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プロレスから学ぶ物語論〜現実と虚構の狭間の物語 10タッグマッチには「長編の物語」が全て詰まっている〜物語は二人いれば完結する?

 プロレスの「最初の物語」
 
 プロレスにおける「物語の始まり」とは、どこにあたるのか?
 入門テストから練習生時代、デビューから海外武者修行と、シングルプレイヤーとしてのイベントは多々あるが、入門テスト合格後の展開としてはほとんど個人差はない。どちらかというと「物語が始まる前」のチュートリアル的な印象に近い。むしろ入門テストに不合格した人間が他団体や海外に渡航し、紆余曲折を経てデビューにこぎつけるまでの展開の方が「物語の始まり」にふさわしいが、個人的な体験に由来するところが大きい。「その人」にしか歩むことができない道程なのだ。
 それでは「物語論」として考えた時、一人のプロレスラーが歩む物語はどこから始まるのか。
 それは「タッグチーム」結成の瞬間である。
 新日本プロレスのオカダ選手のように新人時代のタッグチームをほとんど経ないで今日まで活躍する選手もいるが、プロレスラーの中でもかなり異例の部類だろう。その意味でまさに「その人しか歩めない」特殊な道程である。それがもし再現可能であるというのなら、擬似的にスターを作り出せると言っているに等しい。そんなものを作り出せる手腕があるのなら、どのスポーツでも「暗黒期」など存在しない。
 言うなれば「凡人」の始まりの物語が「タッグチーム結成」になるのである。
 もちろんプロレスラーになること自体が常人には難しいので、あくまで「上位数%の凡人」という意味である。
 
 タッグマッチという「プロレス」の基礎
 
 個人競技で考えてもらえばわかると思うが、年間何百試合もシングルプレイヤーとしてこなすスポーツ選手は存在しない。もちろん世界中の全てのスポーツを網羅しているわけではないので、私が知らないだけで世の中にはそういう競技も存在するのかもしれないが、少なくともフィジカルを酷使するような競技では不可能だろう。
 それはプロレスの試合においても例外ではない。だから「タッグマッチ」が存在するのである。一興行で平均8試合、年間百試合以上行うプロレスにおいてその全ての試合がシングルマッチでは選手の肉体がもたないし、スポーツとしても成り立たないだろう。だからまず新人レスラーは他の先輩レスラーと「タッグマッチ」を経験することで試合をしながら肉体を鍛え続けることを覚え、プロレスの作法や展開、試合運びを学んでいくのである。
 そして二つの理由から、プロレスの観戦初心者には「タッグマッチ」から観ることをお勧めする。
 一つは現実的な問題として#07でも少し触れたが、人間が行うものである以上、シングルマッチには「ハズレ」の試合がどうしても存在してしまうからだ。一対一の戦いである以上、どちらかがコンディションが悪くなった瞬間、試合としては凡庸な展開になってしまう。これは年間を通じて興行を行うプロレスの宿命でもある。その点タッグマッチであれば、4人同時にコンディションが悪いということはあり得ない。誰かが調子が悪くてもタッグパートナーや対戦相手がフォローして試合を成立させることができる。
 もう一つは、「タッグマッチ」にはプロレスの全てが詰まっているといっても過言ではないからだ。
 試合内容はもちろん、タッグチームのエピソードや関係性、ロープ際の攻防、2対1のピンチ(危機への没入)、フォールのカット(回避の快楽)、シングルマッチと違ってリング上で誰かが戦っていれば他が場外戦をしていても現地で観戦する際に不満は出づらい。合体技の迫力もわかりやすいポイントだろう。
 ある日突然、何の関係性もない二人がタッグチームを結成したり、理由もなく解散したりもしない。必ずそこにはお互いの関係性や因縁、確執や嫉妬といった様々な感情の機微が内包されている。タッグチーム結成の時点から「物語性」が既に付与されているのだ。
 同期であれば友情は描きやすいし、入門前から同級生であれば尚、因縁が深くなる。その二人が手をとり、自分たちよりはるかに格上のレスラーに挑み、負け、努力し、勝利していく。それから一人がシングルプレイヤーとして頭角を現せば、それに嫉妬し、挫折し、裏切り、対立する側に回り、いつかはメインイベントで雌雄を決する二人となる。その後、袂を分かった後、一人が所属しているユニットに裏切られ、ピンチになればかつてのパートナーが駆けつける。その後、再び友情を復活させたりもする──。
 このように優れたタッグチームが一つ存在するだけで『少年ジャンプ』的な努力・友情・勝利はもちろん、何かを獲得した後の嫉妬や挫折、裏切りや対立、そして再びの友情と、二人で物語が完結できてしまう。
 こうやって抽出するとわかりやすいが、これだけで「長編の物語」が構築できてしまうのである。
 
 プロレス特有のストーリー展開
 
 これはプロレスが「負けても終わらない物語」だからできることでもある。この点が他のスポーツとプロレスが大きく異なる点である。もちろん他のスポーツでも引退後に復帰したり、負け続けた後に再起するという展開はあるが、それも「その人しか歩めない」道程がほとんどである。
 格闘技では多くの者が負けて終わり、他のスポーツでも一度引退すれば復帰することはほぼない。本来「引退」とは肉体的・精神的に限界を迎えた者が選択する最後の手段なのだ。プロレスラーの引退は長い休養であると一昔前は言われていたが、さすがに現代では「引退」からの復帰は珍しくなった。
 だがプロレスでは負けても競技生活が終わることはない。年間百試合以上行い、タッグマッチや6メンのようにタッグパートナーが負けることもあるプロレスではいちいち一試合ごとの勝敗を気にしていられない。負けた次の日に試合があるのがプロレスラーだ。故橋本真也は「プロレスで負けないことは不可能に近い。だからいかに目立たなく負けるかが重要だ」と生前語っていたぐらいだ。
 プロレスはある種、負けることから物語が始まるのである。
 
 二人で完結する「物語」
 
 この「物語は二人いれば完結する」というのは何も私個人の感覚ではない。実例が存在する。
 M・ナイト・シャマランの『アンブレイカブル』という映画である。
 この物語は世界を救うヒーローが現実世界に役割を持って存在していると主張するメンター役に主人公が導かれるところから物語が始まる。けっこう前の映画だが、ネタバレしてしまうと初見のおもしろさが半減してしまうので詳しくは語らないが、この映画は背景としての人物は存在しても、キャラクターとしての人物は二人しか登場しない。つまり、キャラクターが二人で物語が完結してしまうのである。
 もちろん「物語」が二人で完結するといっても、それはプロレスにおける数ある物語のほんの一部分でしかない。プロレスは選手の数だけ物語が存在し、関係性があり、因縁があり、それが時に交錯し、寄り合わさったり解れたりする。ずっと忘れていた関係性が掘り起こされてタッグチームを結成したりするのも「タッグマッチ」の魅力の一つである。
 何度か繰り返してきたが、どこに注目し、どのレスラーを推し、どの試合に熱狂するか、プロレスラーの数だけ「物語」があるように、観る人の数だけ「楽しみ方」があるのもプロレスの魅力の一つだ。
 物語論を学ぶ教材としても、そういうプロレスの楽しみ方の一つとしても、私は「タッグマッチ」を推したい。

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