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冒険ダイヤル(37) 五十円のゆくえ

(前回まで) 謎解きゲームをしながら、駿は小学生のころの思い出をふりかえっていた。

鶯町の住宅街は実に探検しがいのあるところだった。

瓦屋根の旧家の塀に沿って歩いていくと周辺の新築住宅との間におかしな段差や通路があり、子供しか通れないような隙間があちこちにある。
そういう抜け道をひたすら選んで歩くと見たこともない場所へたどり着いたりする。

駿と魁人はそれを迷子ごっこと呼んで、あえてわからない道を通って遊んでいた。

本物の迷子にならなかったのは魁人の並外れた方向感覚のおかげだった。
どんなに周囲が見えない所に迷い込んでも、魁人はほとんど直感で帰り道を探り当てることができた。

「メキシコには左右を表す言葉がない民族がいるんだって。方角を言う時は土地の傾斜を基準にするんだってさ。でもそれってどっちが傾いてるかいつもわかってないと言えないよな」

駿は仕入れてきたばかりの知識をひけらかした。
その種の豆知識を魁人が喜ぶので、彼を驚かせたくていつも話題を用意しているのだ。

「へえ、そうなんだ。じゃあおれもその民族の末裔だったりして」
魁人は冗談めかして言ったが、駿にはそれがまんざら見当外れでもないような気がしてならない。
 
木枯らしが吹き始めた頃、駿は魁人といつものように探検して歩いていた。畑の脇から金網フェンスの壊れたところをくぐり、排水用のパイプを足がかりにして段差の下に飛び降りる。

新しい近道をみつけてしまうとついそちらを通ってみたくなる。

自動販売機が見えてくるとすぐに魁人が「喉乾いただろ?ジュース買ってきてやるよ」と言って手を出した。

駿は二百円を渡すと駐車場の囲いのコンクリートブロックに腰掛けて待っていた。
やがて缶を一本持った魁人が帰ってきて、プルトップを開けて駿に差し出した。

「なんだよこれ」
ラベルには〈飲む冷麺〉と書いてあり、韓国料理らしきもののイラストがデザインされていた。
魁人が微妙なものを買ってくるのには慣れたが、これはまたいつにも増して攻めた商品だ。
 
そういえば最近は近くの工事現場から作業着姿の建築業者のたちがこのあたりにたくさんやってきていて、駐車場の片隅でカップラーメンなどを食べている姿を見かける。
あの人達なら汗をかくからおいしく感じるのかもしれないなどと考えた。

しかしここでだまされてはいけない。

「お釣りは?」
缶に口をつけるよりも先に駿が言うと、魁人は「へえへえ」と時代劇のお百姓みたいな返事をして二十円を返した。
「もっとだろ」
魁人は舌をぺろりと出し、もう二十円返す。

駿はいつものように透明な小銭入れにその四十円を入れた。
これは家に帰って貯金箱に入れることになっている。

   *

魁人のささやかな悪事に気付いたのは友達になってすぐのことだ。

彼は普段は偉そうにしているくせに、小銭を預かって使い走りのようなことをしたがるので不思議に思っていた。

あるとき缶ジュースを受け取った後にお釣りを要求したら額が足りなかった。
「もっと安かったはずだけど」と言うと、魁人はさも驚いたように「あれ、ごめん、間違えた」とすぐに足りない分を返してくれた。
その切り替えがあまりにも早かったのでかえって不審に思った。

注意して見ていると、彼が同じことを他の友達にもしているのがわかってきた。
中にはお釣りがあったことさえ言わずに済ませている時もあった。
しかし誰もそのことに気付いていない。

たまにお釣りが足りないことを指摘されると素直に間違えたと謝って返すので誰もわざとやっているとは思わないのだ。
 
深海と一緒に三人で公園で遊んでいると「ジュース買ってきてやる」とまた言い出した。

深海が五百円玉を出して頼み、彼は軽い足取りで戻ってくると缶の蓋を開けてから渡した。
おっとりしている深海は急に物を持たされてこぼしそうになり、あわてて両手で持ってから飲んだ。

新発売の飲み物なのでいくらなのか駿は知らなかった。
〈密閉絞り・あおもり・ねぶた〉と書いてある。

深海はユニークな缶のデザインに気をとられてお釣りのことを忘れているようだった。
「お釣り」と駿が言うと「あー、うん」と小銭を荒っぽく深海の手に乗せた。

深海が数えようともせずに財布に入れようとしているのを横目で見て金額を頭に入れた。
帰り道に同じ自動販売機の横を通りかかった駿はさり気なく値段をチェックし、魁人が深海に返したお釣りが五十円足りないことを確かめた。
 
深海が帰っていった後、駿は「おやつが余っているから一緒に食べよう」と彼を家に招き入れた。

魁人がお中元のクッキーを食べている間に駿は空のペットボトルを使って工作を始めた。
カッターナイフで小銭を通せるくらいの切れ込みを作り、手を怪我しないようにビニールテープを縁に貼った。

きょとんとして見ていた魁人だったが、駿が「さっきの五十円、出しな」と言うと動揺して持っていたクッキーをぼろぼろ膝にこぼした。

「ふかみには言わないよ。もうああいうのはやめろ」
「わかった」

魁人はむっつりと五十円玉をポケットから出し、駿はそれを彼の目の前で貯金箱に入れた。

その後も彼は何度か人のお釣りをごまかそうとして駿に見破られた。
駿が黙って魁人のポケットを指差すと、さもうっかりしていたかのように「間違えてた」と言って友達に返す。
誰にも気付かれないうちにそれが繰り返された。

やがて彼は限界を感じたのか小銭を預かること自体をやめたが、どういうわけだか駿に対してだけはいつまでもやめようとしない。

「どうせばれるのに、どうしてまだ同じことするんだよ」
呆れてポケットを指差すと、魁人はニカッと笑って「ちゃんとばれるかどうかテストしてる」と言う。
駿はごまかされた分をその都度回収して貯金箱に入れた。

そんなことが繰り返されるうちに、しまいにはポケットを指差されると「じゃあこれからおやつ食べにお前んちに行く」と言って上がり込んできて、自分で貯金箱に入れたりするようになった。

けして他の子供には悟られないように、特に深海には気付かれないようにふたりは細心の注意を払ってそれを続けた。

しかし今日は他に誰もいないので気楽だ。
駿は飲む冷麺を一口飲んでみてから「やる」と言って魁人に押し付けた。
魁人は恐る恐る一口飲んでから「お、うまいじゃん」と言って残りも飲み干した。
「飲めるのか。飲めたのか」
「うらやましいだろ」
「辛いのも平気なのか」
 
このごろでは飲み物を買うとふたりで一本を分けることが多くなった。
魁人が自分の分を買おうとしないので自然とそうなった。
 
飽きるまで歩き回ってから駿の家に帰っておやつを食べることになった。
小学一年生の弟がひとりで留守番をしていて「お母さん、もう買い物に出かけちゃったよ。兄ちゃん遅かったね」とすねていた。

リビングの棚に置かれた貯金箱に今日没収したお釣りを入れ、駿は冷蔵庫を開けておやつを探した。
魁人は貯金箱を振ってみて「育ってるなあ」などと感心している。
 
駿がゼリーを食卓に並べると弟がスプーンを持ってきて「かいちゃんの分」と魁人に渡す。
弟がゼリーの蓋をうまく開けられないでいるので魁人が剥がしてやった。

猫が魁人の膝に乗ってくる。
「こいつ人懐っこいな」
「かいちゃんのことが好きなんだよ」

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