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地理Bな人々(33)中島ノート⑮ じゃがいも物語・大堤防

世界最大の大堤防(アフシュライトダイク※1へ向かう。

アムステルダムから鉄道でアルクマールまで行きバスに乗る。
1927年から1932年にかけて建設された全長32㎞に及ぶ大堤防。

大堤防の途中にサービスエリアがあり,そこでバスを降りる。
ビル3階ほどの高さの展望塔があったので登ってみる。
堤防の内側の湾は外海と切り離され淡水化し湖(アイセル湖)となった。
どっちが海でどっちが湖かわからない。宮古島の伊良部大橋を思い出す(あそこは両側とも海だが)。
 
この堤防は自然の石を丁寧に積み上げて作られた。  
波打ち際まで行くとそれがよく分かる。
天然の石の周りにはコケなども生えやすく鳥も集まってくる。エコな作りになっている。

司馬遼太郎『オランダ紀行』※2に出ていた堤防工事に携わった労働者達のレリーフを見てもそれが分かる。
ウナギ※3のサンドイッチを食べ,ティーソーダを飲んでアムステルダムに戻る。
 

夕飯は小宮山と合流し運河沿いのオランダ料理の店へ。
たまたま小宮山と同じ研究室の仲間が別のテーブルにいて挨拶をかわす。
オランダ人は第2の英国人※3といわれるほどみな英語が堪能だ。
仲間の一人がフィリップスという名だったので,あのフィリップス社※4と何か関係があるのか尋ねたが,いや全く関係ないよ,と笑ってスネルトゥ(オランダ風エンドウ豆のスープ)を食べていた。
 
「それにしてもオランダ人はなぜこんなにジャガイモばかり食べるんだ?」
 ソーセージの付け合わせに出てきた大量のポテトを見て俺が少々あきれて言うと,
「ドイツ人はもっとすごいぜ。」と小宮山はベルギービールを飲みながら、
「ジャガイモの原産地ってどこだっけ。」と聞く。

「南米。アンデスだよ。」
16世紀にはるばる大西洋を越えてここまでたどりついた※5ってわけだ。」
「そう。でも最初は悪魔扱いされていたらしいけれどね。」
「悪魔?」
「そう,16世紀までその存在が知られていないってことは,当然聖書には載っていない。得体の知れない悪魔,ってことさ」
「なるほどね。最初はやっぱりドイツで広まったんだよね。」 
 
――寒冷な気候のドイツは冬になると家畜の飼料となる牧草が不足する。
今でこそ欧米の食事は肉が中心,というイメージが定着しているが,かつては年間を通して安定的に家畜に飼料を与えることは難しかった。
冷涼な気候でも育つジャガイモは家畜の餌として利用できる。
牛はジャガイモを食べないが,雑食の豚は何でも食べる。
ドイツでベーコン・ハム・ソーセージ等豚肉の加工品の生産が多い理由はこんなところにルーツがある。
さらに,人間がじゃがいもを食べるようになれば,それまで食料として利用していた大麦やライ麦を牛の飼料として利用することが可能になる。
こうして,豚ほどではないが牛の頭数も増えてきた。
ドイツのじゃがいも生産量(2020年)は西ヨーロッパでは1位(世界6位),豚の頭数はスペインに次いでヨーロッパで2位(世界5位),牛の頭数はフランスに次いで西ヨーロッパで2位(世界29位)である。
 
ルイ16世(1754―1793)の時代にフランスにも普及したジャガイモは,凶作に苦しんでいたヨーロッパにとっては救世主のような存在であった。
 
「それにしても何でこんなに広まったんだろう。」
「戦争ばかりしていたからだよ。」 
「どういうこと?」 
「戦争中は,敵が侵入してきて畑の作物に火がつけられると小麦が全部燃えてしまう。ジャガイモは土の中で育つから火を付けられても生き残れる。土の中では温度が安定して霜の被害も少ないから凶作にも強い。単位面積当たりの獲得エネルギーが穀物より多い。手っ取り早く、生きるため,戦うための燃料を手に入れられるようになったんだ。」
「なるほどね」
 
じゃがいもはヨーロッパの世界征服にも貢献した。
大航海時代(15世紀半ば~17世紀半ば),船の乗組員達は命がけで航海を続けた。
世界1周に成功したマゼラン隊(1519~1522)はその航海の途中,90%以上の船員が命を落とした。
死因の多くが,野菜が食べられずビタミンCが不足することで引き起こされる壊血病だった。
ビタミンCを豊富に含むジャガイモを船に積むことによって壊血病は一気に減少した。
 
しかし,良いことばかりではない。
19世紀にはアイルランド大飢饉※7という悲劇も起こっている。

国土の大半が荒れ地のアイルランドでは,じゃがいもが伝わったことで食料事情が改善され,1800年頃300万人ほどの人口が短期間に800万人近くまで増加した。
ところが1840年代にじゃがいもの疫病が発生したことで100万人を越える餓死者を出し,生き延びた人々も数百万人がアメリカ合衆国へ移住※8した。
 
「こっちにきて,アジアは米,ヨーロッパはパン,という認識が間違いだったと気付いたね。」
と小宮山は残りのビールを一気に飲んだ。
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※1 大堤防(アフシュライトダイク
19世紀後半,人口が増加したオランダでは,食料確保のための農地造成の需要が高まった。首都のアムステルダムは巨大な湾のように内陸部まで入り込んだゾイデル海に面していたが,そのゾイデル海の海側の出口に堤防を築き,内陸側に干拓地を増やそうという計画が持ち上がった。当初は内陸側を全て干拓する案もあったが,世界大戦の影響などもあり,全域を干拓しないまま現在に至っている。 
 
※2 司馬遼太郎『オランダ紀行』
司馬遼太郎(1923-1996)が1971年から朝日新聞に連載していた紀行文『街道をゆく』シリーズ(43巻で絶筆)の1巻。 
 
※3 うなぎ/ティーソーダ
日本では蒲焼きにして食べることが多く日本食のイメージが強いが,ヨーロッパでもうなぎを燻製にしたり,ゼリー寄せ(イギリス),ワイン煮込み(フランス),うなぎの稚魚のアヒージョ(スペイン)など,ご当地料理として定着している地域も多い。ティーソーダは文字通り紅茶のソーダ。私(小高)は初めてオランダを訪ねた時これにハマり毎日飲んでいました。日本でも販売すればいいのに。
 
※4 第2の英国人
司馬遼太郎の表現を借りて言えば,オランダ人は大勢で会話している時に,オランダ人以外の人間がひとり加わった瞬間に全員が英語にチェンジして会話を続ける,というくらい英語がペラペラ。確かに同じゲルマン系の言語で語彙も似ているものが多いけれど・・・。オランダ人の一部には「英語もロクに話せないくせにオランダに来ないでほしい」といった態度を取る人が時々いて,ちょっと落ち込んだ経験があります(小高)。
 
※5 フィリップス社 
アムステルダムに本拠地を持つ電気機器メーカー。1891年創業。
社名は創業者の名に由来する。日本ではシェーバーや電動歯ブラシなどで知られるが,CTやMRIなどのハイテク医療機器の技術でも競争力を持つ多国籍企業である。
 
※6 16世紀にはるばる大西洋を越えてここまでたどりついた
南北アメリカ大陸原産で,コロンブスのアメリカ大陸発見(1492年)以後,ヨーロッパに持ち込まれ世界に広まった食材は数多い。とうもろこし・じゃがいも・さつまいも・トマト・とうがらし・カカオ豆・たばこ・天然ゴムなどが良く知られている。イタリア料理に欠かせないトマト,韓国のキムチに欠かせないとうがらし,といった我々が現在持っているイメージは直近の数百年の間に形成された食文化がベースになっている。
 
※7 アイルランド大飢饉  
じゃがいもの原産地のアンデス山脈では,凶作のリスクを減らすため,多種類のじゃがいもを少しずつ生産するスタイルだが,当時のアイルランドは収穫量の多い特定の品種だけを生産していたので,一気に疫病が広まってしまった。現代社会における,集中投資と分散投資のアナロジーとしてみることもできる興味深い出来事である。
 
※8 アメリカ合衆国へ移住
大飢饉の起こった1840年代は,アメリカ合衆国への移民の半分はアイルランド系であった。現在のアメリカ合衆国の人口構成を見ても,ドイツ系・イギリス系(いわゆるWASP・・・白人・アングロサクソン系・プロテスタント)に次いで,アイルランド系は約12%(4000万人)を占め3番目に多い(東部地域に多く居住)。アイルランドの人口(2021年)は500万人であるので,アイルランド本国よりもアイルランド系アメリカ人の方が圧倒的に多いということになる。レイモンドチャンドラー(作家),クリントイーストウッド(映画監督・俳優),など芸術・文化に優れた業績を残した人物を多く輩出し,政治の世界でも,J・F・ケネディ,クリントン,レーガン,オバマ,バイデンなどアイルランド系にルーツを持つ大統領が多い。
 
 

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