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クラシックの癒し効果

ここ数年クラシックを聴くことが圧倒的に多くなった。

小さい頃は積極的に選ばなかった記憶があるが、自分の心の変化もあってか、歳を重ねるにつれて強く惹かれるようになった。

昔から習っていたピアノがクラシックとの出会い。幼少期から音楽は大好きで、ジャンル問わず何でも聴いていた。
3歳から15年間習っていたピアノは、大学入学とともに辞め、大学の間と、卒業してしばらくはピアノと疎遠になっていた。
友達の誘いで習い始め、それなりに楽しんではいたが、
どうしても続けたい、コンクールで良い結果を残したい、などの上達や継続への熱意は全くなかった。
辞めるときも、惜しさなどは感じなかった。

社会人になってすぐの頃、実家のリフォームに伴い、家にあったピアノを手放すと聞いた時、 
途端に寂しさが押し寄せた。

調律するにも、あまりにも古くなっていたので仕方ないと考えたが、
何らかの形でまたピアノを置いてほしいと両親に頼み、リフォーム後の家には電子ピアノを置いてもらうことにした。

とりあえず自分が思うように弾いてみた時、
心から楽しい!と思えた。
しばらくピアノから離れていたので指は全く動かなかったが、それでもただ純粋に音を楽しんでいた。

習っていた時はどうしても音を間違えないことや、楽譜通りに弾くこと、指導されるままに感情をのせたり、
自分で音を作り出しているという感覚がなかった。

でも、数年ぶりに触れたピアノに心が躍った時、その時はじめて、これが音を楽しんで弾くことだと自覚した。

習っていたクラシックの曲を久しぶりに弾いてみると、感情が自然とのっていた。
そして、音楽家のことについてももっと知りたくなった。これを作った時は人生のどういう位置にいて、どういう心境だったんだろうか。
なぜここの和音をこういう風に作ったのだろうか。
考えるほど世界がどんどん広がっていって、曲の中にストーリーを思えるようになった。
昔はどうしても正確さの方に囚われてしまっていたからか、音楽を作る上で大切な感情やストーリーにまで目を向けられていなかった。

自分のペースで、弾きながら深掘りしてみたり、どうしても気になった時は弾く手を止めて作曲家の人生やその時代の歴史を調べ始めたり、終わりのない研究がとても楽しい。

私はコンクールでこそ良い結果を残したはないが、
表現力があると褒められたことを覚えていて、
(唯一褒められた点がそこだったからかもしれない)
かつその部分を褒められたことを嬉しく思っていた。

感情豊かに弾くことは自分にとって、とても恥ずかしくてできたことではなかった。
だからこそ表現の面をプラスに言ってもらえたことで、そこを伸ばしていきたいと思えた。

練習曲や発表会の曲は先生がセレクトするのだが、ドビュッシーの落ち着いた曲や、他の音楽家の曲でも、和音が暗めの曲、哀しく壮大な曲が多かった。
もっとかっこいい曲や、明るくてパンッ!と華やかな曲に憧れていたが、全く縁がなかった。
まだ小学生低学年や中学生の頃、重めの曲や、悲壮感漂う曲を弾いていて、年齢に合わないとか、なんでいつも悲しくなるような曲を弾いているのか、と姉にからかわれたりもしていた。

でも今では、そういう曲調の曲が自分に合っていると感じるし、
ドビュッシーもとても好きな作曲家の一人だから、先生ありがとうと思っている。

純粋に上手い子、努力家な子、自信がある子、華のある演奏をする子、周りを見れば、すごいと思う人ばかりだったが、音楽を知れば知るほど奥深く、単純に上手い、才能がある、と一言に言えない。

だからこそ、音楽をもっと深めていきたいと感じるようになった。

話はだいぶそれてしまったが、クラシック音楽には絶大な癒し効果がある。

悲しみ、辛さ、絶望、そんなものたちをエネルギーに昇華させる力。

私も、仕事をどうしようか、人生をどう生きればいいのか悩んでいる時、辞めてとことんどん底に落ちた時、社会から数年離れている間のとてつもない絶望と不安、自分を奮い立たせて一歩踏み出したのに、またうまくいかず全て投げ出してしまった時、クラシックに触れたりピアノを弾くことで大きな力をもらって助けられてきた。

それからクラシックの力の偉大さに気づき、今では大きな心の拠り所になっている。

そして最近、ピアニストの清塚信也さんのYouTubeを見ていた時、クラシックの癒しの力について面白い話をされていた。

クラシックは癒し効果、一級品の癒し。
悲しい時に悲しい曲を聴いてとことん悲しくなる、泣きたい時は死ぬほど泣く。そしてそれを打ち消すようなインテリジェンスの高い解消法が人間にはある。
そしてそれは動物の中では珍しく、人間にしかない能力、
他の動物は、逆に楽しいことをやったり、見ないようにして紛らわす。

という内容だった。

そしてふと、私がクラシックに惹かれる理由はここにある。と確信した。

悲しいから、辛いから、楽しいことを考える。考えないようにする。明るい音楽を聴く。
それも一つの解消法としてあるが、それは私にとっては、一時的な紛らわせにしかならない。
目を背けたり忘れようとしたり、でも本当の癒しや治癒はそこには存在しない。

逃げたい時は逃げてもいい、けど結局は悲しみや辛さが戻ってきて、いつか向き合うことになると学んだ。

そんな時に、クラシックを聴いていると、とことん感傷的な気持ちになれる、
なんなら、辛さに拍車をかけてくれる時もある。
悲しい、辛い、そんな感情を自覚して受け止めて、はじめてそれを打ち消すことができる。
逆に楽しい時、ワクワクしている時、クラシックは、そんな感情から一本の映画を作るように壮大に盛り上げてくれる。

クラシックに興味を持った背景と、その時にあった出来事と自分の気持ちをリンクさせて紐解くと、とても説得力のある内容だった。

落ち着く、とか優雅とか、そういうものに収まらない魅力がクラシックには詰まっている。

※余談
クラシック音楽を聴かせて育てた牛、農作物などがあることを時たま耳にする。

最初は牛もリラックスして、心も身体に健康に育つんだろうなと思っていたが、
最近ふと、そんな直接的な話でなく、
流しているクラシック音楽が、その世話をする人間に影響しているのではないか?と考えるようになった。

クラシックを流している環境で世話をすると、人間も癒された状態で動物や農作物の世話をでき、愛情をたくさん与えられるのではないか

そしてそれが、良い状態に育つ原理なのではないか

というあくまで私のこの上ない独断だが、

はてさて真相は分からないが、なぜを深掘りまた楽しい妄想が膨らむのであった。

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