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父と娘

私はnoteでもTwitterでも家族のことをよく話題にしている。
1番身近にある豊富なネタだ。
父も母も私にとっては幼い頃から「そういうもの」として存在しているが、周りから観ると2人ともなかなかのハードパンチャーらしい。

幸い家族の関係性は悪くなく、むしろ良好と言える。
実際noteでもTwitterでも「ほっこり家族エピソード」や「実録ポンコツ家族ストーリー」を書いている。(つもりである)

しかし。

私たち家族の関係は、ずーっと笑いにあふれほっこりした穏やかなものだったろうか。
本当にそうだろうか。本当に?本当か??
………いやいや。
そんなことはない。

父の話でもうお腹いっぱいかもしれないが、今回の父は一味ちがう(ようで実は通常運転である)ので、夏休みが暇で暇でどうしようもない方がいたらお読み頂けると嬉しい。
あるいは夏休みなど無く、家事やお仕事に追われストレスがえげつない方にもお読み頂けると大変嬉しい。

とにかくお読みください。

あれは私が小学校3年生くらいのことだったか。
我が家のベランダには「万能ねぎ」とプリントされたかなり大きな発泡スチロールが置かれていた。
その中で数匹の立派な金魚ちゃんが飼育されていた。

この金魚は父がどこかの誰かからもらってきた、ちょいとお高い珍しい金魚だったそうだ。
幼い私にはどの辺がどうお高く珍しいのかサッパリ分からなかったが、赤や白のヒラヒラちゃん達がユラユラと泳ぐさまは確かに魅力的であった。
今書きながら思ったが、お高い金魚ちゃんを「万能ねぎ」の発泡スチロールにぶち込むのは如何なものだろうか。まあ良いか。

お家こそ「万能ねぎハウス」ではあったが、とにかく父にとって金魚ちゃん達は大事なものであり、お手入れも餌やりも自分以外にはやらせないという徹底した寵愛ぶりであった。

母と兄は父の金魚にさほど興味がなかったようだが、無類の生き物好きである私は金魚が気になって気になって仕方なかった。
万能ねぎハウスの掃除も餌やりもやらせてはもらえない。
父が得意げに掃除をしたり餌をやったりするのを、ワンチャン手伝わせてはもらえないかと羨ましげに眺めていた。
ものごっつい可愛い娘(あ、私です)が自分の大事なものを興味津々に眺めていたら「ちょっとやってみるか?」と言ってくれそうなものである。

ところが絶対にやらせない父であった。

ある朝、私は食後のデザートのリンゴを何故かベランダで食べていた。
ふと万能ねぎハウスが目に入る。
いつも通り金魚がヒラヒラと優雅に泳いでいた。
家の中をそっと確認すると、父はまだ朝ごはんを食べながら新聞を読んでいる。
私は「ようし。」と思った。

はい、一旦ストーップ!

怖い。恐ろしくなってきた。
この後どうなるんだろう。
私はこの後の恐ろしい出来事を知っているが、これを読んで下さっている心優しき聡明な皆様は知らずにいる。
世の中には知らずにいたほうが良い大切なこともたくさんある。
でもこのことは、、、

どうでも良いことだから書こうと思う。


ベランダには金魚ちゃんと私しかいない。
私の手には食べかけのリンゴ。
3歳児でもこの後の展開が読めそうなものである。
賢いわんちゃん、ねこちゃんにも分かりそうだ。
もしかしたら万能ねぎハウスの金魚ちゃん達も分かっていたかもしれない。

そう。
私はリンゴを小さく小さく噛みちぎり万能ねぎハウスの中へ入れてみたのだ。

わくわくドキドキしながら眺めていると、すぐに真っ赤な金魚がリンゴを吸い込んだ。
「わあ♡」
嬉しくなった私は「さっきよりもう少し大きい欠片にしてみよう。」と前歯でリンゴをちぎり、2つ3つと万能ねぎハウスに放り込んだ。

夢中になりすぎていた。

気づくと父が立っていた。
「かをちゃんリンゴあげてない?」と聞かれたが、その父があまりに恐ろしく「何もしてないよ。見てただけだよ。」と私は咄嗟に嘘をついてしまった。
父は万能ねぎハウスを凝視し小さな小さなリンゴの欠片を見つけ、何の躊躇いもなく自分の口にリンゴを入れた。

次の瞬間「リンゴじゃないかーーー!!」という父の大きな声が聞こえ、左頬が焼けるように痛んだ。間髪いれず右頬も痛んだ。
私は父にビンタされたのだ。
(はい、引かない引かなーい)

父の大事な金魚にリンゴをあげ、更に「あげてない」と嘘をついたがために左頬と右頬を1発ずつ平手打ちされた。

生まれて初めてのビンタが往復ビンタという非常に珍しいビンタデビューと言える。

地べたに尻もちをついたまま私は泣いた。
叩かれたことがショックで泣いたのではない。
頬と尻が痛くて泣いたのでもない。

我が父が一瞬のためらいもなく「金魚が口に入れて吐き出したリンゴを食べた」ということが怖かった。

当時から私にとって菩薩のような存在であった兄がベランダに転がったままの私を救出し、頬をタオルで冷やし鼻血と涙をティッシュで拭いてくれた。

一方の父は。
とんできた母にバチボコにされていた。
「私の宝物に何てことしてくれたんだ、おおコラァァァァァァ!!」
「その大事な金魚を連れてしばらく出て行って。当分帰ってこないで。」
と父が母から強く言われているのが見えた。

金魚ちゃんが、お父さんがどこかに行ってしまったらどうしよう。
でもお母さんとお兄ちゃんがいれば良いか、と思ったりもする私であった。

というのも、父は私が物心がついた頃から地域の少年野球チームの監督やら審判やらに夢中で休日は朝から晩まで殆ど家に不在であった。

家族よりも少年野球。
家族よりもヘラブナ釣り。
家族よりも1人旅。

さらに職人気質で頑固で、ひとたび怒るととても怖い存在だった。
食事中に何かの理由で険悪なムードとなり、テーブルをひっくり返されたことも何度かある。
リアル寺内貫太郎だ。

母子家庭だったのではないかと思うほど、幼少期のお出かけの写真に父は居ない。
上野でボートに乗っている写真も兄が真っ赤な顔で必死にオールを漕いでいる。
動物園の写真も、4歳しか変わらない兄が「少しでも見えやすいように」と私を抱きかかえているではないか。
(数センチしか浮いていないではないか)

それでも私たち兄妹が父を嫌いにならなかったのは、母が父の悪口を決して言わなかったからだろう。
むしろ母は折りに触れ兄と私に「お父さんは本当はこういう人だよ」「表現が上手く出来ないだけで本当は色々なことを思ってる人だよ」と話して聞かせていた。

実際に父も年がら年中キレ散らかしたり気難しかったわけではなく、母に手を上げたこともない。
父の精一杯のやり方で兄や私に愛情らしきものは注いでくれていた。

それでも父と私の間では時々とんでもなく大きな喧嘩が勃発していた。
その殆どの理由が、父の自由すぎる言動に私が我慢できず「母をもっと大事にしろ」「母に心配かけるな」といったものであった。
さすがにお互い手は上げないが、大声で罵り合っては母に白目を剥かせていた。

そんな喧嘩も次第になくなり、父が他の物事よりも「家族」を優先するようになったのはいつからだろう。
やはり兄の病気と急逝がきっかけだろうか。


思えば父との最後の大喧嘩も兄が亡くなった時である。

兄と私はお互い1人暮らしをしている頃、仕事帰りに待ち合わせては時々お酒を飲みに行くことがあった。
あるとき兄が「親父とサシ飲みしたことないんだよなあ。前に誘ったら『野球で疲れたから』て断られたんだよ(笑)。」と話していたことがあった。
その時は「お父さんらしいわー。あいつアホだわー。」くらいにしか思わなかった。

ところが兄が亡くなってしばらく経った頃、何故かこの事を思い出した私は猛烈な怒りに駆られた。

そして、まさに野球へ行く支度をしている父に向かって「お父さんさ、お兄ちゃんと2人で飲みに行かないままだったね。結局ずっと家族よりも野球や他人の子どもが大事で、お兄ちゃんの些細な願いも叶えてやらなかったね。そんなの父親じゃないね。」と言った。

父は一瞬だけ泣き笑いのような顔を浮かべたが、ものすごい剣幕で怒鳴り返してきた。
最後の方は何のことで喧嘩しているのか分からない有り様だった(気がする)。

大切な家族を喪った悲しみのぶつけどころを見つけられず、父も私もあれだけ激しい言い争いになったのだろう。
母は相も変らず目を開けたまま気絶していた

今でも父は自由人である。
地域の少年野球にも未だに携わり、現役の審判員でもある。
コロナ禍までは突然ふらりと車中泊の1人旅へも出かけていた。
しかし以前よりもずっとずっと「家族」を大切にしているのは分かる。
「家族」の時間は永遠ではなく、あっけなくあっという間に失うこともあり得るということを実感したからだろうか。
出来れば違う出来事で実感してほしかった。


さて。

最近の父であるが、胃がんの術後ということでチマチマと分食の日々を送っている。
朝昼夕の食事の他、合間でゼリーやアイスやプリンなどを食べている。
私が仕事に行っている時間は母が、私がいる時は母と私の2人が、いずれの食事の間も父と一緒に食卓についている。
「1人で食べるのはつまらない。」と父が望むからだ。

チマチマちまちまと食べては飲み込みにも時間がかかり、やらねばならないことに追われている時や疲れている時は正直面倒くさい。(←ひどい)

しかし、母と私に囲まれて満足げな顔で食べている父を見ると「この時間も永遠ではないんだなあ。」と思い直し、のんびりした食事にのんびり付き合うことにしている。

しょうもない理由で往復ビンタをくらい、取っ組み合いになりそうな喧嘩を何度もくり返していた父娘もお互い歳をとった。

先日ふと父が「かをちゃんと俺は良い関係だなあ。こういう父娘は他にいないぞ。」と嬉しそうに呟いた。
父のこの1言を機にこのnoteを書いた。

私は「確かに金魚にリンゴをあげたくらいで往復ビンタする父はあまり居ないでしょうよ。」と思うと同時に「何だかヘンテコな形かもしれないけど良い関係だなあ。」とも思った。

だから、どうか1日でも長く。



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