五目釜飯

プロレスをこよなく愛する釜飯戦士。知っている人よりは知らない、知らない人よりは知ってい…

五目釜飯

プロレスをこよなく愛する釜飯戦士。知っている人よりは知らない、知らない人よりは知っている程度の知識。創作活動も行っているが、一向に芽が出る気配のない根腐れサラリーマン。得意技はビクトル式腕ひしぎ逆十字固め。

最近の記事

ひろゆきの「プロレス」発言とTAKAみちのくの憤りについて思うこと 〜プロレスの「誤用」と「一般化」

二つの前提  まず、大前提として他人のケンカ、言い争いに介入するのは不毛以外の何ものでない。  詳しい事情を知らない場合がほとんどだし、当事者同士ですら発言のニュアンスを間違って捉えているケースが多々ある。擁護した方に梯子を外されるケースもある。  それでも今回、こうしたテキストを書こうと思ったのは、ひろゆき側、TAKA側の主張に明らかな乖離が見られたからだ。ただの言い争いであれば友人でも知人でもなく、関係者ですらない私が何かを口にするのはどこかのコメント欄でのたまう

    • プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 閑話01b共通幻想理論〜プロレスラーはなぜ「世界最強」を求められたのか。後編

       「世界最強」論  今でこそ競技が違う選手に「世界最強」を求めるのはナンセンスだと認知されているが、格闘家やプロレスラーの強さを「フィジカル」でしか推し測れなかった時代の産物である。  要するに「肉体がより大きい奴が強いよね」というイメージに基づく理屈なわけだ。  この論拠では技術論が一切無視されているので、同じ競技の階級制とは似て非なる考え方なのだが、一般的なイメージでも「体重差」は強さの指針にはなってしまう。  真正面から向かい合えば、身体の大きな奴が圧倒的に有利

      • プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 閑話01a共通幻想理論〜プロレスラーはなぜ「世界最強」を求められたのか。前編

         男子に共通する妄想体験  男子にほぼ共通する妄想体験は「エロ」と「世界最強」である。  エロに関しては論旨と関係ないのはもちろんだが、ほぼ語ることがない。男子女子関係なく、想像の範囲を超えることはないだろう。想像通りの妄想である。個人の趣味嗜好の範囲も逸脱しない。その意味では「妄想としてのエロ」はエロ以外の部分がとても重要になってくるのだが、それはまた別の話だ。  だが「世界最強」の妄想に関しては、思いの外、妄想する範囲や個人の主張が分かれる。  それは「妄想」なの

        • プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 12プロレスの抗争には必ず「テーマ」が存在する〜対立構造からテーマは生まれる。

           スポーツにおける「テーマ」  大前提として、スポーツや格闘技において勝ち負け以外の要素は全て「おまけ」である。  もちろん興行として考えた時、選手個人の人気はグッズの売り上げに直結するし、「名勝負」と呼ばれるような試合内容は観客の満足度を引き上げるものだ。アドバンテージが高い選手にとっては勝敗以外の「過程」や「試合内容」も重要ではあるが、あくまで「付加価値」としてのものでしかない。  第三者から見た時、「勝敗」以外の要素は選手を評価する判断基準には仲々ならない。「いい勝

        ひろゆきの「プロレス」発言とTAKAみちのくの憤りについて思うこと 〜プロレスの「誤用」と「一般化」

        • プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 閑話01b共通幻想理論〜プロレスラーはなぜ「世界最強」を求められたのか。後編

        • プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 閑話01a共通幻想理論〜プロレスラーはなぜ「世界最強」を求められたのか。前編

        • プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 12プロレスの抗争には必ず「テーマ」が存在する〜対立構造からテーマは生まれる。

          プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 11ヒールには思わせぶりな「ニックネーム」がよく似合う〜悪役の形容詞。

           プロレスラーのニックネーム  プロレスラーには様々なニックネーム(形容詞)がある。  新日本プロレスなら「燃える闘魂」に始まり、「革命戦士」「人間山脈」「皇帝戦士」「破壊王」「野人」「猛牛」「レインメーカー」「制御不能のカリスマ」のような個人を形容するものから、複数のレスラーを世代やチームでくくる「闘魂三銃士」「トンガリコーンズ」「第三世代」などがあったりする。今は複数のレスラーを形容する単語は「ユニット名」に置き換わった気もする。昔は「本隊」と「ヒール」、たまに外敵と

          プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 11ヒールには思わせぶりな「ニックネーム」がよく似合う〜悪役の形容詞。

          プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 10タッグマッチには「長編の物語」が全て詰まっている〜物語は二人いれば完結する?

           プロレスの「最初の物語」  プロレスにおける「物語の始まり」とは、どこにあたるのか?  入門テストから練習生時代、デビューから海外武者修行と、シングルプレイヤーとしてのイベントは多々あるが、入門テスト合格後の展開としてはほとんど個人差はない。どちらかというと「物語が始まる前」のチュートリアル的な印象に近い。むしろ入門テストに不合格した人間が他団体や海外に渡航し、紆余曲折を経てデビューにこぎつけるまでの展開の方が「物語の始まり」にふさわしいが、個人的な体験に由来するところ

          プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 10タッグマッチには「長編の物語」が全て詰まっている〜物語は二人いれば完結する?

          プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 09アックスボンバーが「伏線」になる〜人物の機微が物語を動かす。

           ラリアットとクローズラインとアックスボンバー  プロレスには兄弟技というか、同一のムーブで違う名前だったり、使う人によって違う名称になったりする技がいくつか存在する。その代表格が「ラリアット」という技である。  これは#4で説明したように、プロレスには「他人のフィニッシングホールドは使わない」という暗黙の了解があるため、意図的に技の種類や名称を変更する傾向にあるからだ。まれに身体能力の高さとプロレス頭の優れた人が新しいムーブの技を作り出すことはあるが(最近ではウィル・オ

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          プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 08ユニット編成が変わる時「ストーリー」は動き出す〜物語のバリエーションはそれほど多くない。

           プロレスの「ストーリー展開」  プロレスにおいて試合外で展開される「ストーリー」は大まかに分けて二種類ある。  一つはレスラー個人に属するもので「海外武者修行」や「凱旋帰国」、「キャラクター・ファイトスタイルの変更」がそれに当たる。これは#05、06である程度、説明したので今回は省く。  もう一つは所属する軍団(ユニット)の内外におけるいざこざや対立である。これにベビーフェイスとヒール、どちらの側のユニットに属しているかで更に細分化される。ベビーであれば「世代闘争」「ラ

          プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 08ユニット編成が変わる時「ストーリー」は動き出す〜物語のバリエーションはそれほど多くない。

          プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 07地方巡業は「エピソード」の宝庫〜おらが町のヒーロー。

           プロレスと地方巡業  SNSが発達した現代において、プロレスの地方巡業の興行を不思議に思う人もいるだろう。  客入りが期待できるビッグマッチやPPV用の興行だけをハウスショーにして、後はYouTube等の動画サイトを使って試合を配信すれば経費もかからないだろうと。  確かに過去の試合も話題の試合も、パッケージ化されることの少ない海外の試合ですら今は検索すればどこかの動画サイトに引っかかる。プロレスを「観る」だけであればこれほど便利な時代はない。  だが、それはあくまで「

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          プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 06理想の「ヒロイン」は強いチャンピオン?〜ヒロインは追いかけられるものである。

           プロレスと「恋愛模様」  プロレスにおいて物語論的な「キャラクター」としての役割があるとすれば、それは「チャンピオンになる前」が「主人公」で、「チャンピオンになった後」が「ヒロイン」となる。  この場合の「ヒロイン」とは当然、男か女かという些末な問題ではない。プロレスにおいてチャンピオンに挑戦するということ、負け続けているレスラーに向かっていく姿勢は「フィクションの恋愛」における「振り向いてもらえない異性」に対するアプローチのそれとよく似ている。  時に挑発したり、褒め

          プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 06理想の「ヒロイン」は強いチャンピオン?〜ヒロインは追いかけられるものである。

          プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 05こけしis happy〜自分だけの「名」を付けることで「主人公」になる。

           「生え抜き」と「外様」  本間朋晃というレスラーがいる。  プロレスをあまり知らない人にとっては天龍、長州に次いで「声が聞きとりにくい」レスラーとして認知されているかもしれない。あるいは「スイーツ真壁」の相方と覚えている人もいるかもしれない。聞きとりづらい声と愛嬌のあるキャラクター、それが今の本間選手の印象だろう。  その本間選手は所属する新日本プロレスにおいて「外様」のレスラーである。「生え抜き」が優遇されることはどのスポーツでもどんな会社でも珍しくはないのかもしれな

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          プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 04プロレス実況は「フィクションの語り方」に似ている〜レスラーの情報をいかに無駄なく説明できるか。

           「プロレス」を説明する難しさ  プロレスの実況は「プロレス」を説明するための一つの表現方法である。  小説には小説の、まんがにはまんがの、映画には映画の観せ方や伝え方、表現方法があるように、プロレスを誰かに魅力的なものとして説明するために「プロレス実況」ほど適したものはない。そして数あるスポーツ実況の中でも、プロレスの実況は「フィクションの表現方法」と親和性が高い。  ほとんどのスポーツ実況ではスポーツを実況することに主眼が置かれ、あくまで選手の情報は副次的なものに過ぎ

          プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 04プロレス実況は「フィクションの語り方」に似ている〜レスラーの情報をいかに無駄なく説明できるか。

          プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 03「世界観」とはロープワークである〜「お約束」を理解することで物語に没入する。

           「世界観」と「お約束」は同義  フィクションで「世界観」を指す場合、多少の解釈の違いはあれど、その単語を知っている者ならそれほど齟齬のない使い方になるだろう。プロレスにおいてもその使い方はそう変わらない。ただ「世界観」という語を用いないだけだ。それは実は呼び方が変わるだけで、どの分野でもエンターテイメントであれば多かれ少なかれ存在する考え方だ。  汎用性の高い例を用いるなら、「お笑い」の世界で言うところの「お約束」や「天丼」といった行為も名を変えた「世界観」の一種である

          プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 03「世界観」とはロープワークである〜「お約束」を理解することで物語に没入する。

          プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 02「キャラクター」はマスクマンが教えてくれる〜歴史を考えることで人物造形に深みが出る。

           プロレスにおける「キャラクター」  #00でも少し触れたが、メキシコの「ルチャ・リブレ」というプロレスから「キャラクターとは何なのか」を学ぶことができる。だがその前に、プロレスにおける「キャラクター」とは何なのか、それを少し掘り下げていく。  そもそもフィクションにおける「キャラクター」と、プロレスのおける「キャラクター」に単語の使い方として大きな差はない。端的に言ってしまえば、プロレスにおける「キャラクター」とはレスラー個人の「特徴」や「個性」を指し示す。明確にフィク

          プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 02「キャラクター」はマスクマンが教えてくれる〜歴史を考えることで人物造形に深みが出る。

          プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 01ビッグマッチの後には必ず物語的な「引き」がある〜プロレスに「大団円」はない?

           アメリカにおけるプロレスの「物語」  これは元々アメリカのプロレスで用いられている手法で、近年では日本のプロレスでも行われることが多いが、年間何百試合も行うプロレスでは一興行で盛り上がった後で「では次回(数ヶ月後)」というわけにはいかない。次の巡業先の地域、あるいは銘打たれたシリーズ興行(新日本で言うなら「G1クライマックス」や「1・4東京ドーム」、全日本なら「チャンピオンカーニバル」など)の宣伝、選手のピックアップ(チャンピオンに挑戦する次期挑戦者は誰になるか、とか)

          プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 01ビッグマッチの後には必ず物語的な「引き」がある〜プロレスに「大団円」はない?

          プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 00プロレスはなぜ「善玉(ベビーフェイス)」と「悪役(ヒール)」に分かれているのか?

          「善と悪」のように「正反対の立場」の方が「対立構造」を作りやすい、というのが最も簡単で最もわかりやすい説明になるのだが(個人的にも立場的にも嫌い合っている方が「戦う理由」になりやすい)、それだけでは不親切というか、不十分というか、物語論とは別にプロレスの「見せ方」の歴史にも関わってくる問題なので、もう少し丁寧に解説してみようと思う。  スポーツにおける「観戦」と「応援」  最近のプロレスにおける選手の立ち位置はユニット(派閥)ごとに区分けされている印象があり、応援スタイル

          プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 00プロレスはなぜ「善玉(ベビーフェイス)」と「悪役(ヒール)」に分かれているのか?