21年シーズンを最後に引退しそのままアシスタントコーチに就任している。本サイトでは混同を防ぐために、通常は明記する必要のない父称も使って区別していたが、「フスヌッディン」でなくなっても区別する必要がありそうだ。
※ZZ様のコメントから、アフメドフが所属した上海SIPGの現在のチーム名を「上海上港」から「上海海港」に修正しました。ご指摘ありがとうございます。
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