ブニョドコルのラフモナリエフがルビンに移籍
はじめに
ブニョドコルのウマラリ・ラフモナリエフがロシア2部のルビン(カザン)に移籍することとなった。現在の契約が満了になる今冬の加入、契約期間は3年半。
簡単な選手紹介
フルネームはウマラリ・マハマダリウール・ラフモナリエフ(Umarali Mahamadali oʻgʻli Rahmonaliev)。2003年8月18日生まれの19歳(記事執筆時点)、ウズベキスタンは東部の都市ナマンガン出身の若手選手。背番号は33。育成の雄ブニョドコルが生み出した最新作だ。
ポジションはミッドフィルダーで、ブニョドコルでは4-3-3のインサイドハーフとしてプレーする。攻守にハイレベルな万能型で、攻撃では試合を作る長短のパス、局面打開のドリブル、引き技や急旋回を多用して細かいスペースを抜けていくスキルフルなボール扱い、すでにPKを含む全てのキッカーを任されるほど高精度のセットプレー、威力と正確性を併せ持ったミドルシュートが武器。守備では相手に食らいつき、ボールを刈り取るように奪うだけでなくインターセプトも巧みで、攻守のスイッチ役としての役割もしっかりこなす。
非常に小柄で、身長は170cmあるかないかというくらいだが、なかなかどうして体型は筋肉質。当たりの強さ、アジリティの高さに加え驚異的な持久力を兼ね備え、90分間ハードにプレー可能。対峙する相手を恐れないハートの強さも持ち合わせる。この国の選手にありがちだが、熱さが空回りして無用のトラブルを起こすようなこともない。若さを感じさせるエネルギッシュなプレーと年齢不相応な落ち着きを兼ね備える末恐ろしい選手だ。
豊富な運動量やゲームメイク能力はシュクロフを、トリッキーなボール扱いはウルノフを、必殺のキラーパスや相手に向かっていく姿勢はジャロリッディノフを、身体の強さや闘志溢れる全力プレーはアフメドフを彷彿とさせる。いわゆる「6番」に加え「8番」のロールをこなす、これまでのウズベキスタンにいないタイプ。
余談だが将来は地元のチームでキャリアを終えたいと語っており、どうやらナフバホルのファンらしい。さらにどうでもいいが、ユースチーム時代にはプレースタイルから「カンテ」とあだ名されており、本人も手本にしているという。極めてどうでもいいことだが、最近の選手には珍しくシャツの裾をパンツにインしてプレーする。
これまでの経歴
12歳で対戦相手のブニョドコルにスカウトされ、故郷を離れタシケントへ。育成チームに加入し、順調に成長すると2020年からU-21チームの主力を務め、2021年にはトップチームのメンバーにも入るようになる。シーズン後半の8月13日に初出場を果たすと。デビュー2戦目には早くもスタメン出場を経験、そして3戦目のトゥロン戦(2021年10月22日)では、後半の追加タイムに見事なコントロールショットを決め、決勝点となる初ゴールをマーク。
結局デビューシーズンはリーグ戦4試合の出場にとどまるも、短い時間で印象的なプレーを見せた。なお、筆者は2021年シーズンのまとめ記事(下記リンク)で、将来が楽しみなティーンエイジャーとして、パフタコルのファイズッラエフと並び彼を紹介している。
そして今シーズンは、同一ポジションで精神的支柱のルトフッラ・トゥラエフがオフにネフチに移籍したこともあり、当時のマクスドフ監督の抜擢を受け開幕からレギュラーを確保。トゥラエフの穴を埋めるにとどまらず、豊かな才能が一気に開花し台頭。チームは開幕から調子が上がらず、シーズン序盤の5月にマクスドフ監督が辞任し、後任にはコーチのカルペンコ氏が昇格。次第に相手のマークも強くなっていく中でも変わらぬパフォーマンスを披露。長足の進歩を遂げ、あっという間に国内屈指のMFに変貌した。
もちろんあらゆる能力が大きく伸びているのだが、今季で特に目立つのはゴールに直結するプレー。ただの「上手い選手」から「怖い選手」へと進化している印象だ。4月25日のネフチ戦では見事なミドルシュートをネットに突き刺し、6月29日のパフタコル戦では2得点を挙げ、3-2で強敵撃破の立役者となった。
細かい怪我に苦しむ時期もあったが、ここまでリーグ戦15試合に出場し5ゴール1アシスト。チームは開幕から調子が上がらず、シーズン序盤にマクスドフ監督が早々に解任され、後任にはコーチのカルペンコ氏が昇格。さらに9月にはそのカルペンコ氏も解任され、リザーブチーム監督のボシュコヴィッチ氏が昇格。監督がコロコロ変わりる中、ポジションを明け渡すことなく奮闘する。
所属チームでの活躍が認められ、ウズベキスタンU-20代表チームにも招集されるようになり、キャプテンも務める。順調に行けば来年ウズベキスタンで開かれるU-20アジアカップの主力を務め、早晩フル代表にも選ばれるだろう。
なお、先の記事で筆者は彼を「守備的MF」と見なしていた。そしてトゥラエフが抜けることまではさすがに予期できなかったが、「いきなり主力にな」ってしまった。チームと選手を見る目のなさに恥じ入るばかりである。トーシローが予想もできない速度で彼が成長したことの証左と言ったほうがいいだろう……。
移籍の経緯
ブニョドコルで驚きの急成長を遂げ、評価もうなぎのぼりのラフモナリエフ。そんな彼の身辺が8月に突如慌ただしくなる。きっかけは8月2日に、ニュースサイトChampionat.asiaがルビンからのオファーを報じたこと。
当初は「オファー額の5万ユーロは安すぎる。彼には100万ユーロの価値がある」とブニョドコルが突っぱねて破談になったそうだが、再交渉でどういう結論が出たのかは分からないが、あっという間に移籍が決まった。ルビンによる正式発表は8月18日、19歳の誕生日に行われた。曰く、今季の前半戦から彼に注目しており、エージェントにプレー動画を求めたのは、ルビンのレオニード・スルツキー監督自身だったとのこと。
ルビンは昨季16チーム中15位の成績で2部リーグに降格。今季は2部リーグで3位につけており、1年での1部リーグ復帰も十分あり得る。かつて本田圭佑が所属するCSKA(モスクワ)を指揮していたことで知られるスルツキー氏が2019年から監督を務めていたが、ウィンターブレーク直前に辞任。現在はユースチームの責任者ウトクリバエフ氏が代行監督を務めている。
本拠地カザンはタタールスタン共和国の首都。共和国の主要民族であるヴォルガ・タタール人は大多数がムスリムであること、ウズベク語と同じテュルク諸語に属するタタール語が広く使われているということ、中央アジアと文化が少し似ているということで、以前から中央アジア諸国からのリクルートに力を入れている。フョードロフ、ダヴラトフ、ダヴレトフ、ガリウーリン、デニーソフ、ビクマエフ、ナシモフ(以上ウズベキスタン人)、ウマルボエフ、サミエフ(以上タジキスタン人)と、例を挙げればきりがないほど。
また、2000年代後半の黄金期にはトルクメニスタン人のグルバン・ベルディエフ氏がチームを率いたことも特筆に値する。
ちなみに、ブニョドコルとルビンの交渉結果がどうだったのかはわかっていない。ルビンやChampionat.asia、Transferarktの情報では今冬にフリー移籍で加入とのことだが、この事実からはルビンにはるかに有利な交渉であったことがうかがい知れる。仮に移籍金で両チームの折り合いがつかなかったとしても、冬まで待てば契約満了になり、移籍金を支払わずに獲得できたからだ。この場合、ルビンが支払う代価は移籍金を払っての獲得に比べチーム加入時期が数か月遅れることだけ。つまりルビンにとっては「金を払えばすぐにもらえる、金を出さなくても数か月後にもらえる」状況だった。
ブニョドコルにしてみれば有望な若手をタダで手放すことになり大きな痛手となるが、どうやらルビンが当初5万ユーロのオファーを出したことにヘソを曲げ、そのまま交渉が決裂したことで、かえってより不利な結果になったようだ。慌てて「ルビンがラフモナリエフとコンタクトを取っている旨連絡があったが、契約を締結したことまでは聞いていない、FIFAに訴える」と話題をすり替えてルビンに文句を付けているが、今更どうにもならないだろう。
もっとも、ラフモナリエフ本人にも国外挑戦の意思があったためブニョドコルと契約延長できたかは怪しい。移籍のプロセスは、滞りなく進んだとみていい。
結局ラフモナリエフは「①ルビンが違約金を払ってすぐに加入」「②ブニョドコルと契約が切れる今冬に加入」のどちらかになるが、この記事を書いた前日に行われたナフバホル戦に出場している点、何よりロシアの夏の移籍市場がとっくに閉まっていることを考えると、②となった可能性は高いと考える。なお、本人がSport.uzに語った交渉の流れと条件は以下の通り。
また、彼とほぼ同じタイミングで、ナフバホル所属でウズベキスタン代表のDFリーダーのアシュルマトフのルビン移籍も発表された。新天地に同胞がいるのは、両選手にとって心強いことだろう。
その後
ブニョドコルは夏の移籍市場クローズ後も低調な戦いが続き、9月のネフチ戦に敗れたことでカルペンコ監督を解任。後任にはこれまで長く下部組織を担当してきたセルビア人のボシュコヴィッチ氏が昇格。降格圏もちらつく10位という苦しい状況で舵取りを任されたボシュコヴィッチ監督だが、自らが指導してきたティーンエイジャーを大胆にトップチームで起用するなど短期間でチームを改革し、失われていた選手の自信を回復。V字回復に導きリーグ戦を8位で終えた。
ラフモナリエフもその中で大車輪の活躍を見せ、全コンペティションで25試合に出場、7得点1アシストの成績を残した。この1年間で信じられないほどの成長を遂げ、ついにはウズベキスタンに収まりきらなくなってしまったというわけだ。
シーズン後にはリーグ機構が選ぶ年間最優秀若手選手賞候補に選出。受賞はパフタコルのファイズッラエフに譲ったものの2位票を獲得した。
そして11月18日に、両チームの合意により、ブニョドコルの契約満了を待たずルビンに合流した。ここで初めて、事前に彼が明かした通り「3.5年契約」と判明した。背番号は、ブニョドコルと同じ33番。
おわりに
話題はそれるが、近年若手ウズベキスタン人選手のロシア挑戦が続いている。
旧ソ連であるウズベキスタンにとって、レベルが高く比較的環境に適応しやすいロシアは以前から重要なステップアップ先だ。2017年にショムロドフがブニョドコルからロストフに移籍したのが発端となり、しばらく間が空いて2020年にジャロリッディノフがロコモチフ(モスクワ)に、ウルノフがスパルターク(モスクワ)に移籍した。翌2021年にはユルドシェフがニージニー・ノヴゴロドに、そして今年の夏にはエルキノフがトルペドに移籍した。彼らは移籍時点で10代後半から20代前半、将来を期待されるトップクラスの逸材。ウズベキスタン代表でも、ロシアでの失敗から状態を崩し、20歳の若さで「過去の人」になりつつあるジャロリッディノフを除き全員が主力選手になっている。
また、ここ数年でベラルーシへのルートが新たに開通した。エネルヘティクBGUの1チームだけが積極的にウズベキスタン人選手をリクルートし始めたのがきっかけだが、そこから2021年にはウマロフが同一リーグのBATEに移籍、1年でチームを去ったがシャフツョールがウバイドゥッラエフを獲得。今シーズンはウクライナ挑戦に失敗し、エネルヘティクで再起を図るB.アブドゥホリコフが大活躍、リーグ得点王に輝いた。
安く選手を仕入れたいチーム側と、比較的ウズベキスタンに近いレベルかつ「欧州リーグ」に挑戦したい選手の思惑が一致したことで、特A級とはいかないまでも才能のある選手の現実的な移籍先として選ばれるようになった。
特徴は国内リーグで思ったように活躍できない選手が当地で活躍したこと。先述のウマロフが出世頭で、AGMKで燻っていたがエネルヘティクで名を上げてBATEに移籍、攻撃の中心に成長すると今期はカザフスタンのオルダバスでプレー。行く先々で監督と衝突する扱いにくい選手ながら、カタネツ監督になってからウズベキスタン代表に定期的に呼ばれるまでになった。
話は戻るが、2部リーグながらもロシアに移籍することになるラフモナリエフは、とりあえずは賢明な選択をしたのではないだろうか。
先述のジャロリッディノフとウルノフは強豪チームに移籍しセンセーショナルに報じられたが、実力にそぐわないチームに「放り込まれた」ことでレベルの違いに苦しみ、結局2人とも短期間でロシアを去ることとなった。対照的に実力で劣る昇格チームに移籍したユルドシェフ(移籍先を決めるにあたりショムロドフの助言があった)とエルキノフは、実戦経験を積みながら新しい国のサッカーに適応することができた。
ウズベキスタン1部リーグ出身で、いきなりロシア1部の有力チームで活躍できるほど優れた選手が出ることは稀である。誰もが明るい将来を信じて疑わなかったジャロリッディノフがあっけなく失敗したので、なおさらそう思う。そこで、実力に見合ったチームで成長してから更なるキャリアアップを目指すのが現実的だ。そしてロシアには「ロシア1部で活躍・成長し、西欧のハイレベルなリーグへ移籍」という偉大なショムロドフが作った前例がある。ラフモナリエフの先の発言を見ても「さらなるステップアップが狙える点」「いきなり1部リーグではない点」を認識している。さらに、この移籍はジャロリッディノフのような代理人主導でもウルノフのような前所属先のフロント主導でもなく、ルビン側からの、しかもスルツキー元監督からの照会がきっかけとされている。
これらの点が、ラフモナリエフが賢明な選択をしたと考える理由である。
極めて私的な話になるが、彼はトップデビューしたまさにその試合からフォローしていた思い入れの強い選手。そんな選手が2部リーグとはいえ欧州に挑戦するというのはとても嬉しい。
もっとも、彼が成功する保証はない。確かにウズベキスタン国内では非常に優れた選手だが、ロシアでは話は別。彼に興味を持ってくれたスルツキー氏が彼の合流直前に監督を辞したため、後任のウトクリバエフ氏の構想に入るかどうかという懸念もある。しかし、数少ない先人のように、ロシアに順応し、活躍し、成長してステップアップする可能性もまたある。今後どうなるかは見てみないと分からない。
頂点も底辺も成長して初めてその国のサッカーは成長する。ウズベキスタン国内で彼のプレーが見れなくなるのは寂しくもあるが、同時に才能ある選手はどんどん国を飛び出していってほしいとも思う。「国内組」と「海外組」の二項対立を超越しつつある日本代表がカタールで快進撃を続けているのを見て、なおさら。
ラフモナリエフにはルビンで研鑽を積み、その勤勉さで更なる高みを目指してほしい。そして近い将来、今ひとつパッとしないウズベキスタン代表を一段上のステージへ導く存在になることを願っている。
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