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前に進むために手放すもの

春の選抜高校野球が始まると
思い出す人がいる

春の甲子園に出場した
小・中学校の同級生

野球部ではなかったので
野球をしているなんて知らなかったのだ
 

小学生の頃の日曜日に
たまたま野球の練習をしている姿を見たことがある

でもそれは親子の交流だと思っていた


県内では私立の高校が甲子園常連校で
それに次ぐ強い高校に進学した彼

彼は努力の人だった

きっとこの高校で野球をすることを
そして甲子園に出場することを
小学生のあの時から決めていたのではないだろうか

そんな彼は二年連続で
春の選抜甲子園出場を果たす

一年目の初戦は勝利を確信した瞬間のエラーで敗退
このリベンジもあって二年目の出場には県内も湧いた


だが二年目の年の夏の甲子園では伝説が起こる
延長17回の長丁場の試合に250球を投げ完投勝利

そう松坂世代ど真ん中なのだ

同級生が出場した二年目の春の大会でも
松坂投手はもちろん注目の選手だった

同級生の高校は
準々決勝で松坂選手率いる横浜高校と対戦

奮闘したものの
この春の選抜でも横浜高校は優勝している

松坂投手だから仕方ないなという
暗黙の了解のような雰囲気もあって
私も負けて残念というより
頑張る姿を観れて満足だったのだ


同級生の彼はその後
東京六大学野球でも活躍し
主将もつとめていた

毎春、東京六大学野球をTVで観る度
プロ野球選手になるのだろうな、と
信じて疑わなかった

けれど卒業の年もその後も
プロ野球選手に彼の名前を見る事はなかった


小学生から目指していたはずのプロ野球選手
(卒業のメッセージカードにもそう書いてあった)

あれだけの努力の人だった彼が
なぜその道に進まなかったのだろう?

そう思っていた頃その答えとなる
2003年発売のこの本の存在を知る

『松坂世代』 矢崎良一
1998年の夏の甲子園をわかした若者たちは、今「最後の世代」といわれて
野球界の主力になりつつある。松坂大輔を追いかける彼らの、栄光と挫折、そして転身と再生を克明にたどって、野球界を超えたこの世代の可能性を描く。

この本ではプロ入りをして活躍する選手だけでなく
松坂投手と対戦した事がある
プロ入りしていない選手たちのインタビューもあった

その中の一人に同級生の彼がいたのだ


20年近く前なので
はっきりとした文章は覚えていないのだが

松坂選手と対戦したからこそ
プロ野球選手への道は選ばなかった

という内容だった


あれだけの努力の人に
進む道ではないと思わせる
松坂選手の力とはいかほどのものであったのか

さとい彼でもあったので
インタビューの答えの数々は
それを想像させる言葉たちだった


彼の言葉を読んで以降は
春の選抜になると思い出すものがもう一つある

彼と同じクラスだった小学生の時
国語の教科書に載っていた
『ガラスの小びん』という物語

『ガラスの小びん』 阿久 悠 
小学校6年生のときから、「わたし」が体の一部のように持っているガラスの小びん。何も入っていないそれは、かつて「父」のものだった。高校野球の選手として甲子園に出場した「父」は、その小びんに入れた甲子園の土をずっと大切にしていた。「父」にとって、その土は自慢の種であり、何物にも代えがたい誇りだったのだ。
「父」に叱られたある日、「わたし」は小びんの中の甲子園の土、父の宝物を捨ててしまう。自分のしたことを詫びる「わたし」に、「父」はこう言った。「おこらない。その代わり、おまえがこれに何かをつめるんだ。お父さんの甲子園の土に代わるものをつめてみせてくれ」

光村図書より
選抜高校野球大会歌「今ありて」
作詞の阿久悠さんです


実は彼のお父様も甲子園出場経験者で
この物語のように甲子園の土が家にあると
この授業の時に聴いた覚えがある

彼自身が持ち帰った甲子園の土は
どんな価値を持つ宝物になっているのだろうか

目指していた道には進まないと
決断するきっかけになった場所の土

物語の内容にもリンクしているかのような
手放すものを決めた彼の言葉は
悔いるものではなく

前を未来を見る
力強い言葉だった


何かを失ってこそ見えるものがある
今よりも前に進むために手放すものもある


彼のインタビューの言葉から教わったものだ



毎年、春の選抜高校野球の入場行進をみると
彼にまつわるエピソードを思い出すのか
なぜか涙しそうになる私がいる

開会式の国歌独唱の上手さに感動しながら
今年も自分に問うてみる

『前に進むために手放すべきものは何か?』




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