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共通テスト2023国語・古文全訳『俊頼髄脳(宮司ども集まりて~)』本文と現代語訳・解説と分析をわかりやすく!

受験生の皆様、受験が気になる皆様、お疲れ様です。

共通テスト2023年の国語第三問・古文「俊頼髄脳」の出題箇所を全訳したので、意訳や解説と共に現代語訳を置いておきます。
*苦手な人は「え・・・そもそも何て読むの?」ってなりますが、「俊頼髄脳」の読み方は「としよりずいのう」が一般的です。くれぐれも「しゅんらい」とか読まないように。

「俊頼髄脳」は、平安後期の歌論書です。「この歌、こんなエピソードで書かれたよ!和歌を詠むときは参考にしようね」っていう、和歌のエピソード集というか、和歌作成のための参考書。
作者は源俊頼(みなもとのとしより)。百人一首なら「うかりける人を初瀬の山おろしよ激しかれとは祈らぬものを」を詠んだ人ですね!

今回の話では、良暹(←りょうぜん、と読む)という僧が出てきます。「良暹って誰?」と思った人。この人も百人一首に良暹法師として出てくるんですよ。「さびしさに宿をたち出でてながむればいづこも同じ秋の夕暮れ」の人です。歌うまいねぇ。

また、今回は「散木奇歌集」という引用もありました。そちらも余力があれば訳します。

ま、とりあえずいきましょう。長文、ご容赦あれ。

(なお昨年版・最新版はコチラ)


■共通テスト2023古文・本文『俊頼髄脳』「宮司ども集まりて~」

 宮司ども集まりて、船をばいかがすべき、紅葉を多くとりにやりて、船の屋形にして、船さしは侍の若からむをさしたりければ、俄に狩袴染めなどしてきらめきけり。その日になりて、人々、皆参り集まりぬ。「御船はまうけたりや」と尋ねられければ、「皆まうけて侍り」と申して、その期になりて、島がくれより漕ぎ出でたるを見れば、なにとなく、ひた照りなる船を二つ、装束き出でたるけしき、いとをかしかりけり。
 人々、皆乗り分かれて、管絃の具ども、御前より申し出だして、そのことする人々、前に置きて、やうやうさしまはすほどに、南の普賢堂に、宇治の僧正、僧都の君と申しける時、御修法しておはしけるに、かかることありとて、もろもろの僧たち、大人、若き、集まりて、庭にゐなみたり。童、供法師にいたるまで、繍花装束いて、さし退きつつ群がれゐたり。
 その中に、良暹といへる歌詠みのありけるを、殿上人、見知りてあれば、「良暹がさぶらふか」と問ひければ、良暹、目もなく笑みて、平がりてさぶらひければ、かたはらに若き僧の侍りけるが知り、「さに侍り」と申しければ、「あれ、船に召して乗せて連歌などせさせむは、いかがあるべき」と、いま一つの船の人々に申し合はせければ、「いかが。あるべからず。後の人や、さらでもありぬべかりけることかなとや申さむ」などありければ、さもあることとて、乗せずして、たださながら連歌などはせさせてむなど定めて、近う漕ぎ寄せて、「良暹、さりぬべからむ連歌などして参らせよ」と人々申されければ、さる者にて、もしさやうのこともやあるとて、まうけたりけるにや、聞きけるままに程もなくかたはらの僧にものを言ひければ、その僧、ことごとしく歩み寄りて、
「もみぢ葉のこがれてみゆるみふねかな
と申し侍るなり」と申しかけて帰りぬ。
 人々、これを聞きて、 船々に聞かせて、付けむとしけるが遅かりければ、船を漕ぐともなくて、やうやう築島をめぐりて、一めぐりの程に、付けて言はむとしけるに、え付けざりければ、むなしく過ぎにけり。「いかに」「遅し」と、互ひに船々あらそひて、二めぐりになりにけり。なほ、え付けざりければ、船を漕がで、島のかくれにて、「かへすがへすもわろきことなり、これを今まで付けぬは。日はみな暮れぬ。いかがせむずる」と、今は、付けむの心はなくて、付けでやみなむことを嘆くほどに、何事も覚えずなりぬ。
 ことごとしく管絃の物の具申しおろして船に乗せたりけるも、いささか、かきならす人もなくてやみにけり。かく言ひ沙汰する程に、普賢堂の前にそこばく多かりつる人、皆立ちにけり。人々、船よりおりて、御前にて遊ばむなど思ひけれど、このことにたがひて、皆逃げておのおの失せにけり。宮司、まうけしたりけれど、いたづらにてやみにけり。

■『俊頼髄脳(宮司ども集まりて~)全訳(ほぼ直訳の現代語訳)

 宮司たちは集まって、船をどうしようか、紅葉を多く取りにやって、船の屋形して、船を操作する人は侍の若いようなのをさしたので、急に狩袴染めなどをして派手やかにした。その日になって、人々が、皆参上して集まった。 「御船は用意できているか」とお尋ねになったので、「皆用意できています」と申し上げて、その時間になって、島陰から漕ぎ出てきたのを見ると、何となく、一面に照り輝いている船を二つ、飾り立てて出てきた様子は、まことにすばらしかった。
 人々は、皆乗り分かれて、管絃の楽器などを、皇后寛子からお借りして、そのことをする人々を、前に配置して、段々とさし回すうちに、 南の普賢堂に、宇治の僧正が、僧都の君と申しあげていた時、御修法をしていらっしゃったが、こういうことがあるというので、すべての僧たちや、大人、若者、集まって、庭に居並んでいた。童や、お供の法師に至るまで、花模様の刺繍を着て、うしろに控えながら群がっていた。
 その中に、良暹という歌詠みがいたのを、殿上人が、見知っていたので、「良暹がいるのか」と尋ねたので、良暹は、目を細くして笑って、平伏しておそばに控えていると、側に若い僧がいたのが知っていて「さようでございます」と申し上げたので、「彼を、船に召して乗せて連歌などさせるようなのは、どうだろう」と、もう一つの船の人々に相談したところ、「どうだろうか。あってはならないことだ。後世の人が、そうしなくてもよいものだなと申すだろう」などと言うので、それもそうだと、乗せずに、ただそのまま連歌などをさせようなどと決めて、 近くに船を漕ぎ寄せて、「良暹、ふさわしい連歌などをして申し上げよ」と人々が申し上げたので、気の利いた者で、もしかするとそのようなこともあるかもしれないと思って用意していたのだろうか、聞くと間もなく側の僧に何か言ったので、その僧はもったいぶって歩み寄って
「『もみぢ葉のこがれてみゆるみふねかな』と申しております」と申しあげて帰った。
 人々は、これを聞いて、 船に知らせて、句を付けようとしたが遅れているので、船を漕ぐともなく、徐々に築島をまわって、一まわりするうちに、句を付けて言おうとしたが、付けられなかったので、むなしく時がたった。 「どうした」「遅い」と互いに船で争って、二まわりしてしまった。 それでもやはり付けられなかったので、船を漕がないで、島の陰で、「何とも体裁の悪いことだ、これを今まで付けられないのは。日はすっかり暮れてしまった。どうしたらよいだろう」と、今は、付けようという気もなくて、付けないで終わることを嘆くうちに、何も考えられなくなってしまった。
 大げさに管絃の楽器をお借りしておろして船に乗せたのも、ちっともかき鳴らす人もなく終わってしまった。このようにあれこれ言っているうちに、普賢堂の前に大勢集まっていた人々も、みな立ち去った。人々は、船から降りて、御前で管弦の遊びをしようなどと思っていたけれど、このことに違って、みな逃げてそれぞれいなくなってしまった。宮司は準備したけれど、無駄になって終わった。

■解釈と読解ポイント(個人的に訳していて気になった箇所。★は特に注意する箇所)

○船をばいかがすべき
「船」はリード文にあった通り、船遊び用の船のこと。
「いかがすべき」は、品詞分解すると「いかが/す/べき」になる。でも基本的には、連語として扱うことが多いかな。
訳すと「船をどうしようか、どうしたらよいだろうか」という意味になる。
ちなみに「あれ?いかがすべきの『べき』が、なぜ連体形になってるの?」と思った人もいるかもしれない。これは疑問の副詞「いかが」と結びが呼応しているから。結構、疑問の係り助詞「や」「か」との呼応は覚えている人が多いけれど、疑問の副詞も同じように呼応する(結びは連体形!)ことを知らない人が多い。覚えておいて損はない。

○紅葉を多くとりにやりて、船の屋形にして
せっかくの船遊びだからね。きれいに飾り付けしたいよねぇ。
季節物の紅葉を沢山とってきて、船の屋形にくっつけたってことだね。

★船さしは侍の若からむをさしたりければ
「若からむ」は、問2傍線部aの部分にあたる。パッと見て「あっ、助動詞『らむ』だ!」と飛びつく人は基本を見直すべし。まず品詞分解→それぞれ識別が基本の順番! 品詞分解すると「若から/む」。つまり、この時点で「らむ」では切れないことが分かる。
じゃあ、この「む」は何か? 大体、文章中の「む」→仮定・婉曲の「む」と相場は決まっているので、ここは婉曲の「む」と取るのがいい。
直訳すると「船さしは侍の若いようなのをさしたので」となる。船を操作する人は、若い侍にしたってことが分かればOK。

○その日になりて、人々、皆参り集まりぬ。
「その日」とは、船遊び当日ってこと。

★「御船はまうけたりや」と尋ねられければ
はい。この文章「まうく」が山ほど出てきます。「まうく」は「準備する、用意する」という重要古語。覚えよう。
それと「尋ねられければ」の「られ」は、尊敬の助動詞。だから訳すときには尊敬表現を出したいところ。
ちなみに「このカギ括弧、誰の言葉・・・?」ってなるかもしれないけれど、上記のことから身分の高い殿上人だと思われる。
ということで、訳すと「御船は準備できたのか」とお尋ねになったのでとなる。

○「皆まうけて侍り」と申して
この「侍り」は丁寧語。丁寧語は侍り・さぶらふの2つしかない(と考えた方がわかりやすい)。謙譲語の用法は「お仕えする・おそばに控える」と訳すとき。
なので「全部準備しています」という意味。もし訳しなさい!と言われたときに「△全部準備している」と、です・ます・ございますを入れないと減点されるので注意。

○ひた照りなる船を二つ、装束き出でたるけしき
「ひた照り・・・?」と一瞬なったかもしれないけれど、今でも「ひたすら・ひたむき」にも使われるような「直(ひた、『すべて』『一面に』などの意味)」と、「照る」がくっついたもの。船が一面に照っている、ということは、船をぴかぴかに磨き上げてきれいにしたということ。
「装束き」は、フリガナで「そうぞき」と書かれているように、ちょっと馴染みがないかも。でも漢字から想像できる通り、「装束く(そうぞく)」で「装束をつける、着飾る」という意味がある動詞。
訳すと「一面に照っている船を二艘、飾って出てきた様子」となる。

★やうやうさしまはすほどに
問1傍線部アの箇所。
やうやう」が「段々・徐々に」という意味だとわかっても「さしまはす・・・?」となった人もいるかもしれない。
ここは注釈を参考にしよう。最初「船さし」が「船を操作する人」とあったように、「さす=(船を)操作する」だと気づけば理解しやすい。そうすれば「徐々に船を操作し回しているうちに」という意味だ、と理解できるはず!

○かかることありとて
「このようなことがある」、つまり、船遊びがあるってこと。

○庭にゐなみたり
「ゐなむ」は「ゐ」と「なむ(並ぶ)」がくっついた語。つまり「並んで座る」の意味。

○「良暹がさぶらふか」・・・平にさぶらひければ
ここでの「さぶらふ」は「おそばに控える」という意味なので、敬語の種類としては謙譲語にあたる(ただ、「います」って意味の丁寧語なんじゃない?という意見もあると思う。ぶっちゃけ、ここはグレーだと思う)。「平に」は平らになるほどなので、平伏しているという意味。良暹自身は、自分が身分の低い僧だとわきまえているので、おいそれと殿上人に直接話すこともしない。

★かたはらに若き僧の侍りけるが知り、「さに侍り」と申しければ
問2傍線部b。また、問3にも関わるところ。
殿上人たちは「良暹がいるのか」と尋ねたけど、良暹自身は平伏しているから、側にいた若い僧が代わりに返事をした場面。
「さに侍り」の「侍り」は、前述の通り丁寧語。丁寧語は聞き手尊敬なので、この場合はカギ括弧の言葉を聞いている相手への敬意(ここでは殿上人への敬意)が込められている。

○さらでもありぬべかりけることかなとや申さむ
「え?ひらがな続くと途端にわかんない」という人。ちゃんと品詞分解しつつ、落ち着いて理解しよう。
おおよそ「さらでも」「ありぬべかりけることかな」「とや申さむ」に分かれる。
「さらでも」は、これも前述の枕草子にあるように(「またさらでもいと寒きに~」のところ)「そうでなくても」の意味だね。
「ありぬべかりける」は、「ありぬべし(あるだろう)」に「けり」がついたもの。直訳すると「そうでなくてもあるだろうと申すだろうか」になって、意味わかんない人もいるかも。
ここは良暹を船に乗せて連歌させるかどうかの場面だから、「良暹を船に乗せなくてもいいだろう、って後世の人が言うんじゃないか」ってことを言ってるのです。昔は身分って大事だったからね。だから結局、良暹を船に乗せないことに決まる。

○たださながら連歌などはせさせてむ
「さながら」は「そのまま」。ひらがなが続くところは「せ/させ/て/む」と品詞分解できる。
「てむ」は、強意「つ」+推量・意志「む」がくっついたもの。

○さりぬべからむ連歌などして参らせよ
「さりぬべからむ」は「さりぬべから/む」。決して「さり/ぬ/べか/らむ」みたいな、ヘンテコな品詞分解をしないように!! これは連語「さりぬべし」で「その場にふさわしい」という意味。和歌を詠む話ではよく見る気がする。
また「参らせよ」は「参らせ/よ」と切れる。「参らす」で「差し上げる」という意味の謙譲語。差し上げる相手は殿上人だから、これは殿上人への敬意となる。
ということで「この場にふさわしい連歌などを作って差し上げよ」という意味になる。

★もしさやうのこともやあるとてまうけたりけるにや
問2傍線部C。「さやうのこと」は「和歌を詠め、と言われるような場面」のこと。それを想定して、良暹はちゃんと準備をしていたのだろうか、と筆者が想像している。
ひらがなが多いけど、これも落ち着いて理解しよう。

○ことごとしく歩みよりて
問1(2)。「ことごとし」は「仰々しい、大げさだ」の意味。これは知っててほしいな。

○もみぢ葉のこがれて見ゆる御船かな
この物語の中心となる和歌。これ自体は「紅葉がこがれて見える御船だなぁ」となって、普通の歌にも思えるかもしれない。
ただ、問題にもあるように「こがれて」は「焦がれて」と「漕がれて」の掛詞になっている。これを踏まえると「紅葉が焦がれるように赤々としているのが、船を漕がれながら見える御船だなぁ」というような訳になる(話の最初でも、船に紅葉いっぱい飾ったってエピソードがあった。それが伏線になっている)。これがえらく上手だから、筆者は「あらかじめ用意したんだろうか」って言ってたのです。
そして連歌会だと、最初の句(発句)を付けるのは、一番偉い人や上手い人というルールがある。そして次の句は、前の句を受けたものでないとダメ。だから発句がうますぎると、次の句を詠む人は相当の機転が求められる。

○付けむとしけるが遅かりければ
ここ、「付ける」という単語が何度も出てくるけれど、これは注釈にあるとおり「前の句に続けて詠む」こと。良暹の上手な発句に対して句を続けようとするけれど、なかなか思いつかなくて遅くなったんだね。

○え付けざりければ
「え~ず」
「~できない」という不可能を意味する表現。受験頻出!

★かへすがへすもわろきことなり、これを今まで付けぬは。
かへすがへす」は問1(ウ)。「繰り返し、何度も、よくよく(考える)」といった意味。選択肢には直接合うものはないけれど、「どう考えても」が正しい。「繰り返しても」という選択肢に惑わされてはいけない。
また「今まで付けぬは」は、「今まで付けないのは」という訳になるので、「ぬ」は打消の助動詞「ず」の連体形。

○何事も覚えずなりぬ
これは直訳すると「何事も覚えなくなった」になるけれど、それだと意味がわからない。「覚ゆ」は「考える」という意味もあるので、ここは「何も考えられなくなった」という表現の方がしっくりくると思う。
ここの「なり」は、助動詞ではなく動詞。「~(に)なる」と普通に訳すときは動詞だよ!

○そこばく多かりつる人
そこばく」は、「多い」という意味と「いくらか」という意味を持つ。この場合は「多かりつる」の程度を強めるようなニュアンス。

○いたづらにてやみにけり
「いたづらなり」は「ムダになる」。「~てやみにけり」は、こういった話の最後に出てくる表現で「~して終わった(~してしまった)」という結びの言葉。せっかく準備して、船遊びの後は船を下りて管弦の遊びもしようと思っていたけど、肝心の連歌が続かないんじゃあどうしようもないよね。

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◆オマケ『俊頼髄脳』意訳※注:このまま訳すと先生に叱られます!!参考までに

 役人たち「船どないする?」「めっちゃ紅葉つけたらええんちゃう?」
そこで船に紅葉つけて、船頭はぴちぴちの若侍、袴も船遊び仕様できらっきらにした。そして迎えた当日。ゲストも観衆も大賑わい。
殿上人「船は準備しておじゃるか?」
役人たち「バッチリでございまする!」
池の島影から出てきたのは、ど派手な船。もう最高。
参加者は船に分かれ、楽器をお借りして、演奏家が前にいる船がゆっくりと回ってくる。そのうち、宇治の僧正(このとき僧都の君と名乗ってる)が祈祷していて、僧も老若男女も集まって庭にずらっと居並ぶ。身分の低い者たちも一張羅を着て、ちょっと退いたところで群がっている。
その中にいたのが、良暹という歌詠み。
殿上人「良暹、おじゃるのか?」
良暹「・・・(微笑して礼)」
若僧「(代弁)そうでございます!」
殿上人「良暹を船に乗せて、連歌をさせてはどうでおじゃる?」
別の船の人たち「いやー、ナシですわ(身分低い法師やし)。後々『せんでもええのに』って言われますさかい」
殿上人「まぁ、それもそうでおじゃる」
ということで、身分の低い良暹は乗せないことになった。
殿上人「ならば、そのままの場所で歌わせてはどうじゃ」
そこで、船を良暹の近くに寄せて「良暹、この場にピッタリな連歌を詠め」と言った。
さすがの良暹、こんなこともあろうかと準備してたのか、間もなく側の僧(代弁者)にひそひそと言った。その僧は仰々しい様子で船に歩み寄り
「『もみぢ葉のこがれて見ゆる御船かな』と申しておりまする!」と言った。
人々はこの句をそれぞれの船に伝えた。
「よし!次の句をつけよう」
「・・・」「・・・」「・・・」
「・・・池の島を一周したら付けよう」「そやそや」「そうしよ」
「・・・」「・・・」「。。。」
思いつかず。
「おい、どうした」「遅すぎやで」「お前こそ」
池、二周目に入る。
「。。。」「。。。」「。。。」
やっぱり思いつけない。
島の影に入って作戦会議。
「やばくね?次の句を考えられないのは。日も暮れたぞ。どうする」
「んなこと言うたって、付けようって気も起こらへん」
「ええー、付けずに終わるんかいー泣」
そして、あんなに仰々しく楽器を借りたのに鳴らす人もなくて船遊び終了。「これにて終了でーす」という言葉で、山ほどいた人だかりも「なーんだ」と皆ぞろぞろ帰っていった。
参加者は船から下りて御前でコンサートでもと思ってたが、皆さっさと逃げていった。役人も準備していたけれど、全部ムダになってしまったとさ。

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以上、ものすごい意訳でした。良暹の無双状態よ・・・。他の参加者には、良暹ほど機転の利く人はいなかったのね。
それにしても、良暹を知っていた殿上人は凄いなと思う。1発目の句を詠うのは偉い人っていうのが通例なのに、身分の低い良暹に声かけるし、身分差も憚らずに船に乗せようとするし、「歌の上手な人」ということにおいて身分を超えて尊重していたんだろうな。良暹自身は身分をわきまえて、直接話さないのがまた慎ましい。
そしてお役人さん・・・あれだけ準備したのにねぇ。お疲れ様でした!


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