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プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 07地方巡業は「エピソード」の宝庫〜おらが町のヒーロー。

 プロレスと地方巡業
 
 SNSが発達した現代において、プロレスの地方巡業の興行を不思議に思う人もいるだろう。
 客入りが期待できるビッグマッチやPPV用の興行だけをハウスショーにして、後はYouTube等の動画サイトを使って試合を配信すれば経費もかからないだろうと。
 確かに過去の試合も話題の試合も、パッケージ化されることの少ない海外の試合ですら今は検索すればどこかの動画サイトに引っかかる。プロレスを「観る」だけであればこれほど便利な時代はない。
 だが、それはあくまで「映像として」プロレスを視聴する場合だ。
 テレビの視聴率が20%を超えていた時代のゴールデンタイムの放送ならいざ知らず、深夜の放送だけでは中々新規のファンは付きづらい。地方巡業には新規の客の掘り起こしという側面もある。巡業ごとのグッズの売り上げや、相撲の谷町のように地方の出資者や支援者への挨拶回りも理由の一つなのかもしれないが、そこまでいくとさすがに団体の渉外担当でもなければわからない。そもそも映像だけで利益が循環できるようなら、とっくにメジャーなスポーツは配信が利益の中心になっているだろう。
 どんなスポーツでもコンサートでもイベントでも、生で行われているものを観賞するのと、パッケージ化された後の映像を観るのとでは印象がまるで違う。配信サイトの隆盛でCDが売れなくなったアーティストが、その世相とは真逆の「ライブ」で評価されるようになるのと似ているかもしれない。
 チケットを買う、現地に赴くというハードルはあるものの、映像や楽曲に興味を持った人が生でそれを見に行ってがっかりするケースは少ない。そうなってしまった場合、それはもう運が悪いとしか言いようがない。人間が行うものである以上「ハズレ回」があるのはどうしようもないことなのだ。
 
 地方巡業のエピソード
 
 新日本プロレスなどは最近はバスに乗っての移動が多いようだが、小さい団体であればベビーとヒールに分かれてレスラー自身が車を運転して現地に行くケースもある。昔のレスラーは電車移動が多かったようだ。
 そしてプロレスラーの都市伝説のようなエピソードは地方巡業に遠征時のものが多い。移動中のトラブル、宿泊先でのトラブル、地方では大勢で飲食できる施設も限られているから一般人が目撃する機会も多く、尾ひれがつきやすいのだろう。
 アンドレ・ザ・ジャイアントは東京─大阪間の電車内でビールの中瓶を一ケース開けたというエピソードがあるし、ジャイアント馬場は同じく東京─大阪間の電車内で羊羹(コンビニで売られているような大きさではなく、贈答用のサイズ)を17本食べたといわれる。新日本とUWFの地方での旅館破壊騒動など、妙に有名になってしまったエピソードもある。
 もちろん本当か嘘かわからないものがほとんどだが(結局のところ、レスラー本人の証言以外に裏はとれない)、そういうエピソードの宝庫が「地方巡業」なのである。まあ、普段行かないところへ出向いた時に羽目を外したくなるのは一般人もプロレスラーも同じということである。
 巡業でも毎年必ず訪れるような地方都市は少ないので、まさに「旅の恥は書き捨て」状態である。
 
 橋本真也というプロレスラー
 
 個人的に思い入れのあるレスラーなので、蛇足にはなってしまうが「プロレスラーの逸話」として書き記しておこうと思う。
 脳出血で40歳という若さで亡くなってからもうずいぶんと経つが、プロレスラーの豪快さと繊細さ、チャンピオンとしての強さと悲哀を体現していたレスラーであった。あまり良い表現ではないが「功罪」のあるプロレスラーの最後の世代が橋本真也という選手だった。
 もちろん「罪」などない方がいいし、以降の第三世代と呼ばれるレスラーあたりから新日本の道場も陰湿なイジメはなくなったと聞く。昔のプロレスラーにはそういう先輩の理不尽な「シゴキ」に耐えられるメンタルの強さが過分に求められた。真壁選手と棚橋選手が契機だと聞いたことがあるが、より「アスリート」としてプロレスラーが洗練されていったイメージがある。その分、レスラーの浮世離れしたようなエピソードを聞く機会は減ったと思う。
 橋本選手に関しては既に語られている内容も多いので、それほどマイナーなエピソードは多くない。
 練習終わりに先輩レスラーにそそのかされてふざけて座礼の挨拶をし、当時現役だった坂口征二に殴られて吹き飛ばされたとか(『ライガーチャンネル』談)、セミの嫌いな小島選手の寮の室内にセミを200匹捕まえて放したとか、本人が語っていたエピソードとしては恋人とドライブの最中に暴走族にからまれてキレて、当時練習生だった天山選手含めいかつい新人レスラーを十数人連れて暴走族を追いかけ回したこともあったそうだ。
 捕まえた暴走族に「何でこんなことしたんだ」と問いかけ、「母親だけの片親で…」と身の上話をされ、橋本選手も片親だったため「そうか、お前もがんばれよ」と声を掛けてしまうあたり橋本選手の人間性がうかがえる。怒り狂って散々追いかけ回した後に相手に共感してしまうあたりが、まさに橋本選手の「功罪」の象徴である。
 当時の後輩レスラーや付き人だった天山選手に対しての全く笑えないレベルのイジりエピソードがある一方で、借金をしてまで後輩に奢ってしまうような人なのだ。
 吉祥寺パルコのトークショーで生で観たのが橋本選手の姿を見た最後の記憶だ。
 ただの感傷である。
 
 地方巡業ならではのギミック
 
 プロレスは年間百試合以上行うので(アメリカでは三百試合以上)、その全ての試合でレスラーやユニット同士の対立・因縁を設定するのは現実的に難しい。全ての観客やファンが専門誌を読み、開催される全ての興行や試合を追いかけられるわけではないので、目立つシリーズ興行の最初と最後に「対立構造」はピックアップされることが多い。ファンに認識されない「抗争」ほど悲しいものはない。
 そういうプロレスの対立構造とは別に、地方巡業ならでは興行のシステムの一つが「おらが町のヒーロー」である。
 そこの地方出身のレスラーが登場すれば、それだけで観客は盛り上がる。大都市圏出身の人にはわかりにくいかもしれないが、地方都市には潜在的に「地域愛」が根付いていて、それはレスラーの出身地にも及ぶ。プロレス自体に興味がなかったとしても「○○出身のレスラー」というだけで妙な親近感が湧くのだ。直近の戦績に関係なく選手をフィーチャーすることができるのも重要なポイントだ。
 意図的にマッチメイクのマンネリを避けることができるし、たまにしか来ないプロレスの地方巡業は観る側にとっては新鮮で生の迫力もあるので盛り上がりやすい(逆に観戦初心者が多くてヒールにブーイングが起こらない会場もあるが)。地方の試合ではないが、後楽園の試合などは現地の盛り上がりでテレビ放映する試合を変えたりすることがあるらしい。
 建て前ではあるのだが、負けている人間を簡単にメインイベントや次期挑戦者に据えるのは難しい。他の選手の不平不満の温床にもなりかねないし、団体としてチャンピオンという冠を掲げている以上、最低限のマッチメイクの選定は必要だ。その意味でタイトルマッチのマンネリ化は宿命でもある。
 そういう通常のマッチメイクの例外として存在するのが「おらが町のヒーロー」なのである。
「華を持たせる」という言い方もできるかもしれない。故郷に錦を飾る、ではないが、海外武者修行から「凱旋帰国」する選手の地方都市版だと思えばいい。
 このギミックはベビーフェイスとヒールという対立構造からも外れていて、その地方出身の選手個人に声援が送られるケースが多い。ヒールの選手が地元で悪態をつく、というのも一種の「凱旋帰国」である。
 どこで聞いたのかメディアすら思い出せないが、息子にブーイングが送られるのが嫌で試合を観に行けなかったお母さんがいたという話も、家族を呼びやすい地方巡業ならではのエピソードだ。
 エピソードに困ったら、その町を根城にしているキャラクターを限定的にフィーチャーしたり、そのキャラクターが普段行かないような場所や故郷に帰った時に何をするのか、それを想像してみると案外と新しい展開が待っているかもしれない。
 最後に一言、タイトルに「物語論」と冠しているので、おまけのようにそう物語論を申し添えておく。

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