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家出少女のゆくえ

あなたは、人生で一度でも家出をしたいと、思ったことはありますか?
下に続く文章は、そんな気持ちに共感できる人に読んで欲しいものだと、思っています。

私は、去年、18歳の冬に、家出をしました。向かった先は、マッチングアプリで知り合った、実家から約300km離れた、一人暮らしをしている男子大学生の家でした。

私は家出をする6ヶ月ほどまえから、鬱のような症状がありました。
ほとんど毎日、自分の部屋に入った途端、全身が一気に鉛のように重くなり、どっと横たわっていました。部屋の扉をしっかりと閉め、誰にも気付かれないよう、声を押し殺して、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて泣いて泣いて。床に座り込んで、片手にハサミを握りしめて、ずっと壁をぼーっと見ていました。半分夢の中にいるような、精神と肉体が分離するような感覚が、ほとんど毎日続いていました。何をするにしても、全て死へ連想をしていました。

バイト中は、頭痛と吐き気との戦いでした。客の目がないときは、床に座り込んで自分を落ち着かせるのに必死でした。

そんな状態で、大学の課題なんか出来るわけもなく、夏休み明けから2週間後には、学校に行けなくなっていました。ただ、教科書代とスマホの通信代、交通費は自分のバイト代から出していたので、バイトだけは続けていました。
娘がそんな状態であれば、親も心配し、それから始まった家族会議で、母から言い放たれた言葉でした。

「そんなに死にたかったら、外で野垂れ死んでこい」

私は糸がぷつん、と切れました。前から母のことは苦手でしたが、一応母親として、好いてはいました。今まで信頼していた家族に、実質的な死への追い込みをされ、もうどうなってもいいや、と思いました。

私のこの狂った状態を前から知っていた、そのマッチングアプリで知り合った男性は、私が家出をしたいという旨を伝えると、「家においで」と、快く受け入れてくれました。

私は正直、その男性の家に行くか、迷っていました。しかし、知らないマッチングアプリで出会った人と会うのが怖かったのではなく、「家にかくまってもらって生きる」か、「琵琶湖大橋から身を投げて死ぬ」かを、迷っていました。

私は今でも覚えています。京都駅の、みどりのきっぷ売り場の前で、生きるか死ぬかの選択をしていました。駅構内に座り込み、流れる人混みを見つめながら、小一時間考え、結局、私は生きる選択をしました。まだ私を受け入れてくれる人が、この世に存在していることに、希望を感じたのだと思います。

今、そのマッチングアプリで知り合った男性と、お付き合いをしています。私の鬱のような症状は、明らかに改善され、完全に治ったとは言いきれませんが、毎日毎日アホみたいに泣いて、ハサミを握りしめるなんてことは、無くなりました。

家出をすることは、よくありません。でも、私は家出をしていなければ、今多分生きていません。

自分のまわりの環境をがらりと変え、知らない土地を歩き、知らない人と話し、知らない空気をかんじる。とても貴重な体験でした。

私は今、とても幸せです。時の流れに身を任せ、自分を大切にしてあげられる時間がたっぷりある。そんなありがたい環境を、私が家に転がり込んでから1年間、彼はしっかりと支えてくれています。

もう少し明るく生きて、鬱を克服するのは、まだまだ時間がかかりそうだけど、私はもう大丈夫です。

この文章は、マッチングアプリで出会った男性の家にホイホイ上がりこめ!といった内容をほのめかすものではありません。

ただ、限界だったら逃げていいんだよ、ということを、誰かに伝えたかったです。

自殺して何もかも無くなるくらいなら、一旦全部そこに置いといて、財布とスマホだけ持って、新幹線の切符を買いましょう。それでちょっとでも家が恋しくなったら、帰ればいい。それでいいのだと思います。

ここまで文章を読んでくださって、ありがとうございます。私は、人生経験の浅い、まだ20歳もいかないただのガキです。拙い語彙力で、読みにくいところもあったと思いますが、私の気持ちが、少しでも伝わっていれば、嬉しいです。

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