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#67 ”今ここ”を生きるとは

ども、こんばんは〜!Mikiです!!!

あらやだ、眠すぎて眠すぎて
記事が途中になってしまっていたわ(笑)

え〜〜、今日は”今を生きている”ということについて。

”今ここ”を感じる


め〜ちゃめちゃ言われていると思うんです。
特に最近はマインドフルネスや瞑想も流行っていて
”今ここ”を感じて生きようと言われていますね。

過去とか未来とかも私たち人間は認識しているというか
未来に関しては妄想するくらいで、実際に見に行くには
タイムマシーンとかタイムトラベラーがなければ
難しいのかなと思ったり。

妄想して未来を思い描く(笑)


それでもパラレル体験で体験する人もいるかもしれんけど
私は瞑想で見に行くことがたまにあるくらいです(笑)
妄想でもあるんですけどね(笑)

でも妄想の力って凄くて妄想できるってことは
実際にそうなる可能性を秘めているからで
そうなるからこそ脳内にそのイメージが出てくるんですって。

未来に関してわくわくして妄想したり瞑想したりするのは
わくわくの先取りになるしまぁいいのかもしれんけど
やりすぎると今を生きていないと一緒になっちゃうのかも?

やりすぎた場合は、現実とのギャップに苦しんで
未来のその状態じゃないと幸せじゃない
な〜んてなってしまうと執着が生まれてしまう。
すると、余計にわくわくの未来からは
遠ざかってしまうんだろうと私は理解しています。

その辺の塩梅はよく分かってないんだけどさ(笑)

じゃあ過去はどうなのさ?


未来に関してはそんな感じで。
お次は過去に関して。過去のことを引きずる人って結構多い気がしてる。
自分を見つめなおす、自分を知る材料にするのはいいかもしれないけど
過去の私はこうだから今の私もこうって、それは違うかなと私は思う。

実は毎瞬毎瞬変化しているぞっ


なぜなら、人間は変化を嫌うくせに
実は毎瞬毎瞬変化しているから。
目で確認できるくらいの変化があるかと言わたら
人によるだろうし、例えばお肌の状態、体の状態だったら
そんなすぐには変化はないかもしれない。

けれど、確実に変化している。
それは良くも悪くも。

悪い場合はおそらく、ほとんど意識していない
もしくは意識を悪い方に向けてしまっている場合。
良い場合は意識をその良い方に向けている場合。

お肌の変化で実証済み


例えば、私は2年前くらいまでは
肌が綺麗で有名でした(笑)
(自分で言うんか〜〜いww 周りからよく言われてたんですよ〜w)

でもね、ここ1〜2年で人生の大変革があり
それと同時くらいにほっぺのニキビが
全然消えない時期がありました。

あまり気にしないようにしていても
まぁまぁ気にしていたのですね。

それで、半年くらい前からかな?
朝一番最初のお水を飲む時に
「とてつもなく素晴らしい奇跡を起こしてくれてありがとう」
「お肌を綺麗にしてくれてありがとう」
「行動力を上げてくれてありがとう」
なんて言葉を毎朝、鏡の前でかけ始めました。

鏡を見る時にも「お肌ほんまに綺麗やな〜」
と声をかけるようになりました。

ぴっかぴっかになったど〜〜!!笑


そして最近ついにぴっかぴっかのお肌が帰ってきました!!!
もしかしたら人との交流を再開したこともあるかもやけど(笑)

極力、人と関わっていない時期が一番ひどかった気がする。
まぁ後はやっぱり自分の意識と言霊もあると思いまする。

でね、この時もやっぱり徐々に変化していたのですよね〜。
目では確認できないくらいのミクロの動きかもしれないけれど。

自分が自分を認識しているから存在している?


自分が自分のことを自分と認識しているから
今の自分は昨日も存在していて
今の自分は明日もきっと存在しているのだろう。

とか言いつつも、明日の自分が存在するかどうかなんて
保証はできないんだけどね(笑)
だって人間いつ死ぬかは分からないんだもん。
そもそも本当に死ぬのかな?という
疑いが出てきてもおかしくないくらい
私たちは本当はすごく不確定なものなのかもしれない。

だって人間は寿命がきたら死ぬとか
病気になってそれが悪化して治らなかったら死ぬとか
そういうのも結局人間が決めたわけでしょ??笑

不確定すぎるわたしたちの存在


そんな不確定すぎる私たちは
未来のことは妄想や理想で
過去は確実にあったと捉えていると思うけど
実は過去も幻想という可能性はある。

だから人は、写真を撮ったり、日記を書いたり
本を書いたり、絵を描いたり、歌を作ったり
何かしらの形として
この世に自分が生きた証を残そうとするのかもしれないね。

な〜んて、今書いていたら思いついた。

結局、人間は今しか生きられない。


本当は過去ですらも不確定要素で
昨日の自分が本当に存在していたかどうかなんて
証明ができないのであれば
未来も過去も本当は存在していなくて
そうすると、やっぱり”今の自分”

今この記事を書いている自分。
今キーボードを叩いている自分。
今呼吸をしている自分。
今汗をかいている自分。

そんな自分が全てであり原点なのではないか。

そんな風に思うのです。

でもこれを書いている今も今は”過去”という現象になっていく。

今書いているこの記事が書けるのは
特別な人だけじゃなくて
ネットが使えて、スマホやPCを使える人であれば
誰でも書くことができる。

そんなみんなが発信できる時代になったからこそ
自分の過去を記録しておくことができるようになったからこそ
”今ここ”が大事にされるということが日に日に強くなっている。

そんな気がしてならない。

恩恵の裏には副作用もある


これだけネットが普及したおかげで
たくさんの恩恵があって
自分の認識していた世界観がとても広まったという人は
とてもとても多いと思う。

それほど大きな恩恵があるということは
裏には副作用的なものももちろんある。
それが今を感じにくくなっていることだろう。

ライブ配信が流行っている背景の考察


ただ、これも面白いなぁ〜と思うのが
最近はインスタライブやアプリでのライブ配信が
とても流行っている風潮がある気がする。

ライブ配信だとアーカイブも残そうと思えば残すけれど
基本的にちょうどその時に居合わせた人々で
繋がることができる。
すると”今ここ”を感じることができる。

ライブが流行ることで”今ここ”を感じているのか
”今ここ”を感じた方がいいという流れの中で
自然とインスタライブに挑戦する人が増えたのか。

どたらが先かわからないし
どっちでもいいけど
改めて”今ここ”の重要性をひしひしと感じている。

だから今やりたいことを全力でやっていく。
これに尽きるのかなぁなんて思う。

なりたい姿がある人は
なりたい姿になっている自分にワクワクしながら
”今ここ”の自分がやれることを少しずつでも
やっていくことで、気がついたら
ワクワクはワクワクを呼び寄せるし
少しずつ積み上げたものも花を咲かすのかな〜
なんか矛盾しているようだけど
結局そこに行き着くのかな〜なんて思っている。

と言う感じで今回はここまでっ!

お布施noteやってま〜す!!


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