自己愛性パーソナリティ障害(NPD)の夫と、境界性パーソナリティ障害(BPD)の妻

自己愛性パーソナリティ障害(NPD)の夫と結婚して6年目。自分の境界性パーソナリティ障害(BPD)の治療を進めていくにつれて、主人との関係性がどう変化していったかをまとめました。現時点では、決して「仲の良い夫婦」とは思えないし、自分の病気も完治はしていない。それでも、少しずつ、良くなっていると感じています。

お互いについては、いい意味で「諦めた」のかもしれない。けれど、
より良い夫婦でい続けることは、諦めたくないと、思っています。
「他人の課題」と「自分の課題」を見誤らないように。

1.出会った当初は「運命の人」と感じる

夫の第一印象は、「爽やかで、堂々としていて、カリスマ性があり、セレブっぽくて、頭が良さそう」。その場にいる誰もが、彼を好きになってしまうのではないかと思うくらい、オーラのある人に見えました。そんな彼に、出会ってすぐに結婚を申し込まれ、あっという間に子どももできました。当時、母親との関係に悩んでいた私は、悩みを聞いてくれる彼の存在にとても支えられました。この人はどうしてこんなに助けてくれるのだろう、お節介にも思えるほどに、私の問題を解決しようと「介入」してきてくれました。今思えば、自己愛性パーソナリティ障害(NPD)の人の特徴そのものです。でも、当時は「この人と出会うために私はこれまでの人生頑張ってきたんだ」と本気で思っていました。

2.ありのままの自分を丸ごと愛して欲しい

気づいた時には、それまで自分が関わっていたコミュニティとの関係は、どんどんなくなっていました。仕事の合間に何度も電話をかけてくれる主人に、あらゆる話をし、それだけで満足でした。なんだか色々理由をつけてSNSも全てやめさせられました。実家の両親とも「距離を取るべきだ」との主人の考えに従い、電話がかかってきても出なかったり、訪問を断ったりしました。

世界には「自分」と「旦那」しかいないのではないか。そんな日々の中、「人生でたった一人でいいから、自分の気持ちや考えの全てを丸ごと受け入れて欲しい」という思いが強くなり、価値観の話、過去のこと、将来についてなど、色々話すようになりました。しかし、自分が求めているような反応は主人から返ってきません。話も聞いてないようだし、うざがられているよう。ありのままを愛されるどころか、ちょっとしたミスや失敗で、罵倒されることがどんどん増えていきました。

3.「正義のヒーロー」から「詐欺師、死ね」へ

この頃から、BPDの発作的な衝動が出るようになってきました。行動としては、「物を投げる、壊す」「大声を出して暴れる」「暴言を吐く」など。望んでこんな行動をとっているわけではないのに、助けてくれない。「キチガイ」と罵られる。無視される。こちらの話は全て「病的だから」という理由で聞いてもらえない。

結婚当初、正義のヒーローに見えた主人は、私が本当に助けを求めている時には助けてくれない。まさに「理想化」と「こき下ろし」の心境になりました。寝ている主人の横で何時間も延々と話をしたり、読み切れないような量のメールを何連続も送りつけたりしました。当時、自己愛性パーソナリティ障害という言葉を知らなかった私は、彼は詐欺師なのか?と思うくらい、理解できませんでした。でも、同じように彼も、私を理解できなかったと思います。当時は、明らかに「常識から外れた言動」をしていたのは私の方だったのだから。

4.病院に連れて行かれる。見捨てられると感じる。

何件か病院やカウンセリングを回り、やっと信頼できる専門の先生の所にたどり着いた時には、自分自身でも「境界性パーソナリティ障害」であることを自覚できるくらいに、知識も増えていました。実際、BPDの診断をされました。

正直、診断が下りてホッとした部分もあります。病気のメカニズムが分かることで、「私が悪いんじゃない、病気のせいだったんだ」と責任を押し付けることでちょっと救われた面もありました。しかし、ここの病院の治療方針は患者にとっては厳しいもので、原因となった過去の両親や、現在のパートナーに目を向けることはほとんどなく、あくまで「現実、自分自身が、どう変わるか」を日常的にトレーニングしていくものでした。

本来は、BPD患者の家族(同居)が、トレーニングに協力することで、治療は早く進むものです。関連本を主人に見せたり、診察に一緒に来てもらったり、自分でワードで資料を作成して、BPDのメカニズムや治療トレーニングについて説明したりしました。

それでも、主人は一貫して態度を変えることはありませんでした。治療にはついて来ます。「こんな態度で困っている」ということを医者に説明はします。それでも、治療について具体的に助けて欲しいことを、理解することも実践してくれることも、一度もありませんでした。これは治療を始めてから4年以上経った今まで、変わることがありません。見捨てられたと感じ、治癒とは逆方向に感情が進んで、髪を引っ張ったり、体をかきむしったり、首を絞めて欲しいと主人に懇願することもありました。

日常の、主人に対するストレスや傷つきはたくさんありましたが、一番ショックだったのが、治療に協力してくれない態度だったと思います。本当に治って欲しいのなら、協力して欲しい。しかし、日常でちょっとでも主人に都合が悪いことが起こると「お前が境界性だからこうなったんだ。」「ほらまた境界性の顔になってる」「とっとと病院へ行け」と言われる。むしろ主人にとっては、「境界性のおかしい妻」という設定があることで、自分は正しいんだ、と周りに主張しているようにしか見えない。
これも、今現在も変わりません。

5.治療が進む。自分が成長した方が得だ、と知る。

週に1、2回のペースで治療を進め、だいぶ良くなって来た頃から、数ヶ月に一回の診察になっていきました。治療を始めて3年目くらいには、衝動的な暴力、暴言はほとんど消失していました。

「彼の性格が変わったら、私の病気は治る」と初めは思っていたため、ネットで自己愛性パーソナリティ障害の記事を見つけては主人に送りつけたり、チェック項目に当てはまる物を一覧表にしたり(ほぼ全てに当てはまりますが)、色々試みましたが、全く効果はありませんでした。

結局、病院の先生に言われた言葉が、自分の治療に最も効果がありました。
「旦那さんに対して『お前が言うな』は置いておいて。自分が成長した方が、ずっと得ですよ。自分が旦那さんに言われることが気にならなくなって、行動が普通になっていって、周りの人に『大人っぽくなったね』と言われて、普通に人と関われるようになる方が、絶対お得!」

6.傷つかなくなる。

暴力がなくなってきた頃と同じ頃から、主人に何を言われても気にならなくなってきました。例えば、主人に頼まれていた仕事にミスがあったとします。実際は、主人の伝達ミスであったことでも、100%私が悪いという言い方で、人格否定しながらミスを責めてきます。その時、「ミスしたことは事実だし、ミスしたことももう変えられない。けれど、今後お互いにどうしたらミスしないかを、私が考えることはできる。」と前向きに捉えると、主人がどういう言い方で責めてきても、どうでも良くなるのです。

NPDの人が、自分の非を絶対認めず、漫画のキャラクターなのかと思うくらいに強いリアクションで、ありとあらゆる理由をつけて、相手の責任にしてくることは、むしろ面白いくらい。傷つく時間が勿体無いと思うようになりました。

7.自分のことは自分で決めて良い

そして、半年前くらいに、私はアドラー心理学に出会います。境界性パーソナリティ障害の治療過程に、アドラー心理学はもっと使われても良いのでは?と思うくらいに、私には効果がありました。(アドラー心理学の概要は省略)。

もしかすると、治療があまり進んでいない段階でこの理論を取り入れると、ちょっとした勘違いが生まれる可能性もあるかなと思います。BPDは、他者に介入されるということのストレスにめっぽう弱い人種です。自分の考えに対して、違う意見を言われるようなものなら、「自分の存在が全て否定された!私はおしまいだ!死ななければならない!」くらいに、冗談抜きで思い込んでしまい、「私をこんな気持ちにさせた相手が許せない!」という思考に飛躍します(冷静に書くと、なんと極端な思考…)。この段階で、「自分の課題には人を介入せず、人の課題にも介入しない」というアドラーの言葉を取り入れようとすると、「ほら!介入してくる相手が悪い!!!」という間違った解釈になりかねません。

BPDの治療がある程度進んだ今の私が、このアドラーの言葉を見たとき、「自分のことは自分で決めて良いんだ」と勇気をもらいました。
今でも日常的に、私の意見が主人と違う場合には、
「お前の考えは病的だから」
「一般的な意見っていうが、世の中の低レベルな意見に合わせるな」
「旦那を尊敬しない妻を見た子供はどう育つんだ」
「大事なことは最後は俺が決める、お前はこだわりを手放せない病気だ」
「ほらまた境界性が出た、病院行けよ、キチガイ」
と言われます。
それでも、主人の価値観と、同じだけ、私の価値観にも価値があって良い。主人がどう感じるかは「主人の課題」。私がどう感じるかは「私の課題」。

本来のBPD治療は、「自分の言動が『一般常識的な言動』と比較して、かけ離れていないかを確認する作業の連続」のようなものです。そのために、一般常識的と思われる近親者に、都度言動をチェックしてもらい、介入してもらうことによって、ストレス耐性を上げていき、社会への適応度を上げていきます。

これをNPDの近親者と共に行うのは、なかなか不可能です。そもそもNPDの相手が、一般常識的な言動とはとても思えないからです。

それでも、逆に共依存的に、BPD患者のいうこと一つ一つに全て肯定し、要求を全て聞いてしまうような相手だったら、私はいつまでたってもBPDが良くならなかったと思います。

主人は、ヒーローでも詐欺師でもない。合ってる時もあれば、間違っている時もある。共感できる時もあるし、そうでない時もある。そう思えるようになってから、とても楽になりました。

8.20年後、状況が変わらなければ、別れたら良い(イマココ)

子どもが生まれてからは、ますます意見がぶつかることも増えました。今でも日常的に罵倒されることがあります。本当は、NPDであっても、BPDであっても、価値観の違う人間が一緒にいることによって、一人ではできないことを作っていけたら良いなと思うし、世界を広げていけたら良いなと思っています。

結婚してから今までずっと、いや、もしかすると彼はもともとずっと、彼の中で自分は「素晴らしい人」であり、「人から賞賛されるべき人」「数年後に成功を勝ち取っている」「資産家になっている」「有名人と繋がりがある」「人々に感謝される存在」という理想像の中で日々を送っています。

そして、「理想像の彼」ではなく、「現実の彼」について私がコメントをすると、鏡を突きつけられたような心境になるのか、私への罵倒と、「境界性だ!病院行け!」が始まります。

おそらく、彼は現実の自分を見るもの見られるのも耐え難いのかもしれない。

私は、彼が勝手に理想としている理想像の彼より、日常的に見ている彼そのもので、充分魅力的な人だなと思っています。本心で。

いつの日か、NPDの鎧を抜いでもらえたら良いのになと思いつつも、脱げない彼というのが、ありのままの彼なのかなとも思います。けれど、私自身はBPDのまま一生を送っていたら、後悔したし、この年齢のうちに治療ができて本当に良かったと思っているので、可能であれば、彼もNPDを脱ぎ捨てられる日が来たら良いのにと願ってしまいます。

おそらく、この関係のまま、子どもがハタチを過ぎたら、私は離婚を選択すると思います。それまでは、頑張る動機や理由の方がたくさんあるので。まずは子どもの存在。そして、自分自身が成長するために、ここまで理解のない相手と一緒にいるのは、むしろやりがいがあるなとすら思う。下手になんでもかんでも許して愛してくれる相手より、成長しがいがある。日々、このまんまじゃダメだと、ある意味常にダメ出ししてくれる。

それでも。
20年経ったら、老後は、愛されなくてもせめて、
一番身近にいる人に理解されていないということを抱えながら生きなくても良いんじゃないかなと、今は思います。

一生、旦那に搾取されながら、奴隷のような気持ちで生きるのか、と思ったこともあったけれど、そんな必要はないし、
今は、前向きに、主人との心の距離が取れるようになって来ました。

20年後別れても良い、というのは、決してそれまで苦痛に耐えて生活するとか、仮面夫婦で過ごすとか、そういう意味でもない。

一人でも生きていける経済力と自立心を持ち、境界性との完全な決別をするには、20年はちょうど良いくらいの期間だと思っています。

けれど本当は、

その時に、この先も一緒にいたいと、お互い自立しながら寄り添える夫婦になれていたら良いな。そう思いながら、日々過ごしています。

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