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大学浪人なんてたいしたことではない


15歳での山田先生との攻防戦

大昔の話で恐縮だが、中学時代は勉強ができた。学校での成績に加え、県内の中学生が受ける模試でも、最上位とはいわないが、成績上位者のリストに名前が載るくらいであった。
当時、最大手の模試の運営会社は、ご丁寧に模試の結果を受験者の中学校に送り付けていた。この模試はたしか年4回あって、最初の模試は6月であった。最初は受験者が少ないこともあり(でも千人以上はいたはず)、私はたしか10位くらいであった。志望校の判定はすべてA判定であった。この結果は、職員室でちょっとした話題になったらしい。
2回目以降に受験者が増えるともう10位なんてとれないが、成績上位者のリストから漏れることはなく、A判定を連発していた。しかし、最後の12月の模試で、第一志望を一番手のA高校から二番手のB高校に変えた。いま思えば理由は特にない。反抗期だったのだろう。このときもまた職員室で
「あんずの志望校がB高校になっている!」
と話題になったらしい。
この選択に一番反対したのは担任ではなく、社会科を教えてくれている女性の山田先生(仮名)であった。受験直前のある日、廊下で山田先生につかまった。
「あんずはどうして志望校変えたのよ?A高校に行かないの?」
その後は、職員室でつかまった。
「あんずがB高校を受けたらB高校に受かる人が1人落ちるんだから、やめなさい」
いま思えばすごいセリフである。そんな生徒の希望をねじまけるようなことを言ってはならないだろう。
だが、私も負けていなかった。
「それだったら、私がA高校を受けなければ、A高校に受からない人が1人受かりますよね?」
とこれまたすごいことを言い返して黙らせてしまった。

結局、私はA高校に行ったのだが、成績は素晴らしく悪かった。あまりにひどすぎて具体的な点数は順位は覚えていない。ショックすぎて覚えていないというより、毎回悪かったので、悪いことに慣れすぎて覚えていないだけである。
それにもかかわらず、いまは海外出張をこなせるくらいに英語は理解できるし、日本人の平均年収の倍以上は稼いでいるので、高校の成績が悪くても人生に支障はないことを強調したいと思う。成績が悪くて悩んでいる高校生はどうか希望を持ってほしい。
ただ、それでも成績がいいに越したことはないけどね(笑)。

成績は悪かったし、ほろ苦い思い出も多いが、いまとなっては進路変更に反対してくれた山田先生に感謝している。おそらく私はB高校には合わなかったし、A高校で間違いなかったのだと思う。


35歳で山田先生に与えた衝撃

我々の中学校は5年に1回同窓会をやっているのだが、山田先生は毎回参加されている。毎回、私に声をかけてくださる。
35歳の同窓会では、私からは挨拶には行かなかったが、近くで同級生と談笑していたら、
「あんず、いまどうしてるんだっけ?いまも東京にいるの?」
と声をかけてくださった。
私は近況を話し、そのあとに山田先生の息子さんの近況を聞いてみた。その前の同窓会で、息子さんの進路やスポーツについて聞いていたからである。
山田先生によると、上の息子さんは隣県の大学に進学し、下の息子さんは私の母校であるA高校に不合格で私立高校に通っているらしい。私はフォローのつもりで自分の失敗談を話した。
「そうですかー、でも、10代だったらすぐに巻き返せますからね。私も高校に入ってからすっごい成績悪くて一浪しましたけど、C大学に行きましたし、これからどうにでもなりますよ」

山田先生は私がC大学に行ったことは当然ご存知であるが、浪人したことはご存知なかったらしい。私は話してなかったようだ。
「え?あんず、浪人してたの?」
と、突っ込んでほしくないところに突っ込まれてしまった。
「はい、高校で成績悪かったんで。テヘペロ」
先生「でも、文系でしょう?」
「はい…えへ」
先生、おっしゃりたいことはわかります。
いくら成績が悪くても、私立文系に必要な国語、英語、社会科くらいどうにかできなかったの?とおっしゃりたいのですよね。私はその3教科、中学時代はめちゃくちゃ得意でした。でも先生には言いにくいのですが、私は高校で、理系科目だけでなく、社会科でもつまずきました(涙)。
…なんて詳しいことを話すものあれなのでヘラヘラ笑っていたが、先生はしばし無言であった。

私が浪人したなんて話を聞いてショックを受けるのは、日本中で山田先生くらいであろう。一浪なんて誰も気にしないし、何より私自身が気にしていない。
でも、ありがたいですね。中学時代の成績から想像して「C大学に現役合格できるはず」と思ってくださっていたのですね。私をそんなに高く評価してくださるのも山田先生だけですよ。


大学浪人なんてたいしたことではない

強がりではなく、大学浪人なんてたいしたことではない。
学費の問題はあるが、私は地元の予備校の特待生だったので、学費は年10万もしなかった。予備校では、同じ高校の同級生との関係が深まっただけでなく、高校の違う友達もできた。
成績が著しく伸びたのは英語だけだった。国語はもとからかなり良かったし、他の科目はセンター試験の点数がちょっと上がったくらいだ。でも、あそこで英語が伸びたおかげで、私は英語の苦手意識がなくなり、いま外資系企業で不自由なく働けているのだと思う。あの一年、じっくり腰を据えて勉強できて良かった。本当は高校在学中にすべきことだが、私は不器用なので、没頭するのに時間がかかったのだ。
同じ予備校のクラスメイトで、C大学と、ライバルといわれるD大学を受験した人は何人もいた。私より成績の良かったクラスの女子はみんなC大学、D大学とも不合格だった。私はD大学を受けなかった。国立の後期はセンター試験の結果をみて確度の高い大学に出願したので、私立はC大学と、ワンランク下のE大学の2校に絞った。無謀としかいえない国立前期以外すべて合格したので、私の一浪は成功といえるだろう。いま思えば「成績からみてちょうどいい国立大学」は東京にはなかった。

あとは、大学の話になったときに
「でも私、浪人してますけどねー」
と言うことで空気が和らぐこともある。意地悪な相手だったら「浪人してるならたいしたことないな」と思うかもしれないが、そう思われてもべつにかまわないし、そんなことを思う人は、少なくとも私の親しい人にはいないと信じている。ちょっとした失敗話は場の雰囲気を和らげるし、一浪経験はちょっとした失敗話としてちょうどいい。
中学時代の私は鼻もちならないア〇だったが、二十歳の同窓会でこんなことがあった。
初恋の相手を含む数人で話をしていたときに、
「C大学なんてすごいね」
と言われた。そこで
「でも、私、一浪してるんだよね。まあ、予備校も友達ができて楽しかったから辛くはなかったけどね」
と見栄を張らずに言えた。
だからといってどうという話でもないが、鼻持ちならないア〇も少しは成長したということである。


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