たくさんの承認欲求
さて友人に感化され、始めましたnote。
今まで自分の思いの丈や考え、泥のような感情を夜な夜なボイスメモにまとめていましたが。
初めてこういった場に出していくことにしました。
人間は承認欲求や共感を得たい生き物であることを理解しつつ、書いて読まれたり、そしてこんな人間がこの世界のどこかで息をしているんだなと思っていただければ私は嬉しいです。
では本題。
私はきっと他者より承認欲求が強いのだと思います。
何故そんなめんどくさい人間になったのだろうと自分の足跡を見直すとそれはやはり幼少期にありました。
その人間の性格や能力は幼い頃に全てと言わずとも形成されると耳にします。
それは事実だと思います。
私の幼少期はとにかく好奇心のまま、思うまま、感じたままに行動する子供でした。
人が運動場で遊ぶ中、私は教室に一人残って好きな本を読む。
授業に飽きれば立ち上がって窓の向こうの池を眺める。
トランポリンが楽しいから体操教室に通わせてもらう。
そんな小さなことがエトセトラ。
はみ出していく片鱗
じゃあそんなもののどこに承認欲求があるのか。
好奇心のままに行動する結果、私は『興味を持ったものから学ぶことがなくなった』と判断すると即座にもういいと見向きをしなくなったのです。
本が飽きて学校探索をし、迷子になって授業に遅刻。
毎日同じ技を繰り返し練習する体操教室は人より体力もなく、体の小さい私には無理ゲー。
そもそも毎日同じことの繰り返しに幼い頃から辟易していました。
そうこうしていると大人は私を『手のかかる子』と認定し、褒められる回数より叱る回数が増えていきました。
当時、私が良かれと思ってやった事も怒られる始末でした。(もちろん、悪いことをして怒られることもありました。それは理解していました)
そんな中、環境的に私はおじさんおばさんの大人に囲まれることが多かったのです。
そこで私は『いい子』にすれば褒められる、怒られることなんてないと気づくのです。
学校に行けば放課後まで立たされ、先生は冷たく「なんで怒られてるかわかる?」と問い続ける。
家に帰れば母親が怒られた私を見てため息。
そんな母の後についていくと優しい大人達。いい子にしていれば褒められ、ジュースも買ってくれる。
こうして大人のからくりを知った化け物が生まれたのです。
そして大人にとっていい子になった私は怒られることがトラウマになるほどいい子を続けることになったのです。
まあ、それでも好奇心が抑えるほどできた子供にはなれませんでした。
多感の年頃になればそれは顕著になり、好きな教科は高得点なのに苦手な教科は最下位だったり、頼られたら断れなくなったり、嫌なとこを嫌と言えなくなったりと。
自分でも訳が分からなくなるほど全てがちぐはぐになりました。
環境も人間関係も親も弟も好きだった祖父母でさえも嫌いになり、この世界から私が居なくなれない日々にずっと泣いていました。
なんやかんやあり、気にせずに過ごせるようになるには時間がかなりかかりましたが
そんな私は今も承認欲求を抱えて生きています。
小さな化け物は右に倣えを真似しても化け物のままです。
noteを書き始めたのもそう。
世間の大人はいい子を求めるでしょう。そのほうが大人は楽だから。
それに気づくには同じ大人にならなくちゃわからない。
子供のままでいたいとは思いませんが、それでもこんな結末に笑いたくなるのです。
わはは、それではごきげんよう。
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