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地理Bな人々(18)赤と緑④ 食料自給率・エネルギー・北日本共和国

 赤嶺君が口を開いた。  
「そうなんだよね。まず石油があって,その上に今の農業と食生活が成り立っているということを中島先生は何度も強調してた。『君たちが毎日飢えることなく食べられるのは誰のおかげだ?両親の仕送り?違う,石油だ。石油のおかげで君たちは食事にありつけているんだ』ってね。僕はね,やっと本当のことを教えてくれる人に出会ったような気がしたわけさ。高校の先生は“日本の食料自給率※1低いよね。もっと上げなきゃいけないねー”ってサラッと言って終わりだったから。」

「うんうん。」とミドリが相槌を打った。
「私も同感。自給率は主要国中最低※2です,って前置きして危機感を煽るような報道が多いような気がするんだけど,この数値が上がったらハイOKっていうことじゃないわよね。」

 いつも二人のトークが白熱するとほぼ聞き役になってしまうけど,今日は何とかそこに入り込もうとして僕は言った。
「それって,日本国内で農作物をどんどん作ったところで、農村から都市へ輸送する際にはどうしても石油が必要になるし,その石油のほとんどを輸入しているのだから,それをホントに自給って言っていいのかってことだよね。」
「そうなのよ。」
 
 自給自足がごく一部でしか行われていない現代は,ほぼ全ての食料において生産者と消費者は時間的・空間的に隔たっている。その隔たりを埋めるものが石油なのだ。熊本産のトマト※3を東京の人が食べられるのはなぜか。石油が運んでくれたからだ。解体された牛肉を数ヶ月後に美味しく食べられるのはなぜか。石油を燃やして得られた電力で冷蔵庫の中で腐らずに保管されていたからだ。放っておいたらどんどん腐敗してしまう生鮮品を,燻製にしたり発酵食品にしたり様々な保存食に変換するという技が世界各地で開発され続けてきたけれど,それを石油は肩代わりしてくれている。僕らは他のどの時代と比べても特異な土台の上に乗っかって食生活を送っている。
 
「でもエネルギーの自給って無理よね。日本の人口は1.2億人だもの。石油自給率0.3%だもの※4。もし日本の人口がアイスランドくらいだったら,地熱と水力だけで賄える※5かもしれないけれど,新潟と千葉の天然ガス※6だけじゃ無理だわ。」
 
 自給率を考える時には同時に人口規模にも注目しないといけない,ということだ。
 僕は中島先生が講義の中で語っていた「秘策」を思い出していた。
 
「みんなの中に,食料自給率100%の国に住んで安心したい,でも外国に住むのは嫌だというわがままな人はいるかい?そんな人のために良い方法を教えてあげよう。まず,北海道か東北に移住しなさい。日本の都道府県で食料自給率が100%を超える県※7はほぼ東北以北に集中している。そこに引越した後,日本から独立すればいい。北日本共和国とか名乗ってね。面積15万㎢・人口1400万人のこの国※8は風力・地熱※9・水力発電もやっているし,北海道は家畜の頭数も圧倒的に多いからそのフンから出るメタンガスを集めればバイオ燃料※10が得られる。耕作放棄地※11で太陽光パネルをどんどん増やせば再生可能エネルギー100%というのも夢じゃない。軍事力も経済力もあんまりないけど食料とエネルギー自給率100%の国に住むことはできる。」
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※1 日本の食料自給率
1960年は79%であったが,2021年は38%まで低下。2000年以降はほぼ横ばいで推移している。ちなみのこの数字はカロリーベースによる計算。これが生産額ベースになると60%以上に上昇する。これは,カロリーの割に価格が安い穀物の自給率が29%なのに対して,値段の割にカロリーの低い野菜(79%)や値段の高い肉類(53%)の自給率はそれより高いことなどが影響している。
 
※2 自給率は主要国中最低
2020年のデータでは,オーストラリア(200%),カナダ(266%),アメリカ合衆国(132%),フランス(125%),スペイン(100%)などが自給率100%を超えている。その他、ドイツ(86%),イギリス(65%),イタリア(60%)。G7(先進主要7ヵ国)の中では確かに一番低い値である。 
 
※3 熊本産トマト 
トマトの年間生産量は72.5万tで,都道府県別では①熊本(18%)②北海道(9%)③愛知(7%)である(2021年)。
 
※4 日本の石油自給率
2020年の化石燃料の自給率は,石炭(0.4%)石油(0.3%)天然ガス(2.1%)である。石油は日本海側の新潟県・秋田県・山形県などでわずかに産出されている。これらの県では,畑や水田でいつのまにか地面から石油が染みだして農作物が収穫できなくなるなどの被害がまれに起こることがある。新潟県新津周辺の地形図を見ると他の地域ではあまりお目にかかれない油井・ガス井(ゆせい/がすせい)の地図記号を見ることができる。
 
※5 アイスランド
大西洋の北部にある,北海道を四国を合わせたほどの面積(10.3万㎢)の島に37万人ほどが暮らしている国。人口密度はわずか4人/㎢である。プレートの広がる境界に位置し,火山活動が活発で,かつ北緯65度という高緯度に位置するために島の中央部には氷床も分布しており「火山と氷河の国」と呼ばれる。電力構成は水力発電が約7割,地熱発電が3割である。
 
※6 新潟と千葉の天然ガス
都道府県別天然ガス生産量は新潟県が約8割を占め1位,次いで千葉県である。千葉県では県内に数百㌔に及ぶパイプラインが張り巡らされており,エネルギーの地産地消が進んでいる茂原市周辺では都市ガス料金が他の自治体に比べて安い。海外からの輸入LNG(液化天然ガス)は国際情勢の変化により価格が変化しやすい。
 
※7 食料自給率が100%を超える県
カロリーベースでの食料自給率は,高い順に①北海道(216%)②秋田県(205%)③山形県(145%)④青森県(123%)⑤新潟県(109%)⑥岩手県(107%)⑦福島県(78%)である。最下位は東京でほぼ0%,46位大阪府(1%)45位神奈川県(2%)で,大都市を抱える都道府県では極めて低い値となる[都道府県データブック(日本食糧新聞社)による]  
 
※8 面積15万㎢・人口1400万人
北日本共和国(仮)は人口密度は約93人/㎢となり,スペインと同程度。面積はスペイン(50万㎢)の3割ほどなので,計算上はスペインを30%に縮小したような国というイメージ。
 
※9 地熱発電
地熱発電は環太平洋造山帯やアルプスヒマラヤ造山帯など火山活動の活発な地域で行われているが,他の再生可能エネルギー(風力・太陽光・バイオ燃料)に比べるとまだまだ発電量は少ない。日本で現在地熱発電が行われているのは東北地方と九州地方のみ(大分県八丁原など)。風が吹かないと発電できない風力や夜間や雨の日に発電できない太陽光などに比べ,地熱は天候に左右されることなく安定しているが,日本ではなかなか普及が進んでいない。理由として,地熱の豊富な火山地域の多くが国立公園内にあり,法律による規制が極めて強いこと,さらに,地熱のある場所には温泉も数多く存在するが,地元住民の賛成が得られないことが挙げられる(発電所建設によって温泉の源泉の温度が低下したり湧泉量が減少するのではないかという懸念がある)。
 
※10 バイオ燃料
生物体(バイオマス)に由来する燃料のこと。木の廃材,生ゴミ,家畜の糞尿などさまざまなものがあるが,特に多いのが農作物から得られるバイオエタノールである。バイオ燃料生産量1位(2020年)は中国で,2位のアメリカではとうもろこしから,3位ブラジルではさとうきびから主にバイオエタノールが生産されていることが知られている。化石燃料に比べて温室効果ガスの排出量が少ないので近年注目されてきており,ドイツでは全発電量の10%,デンマークでは25%ほどをバイオ燃料でまかなっている(日本は4~5%)。
 
※11 耕作放棄地
過去1年間耕作が行われず今後も耕作する予定のない農地。世界では,砂漠化・異常気象・内戦・蝗害(バッタによる被害など)によって増加しているが,日本では農業従事者の高齢化を背景に1990年の21.7万haから2015年の42.3万ha(=東京都の約2倍の面積)と25年間でほぼ倍増している。

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