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東寺に寄って来ました

⬜︎はじめに
 大阪天満に仕事で出向く用事が出来たため、静岡を朝早く出て、大阪へ。
 新幹線なら、2時間半、便利になりました。大阪までの出張なら、日帰りです。

【🚉JR大阪駅】
※新大阪から乗り換えて大阪駅へ、さらに乗り換えて天満へ

 大阪は行き慣れていないため、天満へは一つ目の駅で下車すればいいのに、福島方面に行ってしまい、逆方向だと気づき、また乗り換えて二駅乗って、目的地の天満駅へ。

【JR大阪環状線・天満駅】
※天満駅は橋上駅舎。降りて改札を潜ると、横丁商店街が縦横に伸びていました。

 午前中で仕事を終えたので、そのまま静岡に帰路するのもなんですから、帰りの道すがらで寄れる場所を考え、京都駅そばの東寺に寄ってみることにしました。
 学生の頃の修学旅行では行ったことがありませんでした。
 でも‥‥。
 新幹線で京都駅を通過する度に、東寺の五重塔が見える❣️五重塔。京都タワーと並んで京都駅を連想せるシンボルではないでしょうか?
 国宝・奈良、室生寺の五重塔は、間近で拝観したことはありますが、この歳になるまで東寺の五重塔は拝観していませんでした。

【奈良・室生寺の五重塔】
※最初に訪ねたのは、小学5年生のGW、父に連れられて拝観しました。

 木造建築でありながら、風雪に耐えて佇むこの建造物は中に鎮座している仏像もさることながら、匠の確かな技に惹かれます。

 ちょうどムック本『隔週刊 古寺行こう 東寺②』が発売されていました。

【小学館発刊の『古寺行こう』】
シリーズモノのムック本で第②回目、初回は法隆寺でした。

 初回の法隆寺も解り易くまとめられていました。法隆寺に訪ねてみた際に、大変参考になりました。なにより仏像など撮影禁止の宝物はこういう雑誌で綺麗なご尊顔を拝察した方が判り易いものです🙏🏻

【国宝・法隆寺】
※ガイドさんのような役割をして下さいます。

⬜︎いざ、いざ東寺へ

 東寺(英語表記はToji Temple)は真言宗総本山・教王護国寺の別名があり、教王とは王に良き教えを説き善に導くとのことで現在で例えるなら、仏教の教えを説く👨🏻‍🎓大学・研究機関です。
 ユネスコ世界文化遺産にも1994年に登録され、平安時代から伽藍の配置が変わっていないということも驚きです。

 平清盛らを配する平家の先祖とする桓武天皇が平安遷都として、現在の京都に都を移した延暦13年10月22日 辛酉(新暦 794年11月22日)の二年後に、

【第50代・桓武天皇の像】
※源氏は清和源氏と称して、源氏は清和天皇にルーツがあるとし、平家は桓武平氏と称して桓武天皇が祖先だと家系図に加えています。

 宮城の入口にあたる羅生門の東側に官寺として創建されたのが始まりです。羅生門の東側にあったから、東寺だそうで、西側にはやはり官寺として西寺が建立されています。

【弘法大師・空海】

 その官寺、つまり国営の寺院から弘仁14年(823年)に、弘法大師・空海に下賜されます。
 あの〝弘法も筆の誤り〟で余りにも有名な真言宗の開祖・弘法大師様です。

 🚅京都駅に降り立ち、新幹線ホームがある八条口の改札を抜けると、ホテルなどが立ち並ぶ建物の中に、東寺の五重塔が見えますので、それを目印に👣歩いてみます。
 案内表示にも徒歩15分とあります。
 歩いてみると、今までの京都とは違った風情があります。路地を歩くと、ワークシェアリングをしている民家があったり、外国人の方々が利用なさっている民宿に、三味線の工房も。
 歩いて15分ということで歩いてみましたが、もう少し時間がかかった気がします😄
 静岡では見かけない大通りを渡り、近鉄奈良線の高架を潜り、ようやく五重塔が見えて来ました❗️

【九条大宮から東寺・五重塔】
※東大門は不開門だということを現地に行って知り、慶賀門まで戻ります。

 境内が広いので、戻り甲斐があります😅
 九条大宮にある東大門は、京都で戦乱になった際、足利尊氏が東寺に逃げ込み、門を閉めたことから、不開門《あかずのもん》の別称があることを知りました😱 
 👮🏻‍♀️交番脇の慶賀門を潜って、初めて東寺に。この慶賀門の基礎にあたる基壇は平安時代後期のものと云いますから、室町幕府を開いた足利尊氏も足をかけたかもしれません。
 東寺の造営は、延暦15年(796年)に始まると拝観する際に拝観料を払うと、中々立派なパンフレットをいただけて、その東寺略年表に記されていました😱

【慶賀門から入門すると五重塔は遥か向こうに】
※1 堀は水路のようになっていて宝蔵の周囲を囲むようになっています。恐らく、何度も火災に遭っていることから、宝蔵の周囲を囲むように配置して、火除けの意義もあるのか?と、愚考します🤔
※2 東寺の寺宝の中で、25件・81点が国宝、重要文化財に至っては58件・2万4125点もあるそうです。

 拝観受付までも👟歩きます。
 駐車場も兼ねている、この広場では修学旅行生が様々に記念撮影をしていました。
 🚻公衆トイレも非常に衛生的で綺麗だし、最新のものでした。

【東寺・食堂】
※食堂の左脇に拝観受付がありました。

 ●拝観時間
 AM08:00〜PM05:00
 〈受付終了はPM04:30〉
現在は、秋のライトアップ夜間特別拝観の期間中のようです。

 ●拝観料500円

【東寺・拝観チケットの半券】
※春の時期、🌸枝垂れ桜も見事なのでしょうね。
【東寺・拝観パンフレット】
※中々見事なパンフレットです。ちょっとした旅ガイドブックは顔負けです。

 いよいよ、東寺に。先ず目につくのは手入れの行き届いた瓢箪池を囲む庭園です。

【東寺のシンボル五重塔】
※枝垂れ桜が満開の時期にも拝観してみたいです。

 芝生はもちろん、玉砂利の小道にもゴミ一つ落ちていません。凛とした佇まい、身が引き締まる想いがします。

【東寺・瓢箪池】
※この佇まい、絵になりますね。

 晩夏に寄ってみただけでしたが春、🌸枝垂れ桜が満開の時や🍁紅葉が見ごろな時に来館すれば、もっといいだろうなぁと、実感しました。
 東寺のシンボル五重塔は、天長3年(826年)に、あの弘法大師によって創建されたとパンフレットに、ありました。しかし四度も火災で焼失し、その度に再建されたとのこと。
 現在の五重塔は正保元年(1644年)、江戸幕府3代将軍・徳川家光が東寺に寄進によって竣工されました。

【3代将軍・徳川家光】
※ケチで有名な初代・家康、質素倹約で幕政を安定させた2代将軍・秀忠が蓄財した江戸幕府。
3代将軍・家光は、〝2世権現〟と揶揄されたほど、豊富な幕府財政のため、神社仏閣の再建や竣工に、湯水のごとく支出しました。一番、有名なのが日光東照宮の竣工です。

 日光東照宮造営には56万8千両、大軍を率いての上洛には100万両を3回、4代将軍・家綱に600万両を残して、幕府財政の財政均衡策を崩すきっかけを作ります。
 現在の貨幣価値に直すと、1両=10万円〜15万円ですが、計算し易いように、1両=10万円として、
100万両×3回=300万両は、3000億円。
 家光時代だけで、500万両は散財したといいますが、額面上で5000億円となります。
 ただし、現在と違って江戸時代初期の頃は今のような貨幣経済が根付き始めた初期の段階なので、物々交換での市場もまだまだ広く全国に行き渡っていましたから、物価は今よりもっと安いため庶民感覚からすれば、5兆円を超える巨額を使ったとみていいでしょう。
 それが出来たのも、家康&秀忠の時代のように、関ヶ原合戦や大坂冬・夏の陣のような大戦が無かったために、軍事費の支出が少なかったからでしょう。
 更には、納税を現在のように所得に応じて現金納税ではなく、🌾米で納付する石高制が米価の安定により破綻していませんでした。
 いづれにせよ、家光の大盤振る舞いで竣工に至った東寺・五重塔は高さ55m日本の古塔中、最高の高さを誇り、国宝です。

【国宝、東寺・五重塔】
※訪ねたのが、晩夏だったこともありサルスベリが鮮やかに咲いていました。

 ご開帳はありませんので、中の秘仏である四仏坐像はパンフレットに登載の写真でご尊顔を拝謁なさって下さい🙏🏻

【東寺・五重塔の四仏坐像は右下↘️】
※〝仏像ガール〟という歴女の方々がおられます。
その探究心、素晴らしいと思います。
小職は恥ずかしながら、学生時代に古代仏教史の権威、故 東海大・速水侑教授の中世の仏教を習ったはずですが、何一つ覚えておりません🥲

 五重塔の前座のような瓢箪池と庭園は見事の一言に尽きます。

【東寺・五重塔と瓢箪池】
※仕事の帰路のため、フルサイズ一眼レフカメラを持っていかず残念でした。
【東寺・瓢箪池から五重塔】
※私の前には外国人観光客のアベックが英語版のパンフレットを持って、拝観なさっておいででした。

 五重塔から庭園を過ぎて、左に👀目をやると南大門、右に目をやると国宝・金堂があります。

【東寺・南大門】
※どうやら、南大門も東大門同様に不開門のようでした。
中門跡があるようですので、南大門と金堂の間に中門があったのでしょうね。 

 この南大門は明治元年に焼失、明治28年に三十三間堂の西門を移築したそうです。
 砂砂利が敷き詰められ、歩く度にジャリジャリ音がします。

 金堂の幅33.5m、奥行き18m、金堂内には薬師三尊像・薬師如来をご本尊に、脇侍《きょうじ》には日光菩薩&月光菩薩が安置されていました。

【東寺・金堂】
後ろには、重要文化財・講堂がありました。
【東寺・金堂】
※東寺一山の本堂だそうです。

 文明18年(1486年)に焼失し、現在の金堂は天下人・豊臣秀吉の遺児、豊臣秀頼の発願で家臣・片桐且元が作事奉行として再興させ慶長8年(1603年)に竣工したと、あります。
 天下分け目の関ヶ原合戦は慶長5年(1600年)旧暦9月15日ですから、その僅か3年後にこの金堂を竣工したことになります。
 次第に頭が高くなる徳川家康に、豊臣家の財力を誇示する狙いもあったのでしょう。
 秀頼の発願で再興したものは、東寺・金堂だけではありません。織田信長や秀吉が篤く想いを寄せていた愛知県津島市にある⛩津島神社の南門も、慶長3年(1598年)秀吉の病の快癒を願って、寄進しています。

【⛩津島神社 南門】
※神社境内の楼門は秀吉が寄進し、秀頼はこの南門を寄進します。当時の建築費用の詳細は神社に問い合わせないと判りませんが、私の菩提寺である寺院の総無垢、檜の櫓門で、費用4億円がかかり、檀徒に志納を求められましたので、数億円の寄進が出来る財力は持ち合わせていたのでしょう。

 金堂内には、薬師三尊像と十二神将が鎮座していました。中は暗いし、撮影禁止なのでご尊顔はパンフレットにて拝観なさった方がより判り易いです。

【東寺・パンフレット】
※薬師三尊像のご尊顔は今度は左ページです。

 この金堂と先ほどの食堂の間に、一直線に並んでいるのが講堂です。
 こちらは、重要文化財です。
 金堂と同様に、入母屋造 本瓦葺で、空海が説く真言密教を学ぶ場です。

【東寺・講堂】
※金堂・講堂・食堂は、仏教で重んじられた「仏・法・僧」に呼応しているのだとか。
すなわち、仏は金堂で拝み、法は講堂で教えを学び、食堂では仏の教えを日々実践している僧に出会う、ということだそうです。
【東寺・講堂】
※1 現在の講堂は延徳3年(1491年)に再興されたそうですが、最初は天長2年(825年)に弘法大師様によって着工されたそうです。
※2 講堂内にある立体曼荼羅や大日如来・不動明王なども撮影が憚られたためパンフレットに登載のご尊顔を掲載します

 やはり、こんなことは中学の修学旅行でバスガイドさんからご教示いただいたとしても、頭の片隅には残りませんね。
 案内して下さったバスガイド嬢が可愛かったり、美人だったり、そんなバスガイド嬢が🚌の中で、🎵『Let's It Be』を英語で歌って下さったことは覚えていても、法隆寺の有難さや薬師寺の素晴らしさは記憶に残っていません😅

 食堂の左手には、大師堂があります。またの名を御影堂、南北朝時代に建立された入母屋造 檜皮葺きの大師堂も国宝です。

【東寺・大師堂 遠影】  
【東寺・大師堂を解説するパンフレット】
【大師堂の前に位置する毘沙門堂】

 仕事帰りに駆け足で参詣したため、ここでタイムアップです。今度はもう少しゆっくりと落ち着いて拝観したいなぁと、実感しました。
 この他にも大日堂、宝物館、北大門、観智院、壬生通りを回って歩道橋から南大門と五重塔の絶景ポイントを逃しました。
 宿題の残る東寺散財です。

帰路は歩き疲れたので、横着して近鉄奈良線の東寺駅から一駅区間ですが、乗車してしまいました💦

【近鉄奈良線・B02東寺駅】
※橋上駅舎でした。

 各駅停車・京都駅行きを待つ間に、近鉄特急が通り過ぎます。

【近鉄特急】
小学生の頃、父と奈良に行った時は近鉄特急ビスタカーに乗車しました。現在、あのビスタカーは2両編成に形を変え、大井川鐵道千頭線で金谷駅⇆千頭駅間を走っています。
【近鉄 各駅停車 京都行き】
※東寺駅を出発すると九条大宮を跨いで大きく右折して京都駅に到着します。

 🚅新幹線八条口改札に近いことから、乗り継ぎには便利です。
 新幹線を待つ間、少し時間がありますので駅ビル内で京都駅に着いたら、必ず寄る京都で超有名な☕️珈琲店「イノダコーヒー」で伝統のアラビアコーヒーを一杯❣️
 今日は、夕食も兼ねて、🍝ナポリタンまで😋

【イノダコーヒーのナポリタン❣️】
【イノダコーヒー伝統の〝アラビアの真珠〟】
【イノダコーヒーの看板🪧】
ナプキンやお冷のコップまで、このデザインです。
トータルデザイン(total design)が行き届いています👍🏻

             (終わり)


 


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