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冒険ダイヤル(31) 来年の約束

(前回まで) 幼馴染みの魁人からの手紙を読んだふかみは小学生のころの彼を思い出していた。

「おれたちふたりで狸を見に行こうぜ」
下校時間、魁人は深海があげた給食のコッペパンを片手に何度もこちらを振り返ってくるくる回りながら帰り道を歩いていた。
ランドセルの遠心力を楽しんでいるようだ。
その日は駿が珍しく風邪をひいて学校を休んでいた。
三人で行こうと約束したのに待ちきれなくなったのだろう。
「お前には狸運があるんだと思う」
「狸運ってなによ」
魁人は狸をよほど縁起がいい生き物だと思っているらしい。 

「前見ないと危ないよ」
「らいりょぶ、らいりょぶ」
魁人はパンを口に入れたまま返事した。
彼がいつも帰り道に歩きながら給食の残りを食べるので始めは近所の人に見られると恥ずかしかったが、この頃ではもう慣れてしまって平気で一緒に歩けるようになった。
「家に帰ってから食べればいいのに」
「家まで我慢できない」
魁人の家は学校からそう遠くないのにおかしな子だ。
 
駿がいないのに一緒に帰るのはもしかすると初めてかもしれない。
赤い鳥居の前まで来ると、魁人は鬱蒼と茂った竹やぶの奥へと続く階段を見上げてしばらく黙々とパンをかじっていた。
もしかすると彼も少し怖いのかもしれないと思った。
深海は新しいスニーカーを買ってもらったので足を傷める心配もなくなり、一度登ったところなので気が大きくなっていた。
「私はもう怖くないよ」
「言ったな。絶対についてこいよ」
 
魁人は残りのパンで口をもぐもぐさせたまま先に立って階段を登り始めた。半分ほど登るとすぐ側で落ち葉を踏むような乾いた音が聴こえた。
「近くに何か来ているみたいだよ」
「どこだ?」
魁人は手すりから身を乗り出して茂みを覗き込んだ。
大きな声を出したせいで狸が怖がって逃げたのか足音はすぐに消えてしまった。
途端に魁人はやる気を失って歩くのが遅くなった。

前を遮って伸びている植物の蔓を持ち上げておいて、後ろの深海が来た瞬間にぱっと手を離す。
その度に頭に蔓が当たって深海は悲鳴をあげた。
「やめてよー」
「おもしれー」
「性格わるーい」
「よく言われるー」
深海をからかっているうちに魁人は段々と上機嫌になっていった。
「なあ、深海。来年になったらバレンタインデーに友チョコくれるだろ」
十二月だというのにずいぶん気が早い。
「はあ?勝手にもらえるって決めないでよ。それに私、バレンタインデーだから女の子の方からあげるなんて馬鹿みたいだと思う。魁人からもくれるならあげるよ」
「それ、ただのおやつ交換じゃん」
ふたりともけらけら笑った。

「駿にも友チョコあげるのかよ」
「そうだね。小さい時から毎年あげてるからね」
「来年も友チョコか?」
「どういう意味?」
魁人は前を向いたままで表情がよくわからない。
彼の柔らかい髪が風にあおられ、そこだけ日焼けしていない首筋がちらちらと見えた。

深海は彼の背中に話しかけた。
「来年のことなんてわかんないけど、駿ちゃんにもチョコをあげるつもりだよ」
「そうじゃなくて」
少し苛立った声が返ってくる。
「おれのとは別のチョコになるかもしれないじゃん」
「はああ?あんたたちのはずっと同じだよ。ずーっとずーっと同じやつ、お揃いであげるから心配しないで」
「ありがたきしあわせ」
魁人はおどけてそう答え、ほっとしているのが声から伝わってきた。
 
ふとまた茂みの中で生き物の動く気配がして、今度は声をひそめて魁人を呼び止めた。
深海が指さした先に何かがいるらしく茂みがゆさゆさと揺れていた。
すると魁人がとんでもない行動に出た。
ランドセルを置いて手すりを乗り越え、茂みに下りていこうとしたのだ。
とてつもなく急な斜面の上で、しかも下は草木に深く覆われていて地面が見えない。それでも彼は階段を支える鉄骨につかまって猿のように潜っていった。
 
深海は驚いて声も出なかった。
彼の姿はあっという間に下草に埋もれて見えなくなってしまい、深海はおろおろと手すりから見下ろしているしかなかった。
以前から身軽だとは思っていたが、さすがにここは危ないのではないか。
魁人を飲み込んだ深い茂みには陽の光が差し込まず、上から見ると真っ暗だった。
もし魁人が斜面を転がり落ちていったら誰にも見つけられないのではないだろうかと思った。

「魁人、狸、いた?」
狸に逃げられたくない欲張りな気持ちと、魁人の安否を確認したい気持ちがせめぎあって、深海は中途半端な声をかけた。
返事はおろか物音ひとつしない。
「ねえ、狸、いた?」
声を大きくしてみた。
「…かみ…ふかみ…」
足元から絞り出すような声がして、深海はしゃがみこみ、耳を澄ませた。
「ふかみ…お前の足の下」
それを聞いて深海は自分の踏んでいる階段の隙間を覗き込んだ。
上の段と下の段が重なった奥の方につかまっている二本の手があった。
一瞬おばけかと思った深海は「ひっ」と声を上げたが、よく見ると魁人の手だった。

「足が着かないんだ。どうしよう」
ちょうど斜面のえぐれた場所だったのだろう。
階段下のスペースが背丈よりも高くなっているところから降りてしまったのだ。
魁人は地面まで降りられずにあわててそこにつかまって、戻れなくなっていたのだ。
 
こんな誰も来ない場所では助けを呼んでも間に合わない。
深海は必死に何かいい方法がないか考えた。
「魁人、下を見て、ひとつ下の階段が見える?」
「うん」
「学校の雲梯を渡るときみたいに、一個下につかまれる?」
気合を入れる呼吸音がして、一段下が震えた。
魁人が移動したのだ。
「すごいよ!もう一段降りられる?」
足の下では必死に魁人が反動をつけている。また一段降りた。
「きっとそのうち足が着くところがあるよ。頑張って」
少しずつ魁人が下の段へ移動していくのをはらはらして見守った。
そしてついにうわずった声で「つま先が着いた」と言うのが聴こえた。

「よかった、もうすぐだよ」
励ました次の瞬間にドサッと落ちた音と、草をなぎ倒して転がっていく音がした。
深海はぞっとして階段の下の闇に向かって彼の名前を叫んだ。
しばらくして数段下から「うーん」という唸り声がして、階段が地面と接している場所から魁人が這いつくばって姿を現した時、深海はほっとして座り込みそうになった。
うまく着地できなければ勢い余って鳥居まで滑落してもおかしくなかったのだ。
 
あちこちに軽い擦り傷を作っただけで魁人は無事に戻ってきた。
顔を見合わせるとふたりは力なくひきつった笑いを浮かべ、手を取り合った。
深海は自分の手が震えているのか魁人の手が震えているのかわからなかった。膝ががくがくする。
「ひとりで危ない所に行ったらだめだよ」
我ながら何を当たり前のことを今更言っているのだろうと思った。
さすがの魁人も小さな声で「うん」と答えた。彼の両手は真っ赤になっていた。
 
その後はふたりとも静かに階段を登った。
狸とは結局会えなかった。
市民館の裏に到着すると魁人は「生還!」と雄叫びをあげた。
駿と登った時とは比べ物にならない恐怖体験だった。深海にとってはおばけが出るよりも魁人が落ちる方が余程怖かった。
 
市民館の玄関ホールに入り、例によってベンチに腰掛けて一休みした。
あのやかましい魁人が終始しゃべらないので少しは反省しているに違いなかった。
深海がトイレに行って戻ってくると魁人が菓子パンの自動販売機から何か取り出しているところだった。
「これやるから、今日のことは駿には秘密にしろよ」
魁人はデニッシュあんパンを差し出した。

「これを買うお金はどうしたの?学校にお金なんか持ってこないよね。どうせ自販機の下で拾ったんでしょ」
これまでにも自動販売機の周りで小銭を探して拾っている姿を何度も見たことがある。
魁人はぺろりと舌を出した。
「バレンタインチョコの前渡しだよ」
「前渡しなんてありなの?」
いつもなら小言を言う深海だが、その日はなんだか笑って受け取ってしまった。
「プレゼントくらい自分のお金で買いなよ」
「プレゼントは気持ちがこもっていればいいんだって教わらなかったのか?」
「それ意味が違うから」
「受け取ったからお前も共犯だぞ。秘密にしろよ」
 
こうして彼の大失態はめでたくもみ消された。
翌年のバレンタインには彼はもう町にいなかった。
この話は誰にもしていない。これからも誰にも話すつもりはなかった。

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