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銀河鉄道999 1巻 第1話 現代社会の縮図 ディストピア

漫画版について語りたい!

 これから松本零士作、銀河鉄道999(スリーナイン)について1話ごとのエピソードに沿ってストーリーや感想など述べていきたいと思います。
 内容に入る前に少し作品の概要と思い出などを記しておきます。

 銀河鉄道999は1977年に週刊少年キングで連載が始まりました。その後人気が出てきてからはテレビ版、劇場版その他様々な漫画や映像作品が作られました。そんな数ある作品の中で、ここでは最初の漫画連載(後にアンドロメダ編と呼ばれています)について語っていきたいと思います。
 これは個人の印象ですが松本零士氏の描きたかった純粋なエッセンスは全てこの漫画版に集約されていると感じているからです。

 私が最初に999に出会ったのはテレビアニメでした。当時まだ小さかった私はただ毎回不思議な星を冒険する少年のお話として楽しんでいました。しかしそれと同時に作品全体に流れる物悲しさのようなものも感じており、その言い表せない魅力もあって見続けていたのだと思います。
 漫画版に出会ったのはかなり後でした。というのも、その後公開された劇場版アニメーションが素晴らしく、しかも漫画が連載中だったにも関わらず結末まで描いてしまっていたためそれで十分満足してしまったのです。

 その熱も少し冷めた頃「少年キング 銀河鉄道999最終回」というニュースを目にしました。すでに結末を知っているという事もありそこまで気にも留めていませんでしたが999は好きだしひとつの区切りとして漫画版も読んでおくか、くらいの気持ちから単行本を買い始めたのです。

 漫画の最初の印象は「地味だな」でした。やはり映画版の印象があったためそれと比べてしまっていたのだと思います。しかし松本漫画独特の雰囲気や何か普遍の真実を突きつけられたような感覚はアニメーション作品とは決定的に違うと感じていました。
 そして読み進めていくうちに作品全体に流れるテーマと各話が描き出す強烈なメッセージに次第に引き込まれていきました。そしてこれは読み流すのではなく、一話づつ深く意味を探る価値があるのではないかと思ったのです。

 おそらく個人的な感想になりますし、もっと言えば間違った解釈もあると思います。もしそのようなところを見つけて頂けたら是非ご指摘頂ければ幸いです。
 そんなわけで少しづつにはなると思いますが、お付き合い頂ければと思います。そして多くのネタバレを含んでいる事もお知らせしておきたいと思います。

「旅立ちのバラード」

停車駅 地球

 列車が宇宙を走る!

 そんなシーンから物語は始まります。これはかなり先の未来が舞台の物語だとわかります。そして車体には銀河鉄道株式会社の文字。この描写に未来でありながら妙なリアルさを感じました。

 場面はかわって銀河鉄道を見上げる親子。雪の降り積もる中を粗末な布1枚を巻いて歩いており、列車が宇宙を走る世の中でありながらこの世界には極端な貧富の差がある事がわかります。
 ここから約2ページの親子の会話からこの世界の様々な情報を知る事ができます。銀河鉄道はアンドロメダまで行ける事、機械の体というものがあり、それを買えば千年は生きていける事、父親は機械の体を人間が買う事に反対して殺された事。

 そしてこの後、母親が機械伯爵の手によって殺されるというショッキングな展開になります。貧富の差がある事はわかっていましたが、機械人間は生身の人間を殺してもお咎めがないという程の差別がある事もわかりました。
「丁寧に皮をはいで剥製にしたから傷ひとつない」
機械伯爵の言葉に猟奇的恐ろしさを感じます。完全にディストピアですね。母は死ぬ間際に鉄郎に機械の体をただでくれるところがある事、それには銀河鉄道で行ける事を伝えます。そして母は機械伯爵に連れていかれ、鉄郎は雪の中で意識を失ってしまいます。

 そこを助けてくれたのが謎の美女メーテルです。メーテルといえば母性あふれるあこがれの女性の象徴というイメージですが、原作の第一話ではどちらかといえばかわいい、見ようによっては10代に見える顔立ちをしています。

 その後鉄郎はメーテルに銀河鉄道のパスをもらい(一度盗まれてしまいますが)、母親の仇である機械伯爵の屋敷を襲い殺してしまいます。
 この展開はかなり無理があると思うことろではありますが、若者の旅立ちに未練や遺恨を残さないという状況を作りたかったのではと思いました。
「もしメーテルが悪魔の子でも魔女でもなんでもいいや」
鉄郎の心境は10代の若者そのものです。

 そしていよいよあの有名な999の登場です。蒸気機関車が宇宙を行くという絵を思い描いたときに、松本氏はそれだけでこの漫画の成功を信じたに違いありません。その位のインパクトをもって列車は宇宙へ飛び立っていきます。遠ざかっていく地球を今のうちに見ておくといいといったメーテルと鉄郎の会話は今の年になると響きます。
「いいよみなくても、あそこには悲しい思い出ばかりしかないから・・」
「悲しい思い出もなつかしくなる時がくるのよ、みておけばよかったと思う時が・・」
そして鉄郎が笑いながら言い切ります。
「ぼくは若いよ!そんなのはじいさんやばあさんのいうことだ、いまのぼくは機械の体がほしいだけだよ、それだけでぼくの胸の中はいっぱいなんだ」

 なんという若さ、そして爽やかさでしょう。

 この物語には常に死の空気が漂っています。それは、この物語に大きな影響を与えているであろう、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」とも共通するところです。しかし若者はそれに怯む事なく立ち向かっていく予感を感じます。鉄郎が旅をしていく中で何度も苦難が訪れます。しかしきっとこの若者はへこたれないだろう、いつも前を向いていくだろうと思わせてくれます。

 若さとは、自分の感情に逆らわず、間違い、苦悩するがそれに負けない強さを持っているもの、そんな風に物語は始まります。
 そして今読み返してみると、若さとは過ぎ去り、決して二度と手に入らないものという事も、強烈に伝わってくるのです。だからこの物語は若い時に読んでもらいたいし、かつて若者だった人にも読んでもらいたいと思っています。

 そして最後にこの漫画の特徴のひとつ「松本巻紙」とよばれるエピローグを紹介します。
 各話ごとに巻紙のようなものにエピローグが書いてあります。SF作品なのに古風で味わい深い表現が魅力的です。第1話はこのような文章で締めくくられています。

「鉄郎を乗せた銀河特急999号はその無限軌道にのって走りはじめた どんな星をたずねどんな所へ行ってどんな姿になってここへ帰ってくるのか鉄郎にはわからない 銀河鉄道ののびていくかなたには無限の星の輝く海が広がっているだけだ・・」

 初回だったのでかなりの長文になってしまいましたが、こんな風に2話以降も続けていきたいと思います。
 


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