13年前のあの日(つぶやき回想)

つぶやきにするには文字数が多過ぎた。
これはあくまで私のつぶやき…
(何かを伝えたいわけじゃない)

当時 私は
もうすぐ2年目をむかえようとする新入社員、
兵庫県の工場で仕事をしていた。

あの日は金曜日だったよね。
次の日は休みで遊びに行く予定だったから、
よく覚えている。

ちょうど地震の直後に事務所に戻ったら
課長が私に
「おい、お前の地元の方で
 えらい地震があったらしいぞ!」
と言ってきた。

私の地元(福島)や茨城のあたりは
昔から比較的 地震が多い印象があったから、
そのときも
「あー、向こうは地震多いですからね(笑)」
と返したのを覚えている。

そしたら課長が
「笑いごとじゃないぞ、今すぐ電話せぇ!」
と言ってくれた。

本当にたまたま、揺れの直後だったからか
地元の母親の携帯電話にかけたら
普通につながった。

幸い私の家族に怪我はなかった。
ただ経験したことない揺れに、
母親は相当慌てていたようだった。

仕事中だったことと、
テレビやラジオの情報もなかったから
「とりあえず無事で安心した。
 家に帰ったらまた連絡するからね。」
と言って、仕事に戻った。

家に帰ってテレビをつけたら、唖然とした。
たしかそのときは、
宮城県の燃え盛る市街の映像が
一番印象に残った気がする。
...原発のアレが起きるまではね。

(そうだ、家に電話しよう)
そう思って電話をかけたときには
つながらなかった。
回線がパンクしたのだろう。
たしか次に連絡がついたのは翌日だった気がする。

「こんな状態じゃ
 そっちに帰ることもできんと思うけど、
 必要なことがあれば遠慮なく何でも言ってよ?」

他は忘れたが、そう言ったことだけは覚えてる。

その後、原発から40km圏内ということで、
着の身着のまま 当てのないまま
県外へ避難することになったのは、
何日後のことだったかな…
(幸いなことに、その後戻れたが)

あのとき たまたま事務所に戻らなかったら、
課長が「電話せぇ!」と言ってくれなかったら、
きっと家族の無事も分からず
眠れぬ夜を過ごしたかもしれない。

当時の課長にはつくづく感謝だし、
偶然って分からないものだなと感じた日だったな

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