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共通テスト2022国語・古文全訳『増鏡(院も我が御方に~)』『とはずがたり(斎宮は二十に~)』本文と現代語訳・解説と分析をわかりやすく!

受験生の皆様、受験が気になる皆様、お疲れ様です。

共通テスト2022年の国語第三問・古文「増鏡」と「とはずがたり」の現代語訳を置いておきます。

「増鏡」はいいとして、「とはずがたり」は「やばい」「主語わからない」「誰と誰の会話?」という反応やら「兄が変態」「鬼畜」「これを出す作問者の倫理観」とまで言われてます^^;
ま、とりあえずいきましょう。長文、ご容赦あれ。

(なお解答解説はコチラ)

★更新★2024年最新版の全訳はこちら



■文章Ⅰ『増鏡』本文「院も我が御方にかへりて~」

<本文>
 院も我が御方にかへりて、うちやすませ給へれど、まどろまれ給はず。ありつる御面影、心にかかりて覚え給ふぞいとわりなき。「さしはへて聞こえむも、人聞きよろしかるまじ。いかがはせん」と思し乱る。御はらからと言へど、年月よそにて生ひ立ち給へれば、うとうとしくならひ給へるままに、慎ましき御思ひも薄くやありけん、なほひたぶるにいぶせくてやみなむは、あかず口惜しと思す。けしからぬ御本性なりや。
なにがしの大納言の娘、御身近く召し使ふ人、かの斎宮にも、さるべきゆかりありて睦ましく参りなるるを召し寄せて、
「なれなれしきまでは思ひ寄らず。ただ少しけ近き程にて、思ふ心の片端を聞こえむ。かく折よき事もいと難かるべし」
とせちにまめだちてのたまへば、いかがたばかりけむ、夢うつつともなく近づき聞こえ給へれば、いと心憂しと思せど、あえかに消え惑ひなどはし給はず。

■文章Ⅰ・増鏡全訳(ほぼ直訳の現代語訳)

 院も我が方に帰って、少し休まれたが、うとうとすることがおできにならなかった。先日の斎宮の面影が、心に浮かんで思いなさるのも、たいそうどうしようもない。「わざわざ申し上げるのも、人聞きがあまりよろしくないだろう。どうしようか」とお思いになり、心が乱れる。(斎宮は)妹ではあるが、これまで別の場所で成長なさったので、疎遠になっていらっしゃるまま、慎む思いも薄くなったのであろうか、やはりひたすら悶々とおわるとしたら、満足せず残念だとお思いになる。よくない御性格であるよ。
 某大納言の娘という、自分の近くで召し使う人間は、あの斎宮にも、しかるべき縁があって親しく参っているのを召し寄せて、
「馴れ馴れしいほどにとは思っていない。ただもう少し近いほどで、思う心の片端を申し上げたい。このような機会がよいことも、そうめったにないことであろう」
と切実に仰るので、どのようにたばかったのか、夢とも現実ともわからないほど近づき申しあげなさると、斎宮はたいそう心苦しいこととはお思いになるけれど、弱々しく消えて思い乱れることなどはしなさらない。

■解釈と読解ポイント(個人的に訳していて気になった箇所。★は特に注意する箇所)

○院も我が御方にかへりて
御方」の読み、どう読むかというと「おおんかた」と読む。意味は「(貴人の)お住まい」であって人間ではない。まあ「かへりて(帰りて)」があるから場所だとわかりやすいんだけど、苦手な人は「え?御方って誰?人?」っていきなり混乱しがち。
リード文にあるように、この後、文章Ⅱに「我が御方へ入らせ給ひて」って箇所が出てくるけれど、それと対応してる。

★まどろまれ給はず
問1傍線部アの部分。品詞分解すると「まどろま/れ/給は/ず」。
「まどろむ」が「うとうとする」という意味の動詞。現代語にもある。
「れ給はず」の「れ」は、可能の助動詞「る」の連用形。ここで
「あれ?給ふ(尊敬)があるから、この『れ』も尊敬じゃないの?」
と思ってはならない。なぜなら「れ給ふの『れ』は絶対に尊敬にならない」というルールがあるから。(「せ給ふ」「させ給ふ」の『せ』や『させ』は尊敬になることが多い。これと混同しちゃダメ)
しかも打消の「ず」があるので、「打消があるときは可能になりやすい」という基本からしても可能ととる。文法の基本中の基本が問われる箇所。

○ありつる御面影、心にかかりておぼえ給ふぞいとわりなき。
この「ありつる御面影」は、異母妹の斎宮のこと。これも文章Ⅱを読めばわかるのだけど、この文章の前に、院は斎宮と会っていろんな話をしてるのね。だから「ありつる=さっきの」という意味。さっき会ったかわいい妹のことが気になっている。
「わりなき」は古文重要単語の「わりなし」。ここは「どうしようもない」でとるといい。

○さしはえて聞こえむも、人聞きよろしかるまじ
「さしはえて」は注釈にあるように「わざわざ」。「聞こえむ」は謙譲語の「申し上げる」と婉曲・仮定の「む」。
何を申し上げるかっていうと、「妹が好きだー!」って気持ちを言うかどうかってこと。そりゃ人聞きよくないわ。

○御はらからといへど
普通、「はらから」って言うと「同じ腹から生まれた兄弟(妹)」なんだけど、リード文には「異母妹」ってあるな。お母さん違うんだな。

○年月よそにて生ひたち給へれば
年月は古文の場合「としつき」と読んで、「これまでの歳月」を指す。院と斎宮は、これまで離れて暮らしていたんだね。

○うとうとしくならひ給へるままに
「うとうとし」は「疎し(疎遠である)」を重ねたもの。現代語でも「いやだ」を重ねて「いやいやながら」って言ったりするやつ。
「ならひ」は「ならふ」という動詞なので、「慣れる、馴染む」の意味。わかりやすく言うと「疎遠になるのが普通」という感じ。

★つつましき御思ひも薄くやありけむ、なほひたぶるにいぶせくてやみなむは、あかず口惜しと思す
問2傍線部A。長め。
「つつましき御思ひ」は、先ほどあった「妹が好きだー!って気持ちを隠す」って話。でもそれが「薄かったのでしょうか・・・」と、書き手が推し量っている部分。源氏物語だと「恨みを負ふつもりにやありけむ」って出てくるような用法。
「ひたぶるに」は「ひたすらに、一途に」。「いぶせし」は古文重要単語で「気が晴れない、不快だ」という、心の中にくすぶってぶすぶすしてる感じを表す。
「やみなむは」は品詞分解すると「やみ/な/む/は」。強意+仮定婉曲。
あかず(飽かず)」も重要で「満足しない」。
この一文だけで、山ほど重要単語と文法事項が指摘できる。長いけれど、「ちゃんと勉強してきた人にはちゃんとわかる」という基礎力があぶり出される一文だと思う。

○睦ましく参りなるるを
「ん?なるる?」って一瞬思っちゃう。解釈上はサラッと飛ばしていいんだけど、この「なるる」は下二段動詞なので「慣る」。詳しく言うと「参上して慣れ親しむ」ということ。

○なれなれしきまでは思ひ寄らず。
院が、斎宮に対して、めっちゃ親しくなりたい!とは思ってないよ!という意味。

○ただ少しけ近き程にて
「け近き」の「け」は接頭語。「ちょっと~という感じがする」というニュアンスをつけるもの。「もの」とか「うち」に似てるやつ。

○せちにまめだちて
問3傍線部Bになっている部分。この傍線自体は「せちなり+まめだつ」なので、「まめだつ=真剣、本気」という意味だと取れていれば大丈夫。

★近づき聞こえ給へれば、いと心憂しと思せど
さらっと読んでしまうが、主語が変わる部分。近づいたのはもちろん院。そこに「已然形+ば」があるので主語が変わり、心憂し(つらい)と思っているのは斎宮。読解問題にも関わるので注意。

○あえかに消え惑ひなどはし給はず
「あえかに」は「あえかなり」と言って「か弱い、華奢だ」という意味。語源としては「こぼれ落ちる」というニュアンスがある語で、女性に対して使って、儚げで弱々しい人に使う語。
この場合、斎宮は「し給はず」なので儚く消えることはなかった模様。お兄ちゃんに言い寄られたら気が狂いそうだけど・・・なかなか強いのね。

ーーー

■文章Ⅱ『とはずがたり』本文「斎宮は二十に余り給ふ~」

<本文>
 斎宮は二十に余り給ふ。ねびととのひたる御さま、神も名残を慕ひ給ひけるもことわりに、花といはば、桜にたとへても、よそ目はいかがとあやまたれ、霞の袖を重ぬるひまもいかにせましと思ひぬべき御有様なれば、ましてくまなき御心の内は、いつしかいかなる御物思ひの種にかと、よそも御心苦しくぞおぼえさせ給ひし。
 御物語ありて、神路山の御物語などたえだえ聞え給ひて、
「今宵はいたう更け侍りぬ。のどかに明日は、嵐の山のかぶろなる梢どもも御覧じて御帰りあれ」
など申させ給ひて、わが御方へ入らせ給ひて、いつしか
「いかがすべき、いかがすべき」
と仰せあり。思ひつることよとをかしくてあれば、
「幼くより参りししるしに、このこと申しかなへたらむ、まめやかに志ありと思はむ」
など仰せありて、やがて御使に参る。ただおほかたなるやうに、「御対面うれしく、御旅寝すさまじくや」などにて、忍びつつ文あり。氷襲の薄様にや、
  「知られじな今しも見つる面影のやがて心にかかりけりとは」
更けぬれば、御前なる人も皆寄り臥したる。御主も小几帳ひき寄せて、御殿籠りたるなりけり。近く参りて、事のやう奏すれば、御顔うちあかめて、いと物ものたまはず。文も、見るとしもなくて、うち置き給ひぬ。
「何とか申すべき」
と申せば、
「思ひ寄らぬ御言の葉は、何と申すべき方もなくて」
とばかりにて、また寝給ひぬるも心やましければ、帰り参りてこのよしを申す。
「ただ寝給ふらむところへ、導け、導け」
と責めさせ給ふもむつかしければ、御供に参らむことはやすくこそ、しるべして参る。甘の御衣などはことごとしければ、御大口ばかりにて、忍びつつ入らせ給ふ。
 まづ先に参りて、御障子をやをら開けたれば、ありつるままにて御殿籠りたる。御前なる人も寝入りぬるにや、音する人もなく、小さらかに這ひ入らせ給ひぬる後、いかなる御ことどもかありけむ。

■文章Ⅱ・とはずがたり全訳(ほぼ直訳)

 斎宮は二十歳余りでいらっしゃる。成熟なされた御様子は、伊勢の神も名残を慕いなさったのももっともで、花でいえば、桜に喩えても、はた目はどうであろうかと間違えられ、霞の袖を重ねる間もどうしようかと思ってしまいそうな御様子なので、まして好色な院の御心の中は、早くもどんな御物思いの種になっているであろうかと、傍からも御心が苦しく思わせなさった。
斎宮は院とお話をして、伊勢の神通山のお話など、とぎれとぎれに申し上げなさって、
「今宵はたいそう更けてしまいました。ゆっくり、明日は嵐山の落葉した木々の梢などを御覧になって、お帰りください」
などと申し上げなさって、自分のお部屋にお入りになり、早々に
「どうしたらいいか、どうしたらいいか」
と仰る。思った通りだなぁと、おかしくていると
「幼い頃から参上した証に、このことを申して叶えてくれたら、実に誠意があると思うだろう」
などと仰って、すぐにお使いに参上する。ただ並一通りのようにして「ご対面がうれしい。御旅寝も寂しいのでは」などという言葉で、こっそりと手紙がある。氷襲の薄様であったか、
  ご存じではあるまい。今ちょうど会った面影がすぐに心にかかったとは
 夜が更けたので、御前にいる人もみな寄り臥している。御本人も小几帳を引き寄せて、おやすみになっておられるよ。近くに参上して、事の様子を申し上げると、お顔を赤らめて、大して何も仰らない。手紙も見るわけでもなくて、そのまま置きなさった。
「何と申し上げましょうか」
と申し上げると
「思いもよらないお言葉は、何とも申し上げようもなくて」
というほどで、またおやすみになったのも感心しないので、帰って参上して、この旨を申し上げる。
「ただ、寝ていらっしゃる所へ、私を連れて行け、連れて行け」
とお責めになるのも煩わしいので、お供に参るようなことはたやすく、ご案内して参上する。甘の御衣などは仰々しいので、院は大口袴だけで、人目を避けながらお入りになる。
まず先に参上して、御障子をそっと開けると、先ほどのままでお休みになっている。御前にいる人も寝入ってしまったのであろうか、音を立てる人もなく、体を小さくして這ってお入りになった後、どのようなことがおありだったのであろうか。

■解釈と読解ポイント(個人的に訳していて気になった箇所。★は特に注意する箇所)

○二十に余り給ふ
現代語で言うと「二十歳余り」。斎宮は二十歳を少し過ぎているのね。

★ねびととのひたる御さま
早速の傍線部。問1のイ。
「ねびゆく」で「大人になってゆく」を覚えている受験生は多いと思う。それの「ねぶ(大人になる)」に「ととのふ」がついた形。
素直に直訳すればいいんだけど、これは選択肢が巧みな問題。ちょっと間違いそうな「将来が楽しみな」ってのが混ぜてあった。若紫ちゃん(※)のイメージに引っ張られたら負け。
(※源氏物語『若紫』の段にある「ねびゆかむさま、ゆかしきひとかな(成長する様子が楽しみな人ですね)」という、超有名な一言のこと。これは「ゆかし(知りたい)」があるので成り立つ!)

○神も名残を慕ひけるもことわりに~
注釈に「斎宮を退きながらも、帰京せずにしばらく伊勢にとどまっていたことを指す」とある。そもそも斎宮って、これも注にあるけど天皇家の女性にしかなれない超・超・高貴な役職トップオブ神社の伊勢神宮で、天皇の代わりとして、その代の天皇が退位するまでずーっと神に仕えるのです・・・!
ま、そんな異母妹がいたら、久々に出会ったお兄ちゃんがトチ狂う好きになるのもムリはない・・・のか・・・?。

○花といはば、桜にたとへても、よそ目はいかがとあやまたれ
おおっ。この「花といはば桜にたとへても」の表現は、源氏物語『若菜』に出てくる紫の上を褒める場面で使われてるやつなんです。当時の人にとって『源氏物語』は大ベストセラー本だったので、きっと作者の二条も読んでたんじゃないかと思わせる比喩。
ここは「花と言えば桜に例えられましょうが」という、花の中でも一番美しい桜に斎宮のかわいさを例えようとしている。
そして「よそ目はいかがとあやまたれ」は、傍から見ると「え?この人って桜?この可愛さ、見間違うレベルですけど」っていう感じの褒め言葉。次の「霞の袖を~」もそうだけど、とにかく斎宮を褒めちぎっている
ただ、ここは「はた目にはそれはどうかと間違えられ」と直訳したら「ん?桜にたとえるのはおかしいってこと?(かわいくないの?)」と誤訳しそうな箇所。
この辺り、全部丁寧に解釈しようとすると時間的にしんどいので「ああ褒めてるんだな(ざっくり)」と大筋わかればよい。共通テスト読解のポイントは「読解のメリハリ」だと思う。

★ましてくまなき御心の内は、いつしかいかなる御物思ひの種にかと、よそも御心苦しくぞおぼえさせ給ひし
これも注釈を利用する。「くまなき御心の内」は「院の好色な心」。
いつしか」は後にも出てくるけど「早く、早々に」という、基本は時間差のないものに対して使うので注意。
「いかなる御物思ひの種にか」は、注釈から主語が院だとわかるので、「好色な院の物思い」ということになる。じゃあ具体的には妹が好きだーどうしよう~~という内容だ、ととれる。
そして「よそも御心苦しくぞおぼえさせ給ひし」は、直訳すると「よそもお心苦しく思わせなさった」で、ちょっとわかりにくい。
実はここ、構造上は

『ましてくまなく~種にか』と、よそ(に対して)も御心苦しくぞおぼえさせ給ひし

という感じで、「よその人たち」に対して「まして~にか」と思わせるという使役の構造になっているのです!!わかりにくい!
そのため「させ給ひし」の「させ」は使役。もし、「よそ」に「させ給ふ」という二重尊敬を使ってたら変だしねぇ。
ここも、傍線にはなってないのでテストの際にはこだわらない。うん。時間は有限である。

○御物語ありて~など申させ給ひて、我が御方へ入らせ給ひて、いつしか
さあさあ。ここから主語がわからなくなってきた人もいるのではないかと。
「え?申し上げたの誰」
「誰がどこに入ったって?」
まずは、先ほどの『増鏡』でもあったけれど、この「我が御方へ入らせ給ひて」は『増鏡』冒頭とつながっており、自動的に主語は「院」
そうなると、接続助詞「て」でつながる文は主語が変わりにくいという読解の基本からも、ここの主語はすべて院ということがわかる。
だからここは、御物語は院と斎宮の会話、カギ括弧は院の言葉、お部屋に入ったのは院、という流れ。

★「いかがすべき、いかがすべき」と仰せあり。
上記の基本を踏まえたら、この言葉は院ということがわかる。
でも斎宮の方が困ってるんじゃないかという思い込みにより、この言葉が斎宮の言葉だ!とか取ってしまうと、この先の読解がちんぷんかんぷんになるので注意。
まずは、文法の基本を軸に主語を取る。思い込まない!
そして「いかがすべき」は「どうしようか」なので、書き手である二条に対して院が相談した、という内容だとわかる。

○思ひつることよとをかしくてあれば
主語は書き手の二条。「思ひつることよ(思った通りだ)」と「をかし(おかしい)」のは、さっきの「妹に会ったらコイツ恋に落ちるんじゃないかという危惧」の通り、妹を好きになって心乱れている院の様子のこと。

○このこと申しかなへたらむ
「え?『このこと』って、どれをさすの?」
うむ。「この」って言われたら直前かな~とか思うよね。でも直前に該当する語がない。
だからここは、どちらかというと「以下のこと」に近い。読んでいくと、二条が使いをして手紙を届けているから、それを指すんだね。
品詞分解すると「申し/かなへ/たら/む」で、「このこと(次にある手紙と和歌)」「斎宮ちゃんに申し上げ」て「叶えて」くれたら、という意味。品詞分解を誤って「申しかな/へ/たらむ(申しかな??)」とか「へたらむ??」とか、謎の古文単語を作ってしまわないように。

★ただおほかたなるやうに
問1傍線部ウ。「おほかたなり」は「並一通りの」という意味だと頭に入っていたらわかる問題。
大事なのは文法重視であって読解重視ではないということ。読解的に成り立つからといって「落ち着き払って」とか「大人らしい態度で」とか意味不明なのをとってはいかん。

○御旅寝すさまじくや
「旅寝?斎宮って、旅してたっけ?」
いやいや。旅寝は「いつもと違う場所で寝ること」なので、何も旅してなくたっていい。
「すさまじ」なので寂しい、寒々しいなど、違う場所で寝ることへの気遣いの言葉。

★知られじな今しも見つる面影のやがて心にかかりけりとは
ここまでうまく読解できていたら、この和歌は院の和歌だとわかる。斎宮じゃない。
まずは直訳。「知られじな」は「知らないだろうよ」。ということは、倒置の和歌
「今しも見つる面影」は当然、さっき褒めちぎってた斎宮のこと。
「心にかかる」は「気にかかる」だから、「斎宮ちゃんが気になってる」という意味になる。
問4の選択肢に「私になびくことになるという歌」とか書かれているけど、そんなこと一切言ってない。「実はね、斎宮ちゃんが気になってる」というキモい気持ちを伝えているのです。

○御主も小几帳ひき寄せて、御殿籠りたるなりけり。近く参りて、事のやう奏すれば
「御主?誰?」これは斎宮。お休み中。ここまではいい。
でも・・・いや~。これはちょっと気になるんだけど・・・。
受験生って「『奏す』は天皇や院にしか使われない絶対敬語!!」って習うよね。でもこれ、斎宮に対して使ってるから、天皇や院ではなく斎宮(しかも引退してる人)に『奏す』を使うという古文史上でもかなり特殊な用例なのです。
正直ここ、勉強した人ほど混乱するかもしれない。だからここは注釈をつけてもよかったと思うんだ。「この奏す』は斎宮への敬意をさす」って。
だってせっかく頑張ったのに、勉強した人ほどここで主語取りに躓いたら、そんなのかわいそうじゃないか。
でもまぁ、その先読めば「御顔うち赤めて」ってあるから、ちゃんと斎宮だってわかるんだけどね。院がどの面下げて顔赤らめるんだ(ヒドイ)。

○また寝給ひぬるも心やましければ
ちょっと取りづらい箇所。「心やまし」は「気にくわない、不満」の意味。二条は院と斎宮を引き合わせるつもりで来たけど、そのまま手紙も見ずにねちゃったから「うーん・・・どうしよ」という心境なのだと思われる。

○「ただ寝給ふらむところへ、導け、導け」と責めさせ給ふもむつかしければ、御供に参らむことはやすくこそ、しるべして参る。
院が、寝てる斎宮のところへ「つれてけつれてけ」って言ってる(こ、こいつ・・・!)。
それに対して「むつかし」なので「煩わしい、不快」と感じてる二条は「ま、連れてくのはたやすいわ」って、忍び込む手引きをしてしまうという・・・(そろそろ現代の倫理観が虫の息・・・)。

○まづ先に参りて、御障子をやをら開けたれば、ありつるままにて御殿籠りたる。
二条が先に入ると、斎宮はさっきの姿のまま、すやすや寝ている。ああ、斎宮ちゃん・・・。

○小さらかに這ひ入らせ給ひぬる後、いかなる御事どもかありけむ。
院は這って入って行ったのね。まさに夜這い。想像したら笑える・・・いや、場面は現代的には全然笑えないんだけど。
その後を「いかなる御事どもかありけむ(その後、どんなことがあったのでしょうか・・・)」って濁すところで終わるという・・・。院が寝てる斎宮ちゃんのところに侵入した後なんて、高校生相手に続けて書けるわけないやん!

◆オマケ『とはずがたり』意訳※注:このまま訳すと先生に叱られます!!参考までに

 斎宮さま(20代)の綺麗さといったら、あの伊勢の神すら「行かないで斎宮ちゃん!もうしばらくいて!」って言うのもあり得るんじゃないかと。「え?もう花?いや桜でしょ」と血迷う人やら「え~顔見せて!まどろっこしい!」と思うやらのレベルだから、周囲の人間からしたら「いや・・・あの女たらしの院なら、即ほれるやろ・・・ヤバイんちゃう」とハラハラした。
そんな2人が話をして、院が
「あ、もう夜遅いね。明日はゆっくりして帰ったらいいよ」
って言ってから、部屋ですぐ
「どーしよ!!どーしよ二条!はやく来て!!」
ってハイハイやっぱそーですか(笑)。何ですかね。
「ねぇ二条、君はさ、小さい頃から俺に仕えてくれてたよね。斎宮ちゃんのこと・・・叶えてくれたら、それを君の誠意とみなすよ」
と言うもんだから(何その交換条件)、すぐお使いをすることになった。
「お会いして嬉しゅうございます。ご不便ありませんか(微笑)」
って普通にご挨拶して、こっそり院の手紙(こだわりの白いやつ)を渡す計画。そこには
<知らないでしょうけど・・・俺、斎宮ちゃんが好きになっちゃった♡>
って院の歌が書いてある。
行ってみると、夜遅いから、周りはみんな寝てる。斎宮さまもすやすや。
近くに行って起こして「あのー、こういうことが・・・」って言うと、斎宮さまは真っ赤になって
「・・・!!!」
何も言えない(そりゃそうよね)。
「・・・」
え、でも手紙見ないの? そこに置いとくだけ?
「あのー、返事どうします?」
「・・・。・・・想定外で・・・どう言ったら・・・。・・・。・・・」
って、寝るんかい!!!寝たわ。手紙も読まず、返事もせずに斎宮さま寝たわ。
えーやだ。どうしよっかな。とりあえず院に報告しよ。
「よし!寝てるとこに連れてってくれ♡ な?連れてってくれよー」
院マジうざい。
ま、連れてくのは簡単だけど。はいはいこっちでーす。
院はさすがに「ザ・上皇」の格好は目立ちすぎるから、普通の格好に変装して、こっそり侵入・・・。
まず私が先。そっと障子を開けると、斎宮さま、さっきのままの姿で寝ていらっしゃる・・・。
周りはみんな寝てて、声を上げる人もいない。
院は体を小さくして侵入成功。
さて。その後、どんなことがあったのやら・・・。

↑↑↑以上、ものすごい意訳です。院・・・。てか、手引きする二条も性悪だと思う。この文章に続く内容ももちろんあるんですが、2人とも言動が本当にヤバイです。現代の感覚で語っちゃいかんのだろうけど、昔はこんなのザラにあったんだろうなぁ・・・↑↑↑


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